18
レイブロン公爵家の帰り道。
ヘルミーナは馬車から窓の外を眺めながら、今日あった出来事を思い返していた。
考えないようにしても脳裏に焼き付いて離れない。
全てが夢のようだった。
火属性一族の筆頭レイブロン公爵家、その次期当主であるカイザーと、彼の妹であり王太子妃となるアネッサ、そして王太子殿下のルドルフ。
三人が一堂に集まったテーブルで、一緒にお茶を飲んだ。それだけでも信じられないのに、自分に光属性の魔力が宿っていたなんて。
偶然を装ったお茶会は、実のところヘルミーナの神聖魔法を確かめる為だった。けれど、彼らがいなければ永遠に気づかなかっただろう。
『貴女は平凡じゃないわ。もっと自分に自信を持つべきよ』
ぐしゃぐしゃに泣いた後、アネッサに連れて行かれたドレッシングルームで、ヘルミーナは着せ替え人形のようにドレスアップさせられた。
地面に跪いた時に汚れたドレスは、レースやリボンのついた黄色の可愛らしいドレスに変わり、髪型や化粧に至っては最初からやり直され、ヘルミーナに似合う出来栄えに仕上げてくれた。
そして、後ろに立ったアネッサは鏡に映るヘルミーナに向かって言った。
自分に自信を持って、と。
ヘルミーナは鏡の前で綺麗に着飾った自分を見てまた泣きそうになった。
周囲の目や評判に怯えて本当の自分を偽ってきたけれど、変わろうと思えばいくらでも変われる。
そんな自分に必要だったのは、たった一歩踏み出す勇気だったのだ。
『君がこれからどの道を歩むのか。私としては君の希望に添えるよう尽力したいと思っている。あとはヘルミーナ嬢の気持ち次第だ』
時間が経過しても輝き続けている聖杯を前に、ルドルフはヘルミーナにいくつかの選択肢をくれた。
貴族の家に生まれた以上、貴族として果たさなければいけない義務があると言われるのかと思った。
しかし、ルドルフは選択肢の一つに、能力を一生隠して生きていく道を含めてくれた。勿論、王家の監視は必要だろう。だが、ルドルフは臆病なヘルミーナに逃げ道を与えてくれたのだ。
その言葉にヘルミーナの心は揺れた。
ヘルミーナの魔力は少なく、聖女ほどの能力はない。彼女が「聖女」と呼ばれることはないだろう。だから、このまま誰にも伝えず生きていく道もあるのだと。
そうすればエーリッヒと結婚して、何事もなかったようにまた偽りだらけの人生を送ることになるだろう。一方、能力を公表してしまえばヘルミーナの立場は一転し、婚約の継続は難しいと言われた。
「私は、どうしたいんだろう……」
光の神エルネスはどうして自分に特別な力を与えたのか。
もっと他に相応しい人間がいただろうに。
ヘルミーナは流れるように過ぎていく街並みを見つめた。
辛うじて保たれた平和は、常に魔物の脅威に晒され、いつ黒い瘴気に覆われるか分からない危うさの中にある。
これまでも多くの騎士が戦い、犠牲になってきた。
とある騎士は誇りと信念を貫き、また別の騎士は愛する家族や恋人を守るため。今も国のどこかで尊い命が奪われている。
ふと、三百年前に存在した聖女のことが頭に浮かんだ。
彼女は貴族ではなく孤児だった。
義務に縛られていなかったのに、それでも聖女として多くの民を導いた。
もしかしたら彼女も臆病だったのかもしれない。
大切な人が怪我や病気をしたら、力を使わずにはいられなかったはずだ。
──弱虫だから。
見ない振りは出来なかったのだ。
ヘルミーナは手をぎゅっと握りしめ、瞳と同じ色の空を見上げた。
王太子殿下の勅令を携えた騎士団の騎士が二名、首都にあるテイト伯爵邸にやって来たのは翌日のことだ。
早すぎる対応に、ヘルミーナと家族は大慌てした。
数日ぐらいの猶予はあるだろうと考えていた昨日の自分を恥じたい。
ただ、見覚えのある騎士はどちらもヘルミーナに頭を下げると、「ルドルフ王太子殿下と、我が第一騎士団の副団長より、ヘルミーナ様をお守りするよう仰せつかりました」と言われて、天井を仰ぎそうになった。
本来なら、彼らが派遣されるのは三日ほど先だったらしい。
しかし、彼らが所属する第一騎士団の副団長つまりカイザーが、護衛に任命された二人を恨めしそうに見つめてきて、身の危険を感じた二人はここへ逃げて来たというわけだ。
王太子殿下のサインが入った手紙は、昨日の内にカイザーが早く用意するよう脅したのだとか。ヘルミーナは何も聞かなかったことにした。
さらに話を聞けば、二人はどちらも昨日、ルドルフの護衛に付いていた騎士だった。
桃色の髪をしたランスは伯爵家の次男で、明るい茶色の髪をしたリックは子爵家の長男で、どちらもレイブロン一族の者だという。
もしかしたら、ルドルフは始めからヘルミーナの護衛役として、彼らをあの場に連れてきていたのかもしれない。
すでにヘルミーナの能力を知っている二人は、能力が公にならないよう対処する役目も担っていた。
ルドルフはヘルミーナにつける護衛について、エーリッヒと共に参加した侯爵家のパーティーで、事もあろうか王族の前で魔法を使った輩がおり、その犯人をヘルミーナが見ている可能性があると説明したようだ。
魔法を使った輩こそヘルミーナなのだが、犯人から命を狙われる可能性があるため、犯人が捕まるまで護衛を派遣したと書かれていたらしい。
家族はヘルミーナの身を案じてくれたが、嘘をついていることに後ろめたさを感じた。でも、正直に話すことは出来ない。
ヘルミーナの護衛は、就寝中を除き二人が交代で行ってくれることになった。
今まで屋敷の中では護衛がつくことはなかっただけに不思議な気分だ。
屋敷では、暫く住むことになった王国の騎士に緊張していたが、ランスもリックも気さくな性格で皆と打ち解けるのが早かった。
とくに屋敷で雇っている私兵の訓練に付き合ってくれて、兵士は良い刺激を受けたようだった。
そうやって誰かの影響を受けて変わっていくのだろう。
自分も、また。
ランスとリックがやって来てから七日が経った頃、ヘルミーナの父親が一族の長であるウォルバート公爵に呼ばれて出掛けて行った。
何かが動き出している。
ヘルミーナは迫りくる変化に、立ち止まっている時間はないのだと実感した。




