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『ヨゼフ・テイトは、娘ヘルミーナ・テイトに関する情報を守り、第三者へ一切漏らさないと「契示の書」に誓う。尚、期間はヘルミーナ本人の許しがあるまでとする。契約に反した場合は、どんな苦痛もこの身に受けるものとする』
古代から使われている魔法陣に手を置いて契約の内容を読み上げると、青い光が放たれ父親の手の甲に魔法陣と同じものが浮かび上がった。これで魔法契約は結ばれた。ヘルミーナは契約を済ませる父親を見届けた後、マティアスとカイザーを馬車まで見送った。二人が名残惜しそうに見えたのはきっと気のせいだ。
そこから先は、ほぼ息をつく間もなく動き続けた。
父親が「ヘルミーナは愚かな元婚約者から身を隠す必要がある」と伝えてくれたおかげで、メイド達が総出で荷物の準備を手伝ってくれた。まるで、夜逃げでもするような騒動だったと使用人は語る。
しかし、ヘルミーナが忙しく動き回っていたのは屋敷の中だけじゃない。護衛のリックを伴い、街へ出掛けて靴や服などを買い込んだ。いくら王室で用意してくれているとは言え、どの程度か分からない。王宮の中では目立たないように過ごす必要があるだろう。それなら、予め必要な物は買っておいた方がいいと考えたのだ。
他にも、王宮行きを決断する前から個人的に買っていた雑貨品が届き、間に合ってくれて良かったと安堵した。
そしてあっという間に嵐のような三日が過ぎ、王宮に向かう日が訪れた。
ふらりふらり、と歩いているところに見兼ねたリックが手を差し出してきた。
彼もかなり疲れて見えるのは、たぶん気のせいじゃない。
「女性は何かと大変なことが分かりました」
「分かっていただけて嬉しいです……。リックもお疲れの様子ですが、私が飲んだ薬で良ければいりますか?」
「……成程。それで私よりお疲れなのに、肌艶が輝いていらっしゃったんですね。薬は遠慮しておきます、後々問題になっても困りますから」
目が回るような三日を一緒に過ごしたおかげで、リックとは以前より打ち解けることが出来た。
共通の山場を越えた者同士、仲間意識が芽生えたのかもしれない。
ヘルミーナはリックの手を取ろうとしたが、両手で持っていた鞄に気づいて首を振った。歩く度に中の物同士がぶつかってカチャカチャと音を鳴らしたが、これだけは自分の手で運びたかったのだ。そんなヘルミーナを知ってか知らずか、リックは静かに手を下ろした。
そのまま玄関に向かうと、父親と使用人たちが一台の馬車を出迎えていた。
馬車には王国騎士団の紋章と旗が掲げられている。
確か──騎士団が追っていた重要人物を、ヘルミーナが提供した目撃情報のおかげで捕まえることが出来た。それを第一騎士団の団長と副団長自ら伝えにやって来て、謝礼にヘルミーナを別荘まで護衛してくれることになった。……という筋書きを父親から聞かされたが、一体何人の使用人が信じてくれただろうか。父親は意外に、こういう舞台設定を考えるのが好きなのだ。
「ヘルミーナ嬢、迎えに来たよ」
「今日はカイザー様お一人ですか?」
「……団長は、陛下や大臣も来る総会議に出席しなければいけなくなってね。会議室を破壊してこないか心配だけど、私だけでは不安かい?」
「いいえっ、そんなことは!」
むしろ身分が違いすぎて恐れ多いのに、彼は気にしてないのだろうか。
いくら光属性の秘密を守るためと言っても、一族の次期当主を無駄に働かせてしまっているようで忍びない。最初は騎士団の人手不足を疑ったが、リックに「絶対にありません」ときっぱり言われて誤解は解けた。
未だ心配な部分はあったが、自分を見つめてくる穏やかな目に絆されていつも有耶無耶になってしまう。とりあえず今は、うっかり無礼など働かないように気をつけようと思った。
「それではお父様、行ってきます。お母様と弟妹にも宜しくお伝え下さい」
「ああ、家族や屋敷のことは心配しなくていい。何かあればすぐに連絡してきなさい」
ヘルミーナは鞄を床に置いて、父親を力いっぱい抱き締めた。
暫くこの温もりともお別れだ。
見送りに出てきた使用人達からも「お嬢様、お元気で」「アイツが来たら追い返してやりますよ!」という声が掛けられ、ヘルミーナは温かな気持ちになった。今になって皆の顔がよく見えた。周りにはこんなにも自分を心配してくれた人達がいたのだ。
父親は迎えに来たカイザーに向かって「娘をお願いします」と頭を下げた。
親元を離れるのは少し怖かったが、「お任せ下さい」と笑うカイザーの顔を見たら大丈夫そうな気がしてきた。
ヘルミーナは皆に向かって最後の挨拶を済ませると、鞄を持ち上げた。
「ヘルミーナ嬢、鞄は私が持とう」
「大丈夫です。これは自分の手で持っていきたくて」
当然の如く鞄を持つと言ってきたカイザーに、ヘルミーナはやはり断った。
これは一種の意思表示だ。これから歩もうとしている道の一つ。ヘルミーナは大きく分かれた片方の道をすでに選んでいた。だから、他人の手を借りるわけにはいかない。
ヘルミーナがやんわり断ると、カイザーもまた無理に鞄を奪ったりはしなかった。
だが、馬車に乗り込もうとした時、カイザーに止められた。
「少し窮屈かもしれないけど」
そう言って、開けた馬車の中から赤い布を取ったカイザーは、ヘルミーナの肩にそれを掛けた。
体を覆うほど長い布は真っ赤なフード付きの外套だった。
「これは……?」
「騎士団の外套だよ。上の命令で、君を人目に晒すことなく王宮へ入れるのに、まず騎士団へ連れて行くことになったんだ。詳しい話は馬車の中で話すけど、王宮の外門を過ぎるまで我慢してほしい」
「分かりました」
ヘルミーナはカイザーに促され、馬車に乗った。その後にカイザーとリックが乗り込んでくる。
目の前に並んで座る二人が窮屈そうに見えて声を掛けたが、どちらもヘルミーナの隣に座るのは断ってきた。全力で遠慮する二人に、未婚令嬢と密着して座るのは躊躇われたのだろうと思った。
そして三人が乗った馬車は、御者の掛け声と共にテイト伯爵邸を出発した。
ヘルミーナは膝に抱えた鞄を握り締め、これから始まる新しい生活に思いを巡らせるのだった。




