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光の神エルネスの祝福を受けしエルメイト王室。
王族の高貴な血は建国から一度も途切れることなく後継者に引き継がれてきた。そこには見た目の美しさや特別な能力だけでなく、王国の民や、愛する者を大切にする愛情深さも与えられたのではないかと言われている。
記録によれば、歴代の国王は伴侶である王妃以外、側妃や愛人を持った者はおらず、生涯たった一人の女性を愛し続けてきたと記されていた。
神からの恩恵が続くのも、そのおかげかもしれない。
──それだけに、何の前触れもなく投下された王太子ルドルフの発言は、優雅なディナータイムを一瞬にして暗転させる破壊力があった。
「父上、私の妹が見つかりました」
突然、天井から雷で打たれたような衝撃がダイニングホールを襲った。
それに一番驚いたのは他の誰でもない、国王──リシャルド・エドガー・エルメイト──リシャルド二世だった。彼は飲んでいた赤ワインを吹き出し、自分の若い頃に瓜二つな息子を凝視した。
「いっ、いきなり何を言い出すんだ、お前はっ!」
……なぜそこで動揺してしまったのか。
一家団欒の至福な一時が急におかしな雰囲気になる。なのに、微妙な空気を作った当の本人は、至極真面目な顔で牛肉を切っていた。
「まぁ、それは初耳ですわ。国王陛下に婚外子がいたなんて。一体どこの女性とそのようなご関係に?」
「お、王妃よ。光の神エルネスに誓って、余はお主としか閨を共にしておらん! 我が子もここにいる息子二人だけだ!」
と言いつつ、白い顎髭を撫でながら狼狽える国王に、室内の温度が急激に下がる。
王宮には至る所に魔力を無効化する魔道具が設置されているが、どこからともなく冷たい風が吹いてきた。
焦る国王の斜め横には、深緑色の髪に黄緑色の瞳をした王妃──フレイア・ローズ・エルメイトが座っていた。
王妃は風属性の長であるセンブルク公爵家の娘だ。彼女の魔力は生まれながらに高く、早い段階から現国王の妃候補として名が上がっていた。
普段は穏やかで争いを好まない一族だが、風のように掴みどころのない性格は王室でも一種の武器になっているようだ。国王ですら、王妃の心情を推し量ることは出来ないと側近に漏らす程だ。
そんな国王と王妃の間には二人の子供がいた。
王太子である第一王子のルドルフと、彼より一回り歳の離れた第二王子──セシル・ロビン・エルメイトである。二人は周囲が羨むほど仲が良く、ルドルフはとくに弟を可愛がっていた。弟も聡明で誰より頼りになる兄を慕ってきた。
これまで王室で不穏な噂が流れたことはない。親子や兄弟姉妹同士で謀反や内戦は起きたことはなく、そのおかげで王国の民は安心して防壁の外にいる魔物に集中することが出来た。
だが、それが今まさに崩壊の危機に晒されようとは、国王本人ですら予測出来なかっただろう。
「大体、なぜ急に妹などと! ルドルフよ、そういうことは順を追って説明しないと分からんだろっ!」
「申し訳ありません、父上。どうやらアネッサの気の短さが移ってしまったようです」
因みにそのアネッサも、ルドルフと同じことを兄のカイザーにしているのだが、彼らが知ることはない。
国王が真っ青な顔でテーブルを叩くと、ルドルフは手元のナイフとフォークを置いて、一度だけ考えるような仕草を見せてから国王に向き直った。
「ところで父上、娘を迎える気はありませんか?」
ルドルフなりに真剣に答えたつもりだったが、やはり説明不足で再び国王に叱られてしまった。
だが、ルドルフの隣に座るセシルだけは「僕に姉上か、妹が出来るのですか?」と、黄金の瞳を最後まで輝かせていた。
★ ★
目覚めた時、体が酷く重かった。
魔法を酷使し過ぎて魔力が空っぽになってしまった翌日のようだ。ただ体内にある魔力は感じられるし、頭痛はするものの、魔力枯渇にて起きる吐き気や発熱はなかった。
ヘルミーナはベッド脇の棚にあるベルを鳴らした。
これも魔道具のひとつだ。
鳴らしたベルの音はとても小さかったが、ベルと連動している専用のブレスレットが光る仕組みになっていた。一つの魔法石を二つに割り、どちらにも取り付けることで共鳴関係を作り出すのだとか。ベルとブレスレットはセットで売られており、同じ敷地内であればどこにいても反応するようになっていた。
おかげで、使用人はいつ鳴るか分からないベルを、聞こえる扉の外や待合室で待っている必要もなくなり、休憩も取りやすくなったと喜ばれた。雇い主の方も、必要以上に使用人を増やす必要がなくなったと言う。ただ、購入できるのは貴族か、名の知れた商人ぐらいだ。平民では、十年働いたとしても支払える金額ではなかった。
暫くすると扉がノックされ、外から「お嬢様、入っても宜しいでしょうか?」と年配の女性の声が聞こえてきた。
ヘルミーナが「入って」と返すと、執事長と肩を並べるほど古くから伯爵家に仕えているメイド長が入ってきた。いつもだったら女主人である母親の近くにいることが多い彼女だが、そういえば母親は実家に帰っていて屋敷にいないのだと納得した。
「おはようございます、お嬢様。良く眠れましたか?」
「私は昨日、どうしたのかしら……?」
これまで押し殺してきた感情が弾けて、子供のように泣きじゃくったところまでは覚えているが、その後のことは記憶になかった。
ベッドの上で眠っていたということは、泣いた後に自ら布団の中に入ったのだろうか。
むしろ、そうであってほしい。
「旦那様がご帰宅されたことをお伝えに参ったのですが、お嬢様が床で眠っていらしたので、ランス様にお願いしてベッドまで運ばせていただきました」
「……そう、ありがとう」
期待虚しく、つまりヘルミーナは泣き疲れてそのまま眠ってしまったということだ。
ヘルミーナは平然を装ったが、本当は顔を覆ってしまいたいぐらい恥ずかしかった。散々泣き続けた後に、床で眠ってしまうなんて幼い子供ではないか。
おまけにランスの手を煩わせてしまい、彼に対して申し訳ない気持ちになる。あまり弱みを握られたくない相手ではあったが、こればかりは仕方ない。ヘルミーナは「後でお礼を言わなきゃ」と呟き、ため息を漏らした。
「お嬢様が起きたら呼んでくるように、旦那様から言付かっております」
「お父様が……。すぐに支度するわ」
「承知しました」
ヘルミーナは気怠い体を起こした。
どんなに悲しいことがあった翌日でも朝は訪れ、体は目覚めようと動き出し、お腹が空腹であることを知らせてくれる。
瞼は見事に腫れ上がっていたが、心は思いの外すっきりしていた。
ヘルミーナは、いつものように地味なドレスを持ってきた若いメイドに「明るい色のドレスに変えて」と頼むと、メイドは花が咲いたような笑顔を見せて、すぐに別のドレスを選びに行ってくれた。その場にいた他のメイド達も嬉しそうだった。メイド長だけはそっと涙を拭っていたけれど。
──いきなり何かが変わるわけじゃない。
でも、ここから少しずつ変えていかなければ、本来の自分を取り戻せない気がする。
エーリッヒに言われるまま従ってきたヘルミーナではなく。
だから、まずは偽り続けてきた自分の殻を破るところから始めるのだ。
「お化粧はどのように致しますか?」
「…………とりあえず、この腫れた瞼があまり目立たくなるようにお願い……」




