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『──様、……ラゴル様』
どこまでも続く城壁を見下ろす、城塞の塔の上。
昇り始めた陽が白い長衣を照らし、背に流れる黄金の髪が輝いていた。
『……昨晩のこと、忘れません。また、ここへ……戻ってきます。その時は──』
女性が最後の言葉を伝え終わらない内に、日陰から伸びてきた腕に強く引き寄せられて、彼女の身体が吸い込まれていく。
『お慕いしております……アニカ様』
陰から低い声が聞こえてくる。ようやく絞り出したような声は、愛の囁きだった。甘いはずの言葉は胸が締め付けられるほど切なく、別れの匂いを含んでいた。
それでも女性は「……嬉しい」と声を震わせながら零し、自ら彼の腕の中に包まれていった。
彼女を抱きしめる彼の手には、白い光を放つ魔法石が握り締められていた……。
★★
家族と抱き合い、互いの無事を喜んだところまでは記憶がある。
しかし、その後は暗転し、次に目覚めた時には懐かしさの残る部屋にいた。伯爵邸の自室──ヘルミーナは体を起こし、辺りを見渡した。
生まれた時からずっと過ごしてきた部屋は、王都へ行く前のまま大きく変わっていない。
「何か、大事な夢を……」
見ていたような気もするのに、額を押さえて思い出そうとしても、悲しい思いだけが残っている。頭を下げた拍子に髪が滑り落ち、水色の髪が布団の上で広がった。
その時になって、直前までの出来事を思い出した。
窓の外は夕暮れ色に染まり、思った以上に時間が過ぎていたことを知る。
ヘルミーナは寝巻姿にガウンを羽織り、慌てて廊下へ飛び出していた。
父親の寝室へ向かおうとすると、シーツを運んでいたメイドが気づいて「お嬢様!」と声を上げた。
「お父様は!? みんなはどこへいるの!?」
状況が分からず焦りだけが募るヘルミーナに、メイドは「落ち着いてください、お嬢様。皆さまご一緒です」と教えてくれた。
その顔に悲壮感はない。赤く泣き腫らした目には、喜びの色が浮かんでいた。
「旦那様も無事で、食堂に集まっております。皆さま、お嬢様が起きるのを待っていました」
「そう、分かったわ!」
食堂にいると言われ、急いで食堂へ向かった。
屋敷へ駆けつけたときの静寂は、もうなくなっていた。すれ違った使用人たちは日常を取り戻したように動き出し、廊下を駆けていくヘルミーナの姿を見かけると皆が笑顔になった。
「お父様!」
扉を開いて食堂に飛び込むと、テーブルに並んだ食事の先に楽しそうに談笑しながら待っている両親と弟妹の姿があった。
「あ、お姉様だ!」
「本当に来たわ!」
「噂をすれば、だな。お腹を空かせて、うちのお転婆娘が起きてきたようだ」
「ヘルミーナったら……またそんな恰好で」
四人は目の前に食事があるにも関わらず、手をつけていなかった。ひとつ空いた席には、ヘルミーナがすぐに食べられるように席が設けられていた。
変わらない家族の光景に、思わず目頭が熱くなる。泣くまいと涙を堪えて立ち尽くしていると、セルジュとエヴァが椅子から降りて、ヘルミーナのもとへ駆け寄ってきた。二人は揃ってヘルミーナの手を取ると、席まで連れて行ってくれた。
「やっぱり僕たちの姉上は自慢です」
「お姉さまかっこよかったです!」
二人が揃って伝えてくれた言葉に目を丸くすると、セルジュもエヴァも照れ臭そうに笑い、席に戻っていく。
「さあ、ヘルミーナも座りなさい。食事にしよう」
父親がワインの入ったグラスを持ち上げると、使用人たちが一斉に動き出した。
まるで、何事もなかったように振る舞ってくれる家族に、懐かしさだけが残り、ヘルミーナは「はい!」と頷いて、久々に家族揃って食事をとった。
重傷を負って運ばれてきたはずのテイト伯爵が、元気な姿で使用人たちの前に姿を見せると、皆は一様に安堵の表情を見せ、中には涙ぐむ者もいたという。それだけ父親が愛される領主であることが窺える。
