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「ひ、光の神エルネスのご加護がありますように。……エルメイト国の若き光、ルドルフ王太子殿下にご挨拶申し上げます。またご機嫌麗しく、レイブロン公爵令嬢様。本日はお茶会にご招待くださり、誠にありがとうございます……」
二人の元へ一歩ずつ進んでいくたび、死刑台の階段を登っている気分だった。
これなら他の令嬢たちから妬まれ、陰口を叩かれているほうが良かった。
全身から血の気が引いて、指先まで冷たくなっている。
それでもヘルミーナは彼らに膝を折り、ドレスを広げた。
震える唇できちんと挨拶出来ただろうか。
下げたままの頭を上げられずにいると、横から「ヘルミーナ嬢?」とカイザーの気遣う声が聞こえた。
──やはり、このままではいけない。
ヘルミーナは、ドレスを掴む指に力を込めた。
カイザーは社交界で流れている評判にとらわれず、ここまで誠実にエスコートしてくれた。その彼の手を、煩わせたくなかった。
「おっ、王太子殿下……! 申し訳ありませんでしたっ!」
カイザーの隣から離れたヘルミーナは、ルドルフとアネッサの前に出て、ドレスが汚れるのも構わず両膝をついた。
そして両手と額を地面につけて平伏した。
「恐れ多くも私は、殿下の前で魔法を使いました! 決して謀反や暗殺の意思があったわけではありません。ですが、許されぬ大罪を犯しました! 私の命はどうなっても構いません! ただ、私の家族と一族だけはどうか……っ!」
パーティーで犯してしまった過ちは、その場で首を斬られてもおかしくない行為だった。
それなのに、気づかないふりをしてやり過ごそうとした。
……本当に愚かだった。
でも、そんな愚かな自分のせいで、愛する家族が罰を受けるのは耐えられなかった。すでに多くの苦渋を味わわせてしまっているのに、これ以上迷惑をかけたくない。
ガタガタと震えながら両手を組んだヘルミーナは、家族と一族の為に必死で懇願した。
自分は殺されてもいいから、家族だけは……。
その時、背後から息も出来なくなるような威圧感が飛んできてヘルミーナは凍りついた。
「──っ、副団長!」
「何してんすか、反逆者にでもなるつもりっすか!?」
弾かれたように動いたのは、ルドルフの護衛騎士だった。
彼らはなぜか、帯剣していた剣を抜いてルドルフを守るように駆け込んできた。
その二人が焦ったように見つめるのはヘルミーナじゃない。
しかし、振り返ることは出来なかった。
少しでも動けば四肢をバラバラにされそうな恐怖があったから。
ヘルミーナは初めて「死」というものを感じた。
恐ろしくて声も出せずにいると、高まる緊張感を破ったのはアネッサだった。彼女はテーブルを叩いて立ち上がり、ヘルミーナの後ろに立っている兄に向かって声を張り上げた。
「お兄様、おやめ下さい! ヘルミーナ様がいるのをお忘れですかっ!」
遠くまで響き渡る声には力があった。
でも、どうしてそこに自分の名前が出てくるのか分からなかった。
一瞬の疑問は生まれたものの、ヘルミーナを圧迫していた空気が解けてそれどころではなくなった。
ようやく呼吸が出来るようになると、体は急いで空気を取り込もうとする。ヘルミーナは咳き込み、額に滲み出た嫌な汗を手の甲で拭った。
「ハハ。私は今、親友であり、部下である男に殺されそうになったのだな」
「笑い事ではありません、ルド!」
アネッサは、こんなことがあった後でも飄々としている婚約者を睨みつけ、ヘルミーナの元に駆けてきた。
それより早く、カイザーがヘルミーナの肩を掴んで崩れる体を支えてくれた。
「大丈夫かい、ヘルミーナ嬢!? 私はなんてことをっ」
「あの……今のは、魔法ですか……?」
「いや──私の殺気だ。本当にすまなかった。あのような男にヘルミーナ嬢が命を差し出すというので、我慢出来なかったようだ」
一国の王太子に対し「あのような男」と言える人物がいるとは。それに「殺気」という、穏やかじゃない言葉が聞こえてきて目眩がした。
なのに、カイザーはルドルフの存在など気にも留めず、ヘルミーナの心配ばかりしてくる。遅れてやって来たアネッサも「気分は?」と訊ね、冷たくなった手を握り締めてきた。
焦りと戸惑いが押し寄せる中、ルドルフだけは笑顔で騎士を下がらせると、ヘルミーナに向かって口を開いた。
「テイト伯爵令嬢。何か誤解があるようだが、私はただお茶を飲みに来ただけだよ」
「ええ、そうよ。貴女の命は私が保証するわ」
「それでは……私は」
ルドルフとアネッサから、命を差し出す必要はないと教えられてヘルミーナは脱力した。
つまり罰せられるというのはヘルミーナの勘違いだったのだ。
ホッと胸を撫で下ろすのも束の間、自分の行いが急に恥ずかしくなった。
一人早とちりして、普段は挨拶も交わせないような高貴な人達に迷惑をかけてしまった。
ヘルミーナは急いで立ち上がり、彼らに謝罪をしようとした。
しかし、立ち上がろうにも足腰に力が入らない。完全に腰が抜けてしまった状態に、いっそ気絶してしまいたかった。
なんとか打開策を探ると、突然カイザーが覆いかぶさるように体を寄せてきた。
「失礼するよ、ヘルミーナ嬢」
「カ、カイザー様っ!」
お願いしたわけじゃない。
けれど、カイザーはヘルミーナの状況を知ってか知らずか、軽々と抱き上げてくれた。
広い胸板と逞しい腕に抱かれて思考が停止する。
その一方で、ヘルミーナの鼓動は激しく脈打っていた。
止まっていた心臓が急に動き出したせいだろうか。
お礼を伝えたくても恥ずかしくて顔が上げられない。せめて、密着しているカイザーに、この心臓の音が聞こえないことを祈った。
そして、ヘルミーナは空いている椅子に運ばれ、ようやくお茶会の席に着くことが出来た。




