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玄関ホールに辿り着くと、息切れをしたヘルミーナを待っていたのは赤い団服を着た青年だった。先日の私服姿とは随分違って見えたが、強烈な印象を残してくれた彼を見間違うわけがない。
「ヘルミーナ嬢……! 無事だったかい!?」
「カイザー様」
玄関に通されたばかりの青年──カイザーは、ヘルミーナを見るなり大きな体で迫ってきた。
これは男性がどうこうの問題ではない。ヘルミーナが後退りしそうになったのは、今にも飛びかかってきそうなカイザーの迫力に押されたのだ。まるで、大型犬に飛びつかれる寸前のそれだ。
しかし、傍にいたリックは怯むヘルミーナを見て、カイザーの進行を止めようとした。
「副団長、お待ちください……っ」
だが、一刻も早くヘルミーナの無事を己の目で確かめたかったカイザーは、リックを簡単に押し退けた。これが昨日の夜だったら、状況はもっと悪かったかもしれない。
ヘルミーナは両手を伸ばしてくるカイザーに捕らえられる覚悟をした。
刹那、足元から胸元にかけて冷たい風が吹き抜けた。
「──少しは女性の気持ちを考えろ。だから婚約者にも逃げられるんだ」
「わっ、ぷ!」
カイザーはヘルミーナに触れる直前、何かに口と体を縛られて身動きを封じられた。
遠くからでは見えないだろうが、最も近くにいたヘルミーナにはそれの正体が分かった。
間違いない、風の魔法だ。
「団長、貴方までいらっしゃるとは」
「……団長、様?」
カイザーが視界を占領していて全く気づかなかった。
いや、それ以前にいつからいたのだろう。声がするまで誰も彼の気配に気づかなかった。
リックが声の主に頭を下げると、カイザーの後ろから一人の青年が姿を見せた。
カイザーから比べると小柄に見えるが、決して背が低いわけではない。けれど、華奢な体に見えてしまうのはその容姿のせいだろうか。
足音もなくゆっくり歩いてきた青年は、流れるような動作でヘルミーナの前に跪いた。
「お初にお目にかかります、ヘルミーナ・テイト伯爵令嬢。私は第一騎士団、団長のマティアス・ド・ラゴルと申します。──貴女にお会いできて大変光栄です」
挨拶をしてきた青年──マティアスに、皆は驚きを隠せなかった。
それはマティアスが彫刻のように整った容貌をしていたせいか。それとも、その顔立ちにしては不釣り合いな低い声のせいだろうか。耳に残るような心地良い声ではあったが。
でも、一番は薄緑色の前髪が掛かった緑色の目が原因だろう。エメラルドの宝石が埋め込まれたような美しい瞳に、ヘルミーナは視線を奪われた。団服を着ていなければ、誰も彼が騎士だとは思わなかったはずだ。
ただ、彼から漂ってくる威圧感は、同じ騎士と比べても遥かに異なっていた。
これが古より魔物と戦い続けてきた守り人──風の民。
光の神エルネスが最初に連れてきた人族だと言われているが、残っている文献では確証が得られずそのままになっている。ただ人族というより、エルフ族と言われた方がまだ納得出来たかもしれない。嫌でも伝わってくる異質な魔力に、圧倒的な力の差を感じずにはいられなかった。
しかし、ヘルミーナは跪くマティアスを見下ろし、不思議な気分になった。
一度も会ったことがないのに、なぜか懐かしく感じた。それは、王太子ルドルフが持ってきた聖杯を前にした時によく似ていた。
突然の来客に、平和だったテイト伯爵邸はかつてないほどの混乱に陥った。
第一騎士団の騎士であるランスとリックがやって来た時も驚かれたのに、今度は団長と副団長だ。しかも、彼らは由緒ある家門のラゴル侯爵家とレイブロン公爵家の次期当主だ。歴史の浅いテイト伯爵家など足元にも及ばない。
そんな彼らがヘルミーナに会いに来たというのだから、使用人達は大騒ぎだ。今度は何をやらかしたのか、と。どうか変な噂が立ちませんように、と祈りながら、ヘルミーナは二人を応接室に案内した。
ちなみにカイザーの拘束は解かれたが、マティアスが睨みを利かせてくれたおかげで、ヘルミーナとは一定の距離を取ってくれている。
「ヘルミーナ嬢、本当に大丈夫かい? 瞼もかなり腫れているようだし、まさか殴られたのか……?」
「い、いいえっ、これは……その」
「伯爵令嬢、答える必要はありません。カイザーは頭の中も筋肉で出来ておりますので、色々疎いのです」
まさか、一晩中泣いて瞼が腫れてしまったとは言いづらく。そこにマティアスが割って入ってくれて正直助かった。
カイザーは邪魔をしてくるマティアスに怒りを覚えたが、図星だったようでぐっと堪えた。
二人が並んで座る様子を反対のソファーから眺めていたヘルミーナは、最強を誇る騎士達から目が離せなかった。
同じ騎士や、騎士を目指している者、そして騎士の道を諦めた者達からすれば、きっと羨ましがられる光景に違いない。彼らは皆の憧れで、多くの期待を背負って王国を守ってくれている。
誰かの為に戦い続けている彼らに、ヘルミーナは胸の奥から込み上がるものを感じて落ち着かなかった。
その時、応接室の扉が開いて父親が飛び込んできた。慌ててやって来たのが丸わかりである。
しかし、マティアスとカイザーはソファーから立ち上がると、ヘルミーナの父親に向かって丁寧に頭を下げた。
それから団長であるマティアスが静かに口を開いた。
「突然の訪問になってしまい申し訳ありません、伯爵。ご令嬢に関して急ぎお伝えしたいことがございます。まずは人払いをお願いします──」
父親はマティアスの雰囲気に押され、言われるがまま使用人を応接室だけでなく、近くの部屋からも立ち去るように命じた。そして室内に、ヘルミーナ、ヘルミーナの父親、マティアス、カイザー、リックの五人が残ると、空気が急にピリッと張り詰めた。
彼らが昨日の出来事だけでやって来たとは思っていない。
話の内容もだいたい予想がついた。
それだけに、ヘルミーナは鼓動が早く脈打つのを感じながら、その時をじっと傍で見守った。