食事をとった後、食堂には父親とヘルミーナだけが残った。
離れるのを名残惜しそうにしていたセルジュたちに「また明日、遊びましょう」と約束すると、二人は母親に連れられて出て行った。
ヘルミーナは改めて父親の無事を確かめ、それから事の顛末を聞いた。
最初こそ、父親はどこまで話すべきか悩んでいる様子だった。だが、結局知られてしまうことだと頷き、両手を組んで親指を動かしながら口を開いた。
「我が伯爵家と競うように、カレントの港町に拠点を置いていたロワイエ侯爵家が最近になってさらに事業を拡大してな。高い賃金で船乗りを募集したことで、これまで船乗りに興味のなかった者たちまで大量に雇い入れたようだ。さらにベテランの船乗りには特別待遇を提示し、他の商船からも人が侯爵家に流れたと聞く」
父親はそこで一度言葉を切り、苦々しげに眉を寄せた。
ロワイエ侯爵家と聞いて、ヘルミーナは第二騎士団長ダニエル・ロワイエの姿を思い出した。かつて自分の前に膝をつき、謝罪してきた男だ。けれど彼は騎士の道を歩んでおり、家の事情にどこまで関わっているのかは分からない。
「きちんとした見極めもせず、金で人をかき集めた結果だろう。船にも乗ったことのない者や、素行の怪しい者まで港に流れ込み、カレントの治安は目に見えて荒れているらしい」
ロワイエ侯爵家は急速に規模を広げた代わりに、そこまで管理が行き届いていないのかもしれない。
ヘルミーナがカレントへ派遣された時も、よそから来た船乗りが治療代を払わず去ることが相次いでいた。そのしわ寄せで、こちらの船乗りが治療を断られることもあった。
さらに父親は一度だけヘルミーナの顔色を窺ってから、ため息交じりに話を続けた。
「それから、ロワイエ侯爵家の令嬢と、ウォルバートの英雄とも云われているエーリッヒとの婚約が公になったことも大きい」
「エーリッヒの、婚約が……」
未練はないと思っていても、子供の頃からずっと一緒に過ごしてきた仲だ。
その相手が、自分との婚約を解消してすぐに次の婚約を決めていた。
「お前の婚約を解消した後、あちらはロワイエ侯爵家と手を結んだようだ。船乗りはまだこちらに残っているが、船の修繕や整備に回る職人たちが次々と向こうへ引き抜かれてしまってな。人はいても船が出せない」
ただ、それが今回自分たちの事業を止める一因になっているのだと思うと、複雑な心境だ。
船乗りだって生活がある。
船が出せなければ、彼らだって生きていくのに必要な給金が手に入らない。
その時になってヘルミーナは、なぜ父親が鉱山の方で魔物に遭遇し、重傷を負ったのか気づいた。
このテイト伯爵領には鉱山があり、アクアマリンが手に入る。大きな事業には至ってないが、船乗りたちが路頭に迷わないように、彼らをそこでも雇えるように事業を拡大しようと父親は動いていた。
「……それで、お父様は鉱山に行ったのですね」
ヘルミーナは俯き、膝元で手を組みながら口を開いた。
自分の知らないところで、家族たちは領地のために奮闘していた。
「どうして話してくれなかったのですか……」
「お前だって歯を食いしばって新しい場所で頑張っているのに、父である私が弱音を吐いてどうする」
少し拗ねたように言うと、父親はふっと表情をゆるめた。
伸びてきた手が一度だけぽんと頭を叩き、その温もりにじわりと胸が熱くなる。
「ヘルミーナ、お前は自慢の娘だ」
「お父様……」
「たとえ、これからお前を取り巻く環境が変わろうとも、それだけは変わらない」
ヘルミーナは変わらない愛情を向けてくれる父親の言葉に息を詰め、それから解けるように息を吐いた。
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誤字脱字報告等、ありがとうございます!
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