番外編「幸福の音色」
騎士団の病室は騎士の墓場だ。
赤黒い血に染まった床、漏れ出す呻き声と嗚咽、そして轟く悲鳴……目の前に広がるのは、いつだって絶望に満ちた光景だった。
辛うじて命を繋ぎとめても、騎士として復帰できないと知ると自ら命を絶った者もいる。
そこはまさに戦場だった。
自分の存在意義さえも見失ってしまうほどの過酷さに、何度も心が折れかけた。
だが、ここまで歯を食いしばってこられたのは、幼少期より崇拝し、憧れ、追いつきたいと思う存在がいたからだ……。
★ ★
騎士団の食堂で昼飯を取るヘルミーナの元に、数人のメイドが集まってきた。
彼女たちが離れていくと、そこへすかさず護衛のパウロがやってきた。
「どうかされましたか?」
「メイドの皆さんから焼きたてのクッキーをいただきました」
「……食べ物、ですか。念のため毒味させていただいても?」
「え、大丈夫ですよ……?」
しかし、パウロは頑として譲らず、ハンカチに包まれたクッキーを一枚手に取ると口に放り込んだ。
「問題ないですよね?」
「……私が疑い過ぎたようです。申し訳ありません」
丁寧に頭を下げてきたパウロに、ヘルミーナは慌てて首を振った。自分が安心して過ごせるのは彼らのおかげだ。
すると、パウロはばつが悪そうに首の後ろを撫でた。
「その……実は、騎士と仲良くしていると女性同士の間でいざこざがあると妻から聞かされていたもので」
「もしかしてレナさんも被害に?」
「いえ、妻の場合はあるメイドと仲良くなったところ、それに嫉妬した他のメイドがその子に嫌がらせをしていたようです」
──ああ、原因を作ってしまった方か。
確かに騎士の彼女は、女性から見ても格好良かった。
一人納得して頷いていると「でも、なぜヘルミーナ様に?」と訊ねられて、ヘルミーナはクッキーの詰まったピンク色のハンカチを見下ろした。
「それは私が病室で働いているからだと思います。以前、病室からシーツを運んでいたとき、彼女たちが代わりに洗ってくれました」
「なるほど、そういうことでしたか……」
騎士の墓場と呼ばれた場所で働くヘルミーナに、彼女たちは同情しているのだ。
「本当のことを話せないのが心苦しいです」
「いずれ彼女たちも知る時がきますよ」
それまでは隠し通さなければいけない。ヘルミーナの正体も、すっかり変わってしまった病室の現状も。
食堂を後にし、パウロと話しながら病室に戻ったヘルミーナは、そこに見慣れた騎士たちの姿を見つけて目を丸くした。
「……お二人ともどうされたんですか?」
病室で待っていたのは、ランスとリックだった。どちらも団服はボロボロに破れ、体中傷だらけである。
「もう聞いてよぉ。うちの団長が容赦なくて……っ」
「……私は副団長でした」
本日は朝から第一騎士団が、演練場で訓練を行っていた。
これぐらいの怪我で済んだことを喜ぶべきか。ヘルミーナはすぐに神聖魔法を使って二人を治癒した。
ヘルミーナが覚醒したのは、どんな怪我や病気も治癒してしまう光属性の魔法だ。国でも唯一の存在に、現在は王宮で保護されている。
「あれ、どこからか美味しそうな匂いがするー」
「鼻が利きますね、ランス。いただいたクッキーですが食べますか?」
治癒を施した傷口は瞬く間に塞がり、最初から何もなかったように完治してしまった。
──奇跡の魔法だ。
「いいの? 食べる!」
「お前というやつは全く」
訓練に戻らなくても大丈夫か心配になったが、元気になった二人にヘルミーナは口元を緩めた。
「ミーナ様はランスとリックを気軽に呼んでいるんですね」
ランスとリックの二人は、ヘルミーナが自身の覚醒に気づいた時から一緒だった。
「そういえば、すっかり呼び捨てにしてしまっていますね。今からでも直した方が良いですか?」
騎士団で働かせてもらうまで身分を偽りに偽り、今では立場が逆転してしまっている。今なら二人に敬称をつけて呼ぶのが正しい。
しかし、彼らは互いの顔を見合わせると首を傾けた。
「今更、だよね?」
「今更、だな……」
彼らは民から尊敬される騎士で、年齢も上だ。
