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いつもヘルミーナに嫌がらせをしてくる令嬢が今の状況を見たら、どんな顔をするだろう。
きっと今まで以上に妬み、悪い噂を流すはずだ。
平凡な癖に婚約者のエーリッヒだけでは飽き足らず、レイブロン公爵家の跡取りまで侍らせている──、と。
「ヘルミーナ嬢、今度はそちらの手を」
カイザーの強烈な殺気に腰を抜かしたヘルミーナは、抱きかかえられて椅子に運ばれた。
同じテーブルには王太子のルドルフと、公爵令嬢のアネッサが着いている。
彼らが見守る中、カイザーは使用人にあれこれ指示するとヘルミーナの前に跪いた。
「あの、カイザー様……自分で出来ますので」
「遠慮しないで。君を怖がらせてしまったのは私だ」
先程まで恐ろしい威圧感を放っていたカイザーは、母親に叱られた子供のように肩を落とし、ヘルミーナの手を濡れたタオルで綺麗に拭いていた。否、磨いていると表現した方が正しいかもしれない。
爪先までピカピカにされ、ヘルミーナは周囲から向けられる生暖かい視線に居心地の悪さを感じた。
「体調はどう?」
「平気、です」
「来たときから体調が優れなかったようだ。それなのに、私のせいでまた気分を悪くさせてしまって」
カイザーは何度も、何度も頭を垂れて謝ってきた。
次期当主が自身の屋敷で、たかが伯爵令嬢にこんなにも謝罪している姿を見せても大丈夫だろうか。
沽券に関わるのではないか。
一抹の不安に駆られると、ヘルミーナの前に温かな紅茶が差し出された。
「とりあえずお茶を飲んで落ち着きましょう──お兄様も」
アネッサは侍女にお茶を準備させると、ヘルミーナに勧めてくれた。
ただ、未だ椅子にも座らずにいる兄に対しては、冷たい視線だけが送られた。
カイザーは渋々、ヘルミーナの隣に座った。しかし、彼の気遣いはこれだけで終わらなかった。
「ヘルミーナ嬢、紅茶に砂糖は必要かい? 蜂蜜やジャム、ミルクもあるが」
「それでは砂糖をいただきます」
カイザーの前にもお茶が用意されると、なぜかヘルミーナのカップを自らのほうに寄せ、砂糖の入った瓶を取った。
てっきり侍女に命じてくれるものとばかり思っていたのに、カイザー自らヘルミーナのお茶に砂糖を入れ、満足そうに戻してくれた。
ここまで甲斐甲斐しく世話をされると、嬉しさより居た堪れなくなってくる。
彼の立場を考えれば誰だって萎縮するはずだ。
「……お兄様、いい加減にしてくださいませ。またそうやって相手の負担も考えず」
「私のどこか負担だと? いつも通り振る舞っているじゃないか」
「いつも以上です。少しはヘルミーナ様の立場もお考え下さい」
そう言ってアネッサは額を押さえて首を振った。
ヘルミーナは悩めるアネッサに「公女様、私のことはヘルミーナとお呼び下さい」と伝えると、アネッサは「嬉しいわ。私のこともアネッサとお呼びになって」と笑顔で返してくれた。
社交界の花と呼ばれるアネッサに微笑まれ、ヘルミーナは頬を赤く染めた。彼女は座っていても威厳があり、お茶を飲む姿にも気品があって王太子妃に相応しい人だ。
女性たちが、彼女に憧れる理由がよく分かる。そんなアネッサとお茶を共にしているなんて、夢のようだった。
嬉しくてついアネッサばかり見つめてしまうと、視線に気づいた彼女と目が合って慌てて俯いた。
すると、アネッサはヘルミーナの緊張を解くように口を開いた。
「ヘルミーナ、我が兄上は女性と接するのが下手なのよ。だから気遣いの加減が分からないの」
「そう、なのですか?」
「アネッサ、余計なことを言うんじゃない」
カイザーの思いもしない話を聞かされ、ヘルミーナは思わず彼を見てしまった。
しかし、丁寧なエスコートはもちろん、女性を軽々と持ち上げてしまうカイザーからは想像もつかない。彼の優しさや気遣いは、むしろ女性に慣れているのだとばかり思っていた。
本当ですか? とカイザーに首を傾げると、彼の耳がカーッと赤く染まった。
王国の騎士として名を馳せている彼の意外な一面に、ヘルミーナは緩みそうになる口元を必死で堪えた。
ここで笑っては失礼だ──そう思って我慢したのに、別の方向から吹き出す声が聞こえた。
「フッ、アハハ。今日のお茶会は、実に楽しいな」
「……ルドは黙っていてくれ」
笑い声を上げたのは王太子のルドルフだった。
彼は暫くお茶を飲んで三人のやり取りを傍観していたが、ヘルミーナが落ち着いたのを見計らって輪に入ってきたようだ。
「王太子の私には随分冷たいじゃないか。彼女に対する優しさの半分でも分けてくれたら泣いて喜ぶぞ」
「泣きたいなら剣術の訓練でいくらでも泣かせてやろう」
「はぁ、私はこんなにも君を愛しているというのに。そうだろ、お義兄様?」
「アネッサ、今からでも考え直せ。ルドと結婚するのは止めたほうがいい」
さらりととんでもない事を言ってのけるカイザーに、ヘルミーナは飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
それは回避できたが、飲んでいたお茶が気管に入って咳き込んでしまう。慌てて口を押さえたものの、カイザーが騒ぎ立て、結局大事になってしまった。
咳は治まり、心配そうに見つめてくるカイザーに何度も「大丈夫です」と伝えたヘルミーナは、再びお茶に口をつけて喉を潤した。
その時、視線を感じて顔を持ち上げた。
「さて、テイト伯爵令嬢」
「……ヘルミーナとお呼び下さい、王太子殿下。先程はお見苦しいところを見せて申し訳ありませんでした」
「いや、こちらも驚かせてしまったようだ。今日はお忍びでね。出来ればここで私と会ったことは秘密にしてくれると嬉しいな」
彫刻のように整った顔が柔らかく微笑む。
しかし、どこか笑っていないようにも見える目元に背筋がゾクッとした。
ヘルミーナは頷くのが精一杯だったが、隣から伸びてきた手がルドルフとヘルミーナの間を遮った。
「彼女を脅すんじゃない。それから無駄に見つめるのも止めてもらいたい」
「おやおや、本当に重症じゃないか」
「ルド、あまりお兄様をからかわないで。それより折角のお茶会なんですから、まずはゆっくりお茶と食事を楽しみましょう」
──お話は、それから。
言われたわけでもないのに、言葉の後に続く台詞が聞こえてきて寒気がした。
当初と比べて和やかに始まったお茶会だが、ヘルミーナは妙に喉の渇きを感じて何度もお茶を流し込んだ。