王太子ですら二人に「卿」を付けて呼んでいるのを聞いている。
「俺は全然ヘーキだよ。それに俺だってミーナちゃんって呼ばせてもらってるし」
「私も気にしていません。ただ、そうですね。皆の前では立場を隠されていますから、そちらだけ気をつけていただければ」
ランスとリックが揃って「そのままで」と答えると、横に立っていたパウロは「私も是非、気軽にお呼び下さい!」と鼻息を荒くして言ってきた。もちろん丁重にお断りしたが。
「呼び方って言えば、副団長がいまだにミーナちゃんをフルネームで呼んでいるのが心配で仕方ないよ」
「副団長は不器用だからな」
「不器用のお手本だよね~」
容赦なく上司をなじる彼らに、何と声を掛けていいのか。悩んでいるところへ、病室のドアがノックされた。
「戻ってこないと思ったら私の噂話か?」
噂をすれば何とやら、だ。突然現れたカイザーに、ヘルミーナたちは驚きを隠せなかった。
噂をしていた騎士たちは固まって動けず、代わりにヘルミーナがカイザーを出迎えた。
「ヘルミーナ嬢……。その、部下の具合を確認に」
「そうだったんですね。二人なら治癒して、どこも異常はないです」
部下が心配になって駆けつけてきたのだろう。後ろから「絶対違う」という声が聞こえてきたが、敢えて無視しておいた。
「てか、副団長! いつまでミーナちゃんをヘルミーナ嬢って呼ぶつもりっすか。これじゃ身分隠していてもすぐにバレちゃいますよ!」
「な、なんだ、いきなり」
前置きもなく急に批難されたカイザーは、ランスの勢いにたじろいだ。
いつもなら止めに入るリックも、今回ばかりはパウロと並んで深く頷いていた。
ランスは簡単に経緯を説明すると、カイザーは額を押さえて唸った。
「ぐ。私だって呼び方を変えるぐらい簡単に……」
「じゃ試してみるっすか? ご褒美はミーナちゃんからクッキーが貰えるっすよ?」
せっかく貰ってきたクッキーがいつの間にか懸賞品になってしまっている。まだ一口も食べていないのに。
けれど、止められる雰囲気でもなかった。
ランスはカイザーの背中を押してベッドに腰かけさせた。同時に、カイザーの前に用意された椅子にはヘルミーナが座らされる。
「何も本人の前じゃなくても」
「いやいや、それ意味ないっすから。はい、どうぞ!」
普段のカイザーは威厳があり、近寄りがたい存在なのに、今の彼はどうだろうか。
まるで、周りから虐められている大型犬ではないか。耳と尻尾があったら元気なく垂れ下がっている気がする。
「ヘ、ヘル……ミ、────ミーナ」
応援したい気持ちに駆られた時、肩をぷるぷる震わせ、耳まで真っ赤になったカイザーに名前を呼ばれた。
瞬間、いけない扉を開きそうになった。これはなかなか癖になりそうな遊びである。
しかし、カイザーの試験は長くは続かなかった。
「──随分楽しそうなことをしているな、お前たち」
足元にゾッとするような冷気が流れ込んできたからだ。
「ぎゃあっ、団長!」
「──っ、マティアス団長!」
開いたドアに腕を組んで寄りかかるマティアスの姿を見つけた時、カイザーたちは慌てて立ち上がった。
「そんなに元気なら纏めて私が手合わせをしてやろう」
「い、いや、私は……っ」
「俺はもうやったっす!」
「……私も遠慮させていただきます」
全力で拒否する彼らに、マティアスの目は本気だった。
阿鼻叫喚になる病室に、医者のロベルトが休憩から戻ってきた。
「おいおい、ここは遊び場じゃねーぞ」
ロベルトが追い出しにかかると、来たときより顔色を悪くしたカイザー、ランス、リックの三人が病室を飛び出していった。その後をゆっくりとした足取りでマティアスが追いかけて行く。
その様子に、ヘルミーナとパウロは堪え切れず吹き出していた。
★ ★
「……ったく」
笑うヘルミーナとパウロを眺め、ロベルトは肩を竦めた。
少し前まで戦場であり墓場であった場所は、洗い立てのシーツが敷かれたまま、看病する怪我人は一人もいない。
奇跡の癒しが宿った病室は、今ではすっかり騎士たちの談話室になっている。
医者としては複雑だが、今日も病室は笑いの絶えない幸福の音色を奏でていた。




