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王城の隠し通路を進み、王族だけが入ることを許された最奥部。
狭い部屋の中に、緊急用の転移装置があった。
転移先が決まっている他の物とは違い、国中どの場所にも繋がることができる。まさに王族が、緊急時に利用するための装置だ。
ここまで案内してくれたのはルドルフ本人だ。長年仕えた彼の侍従であっても、足を踏み入れることは許されなかった。
ただ、複雑に入り組んだ迷路のような通路は、一度歩いただけではとても覚えられない。来た道を戻れと言われても無理そうだ。
「もちろん他言無用だよ。それからこの転移装置は片道切符だ。飛んだ先からここへ戻ることはできない。他の者たちも至急向かわせるが、君たちよりずっと後になるだろう。どうか、無茶だけはしないように」
ルドルフは自ら転移装置を操作し、転移先にテイト伯爵領を選択した。転移装置は二人がギリギリ乗れるほど小さく、しっかりくっついてないと落ちてしまいそうだ。
二人は灰色の外套に身を包み、顔が隠れるほど深くフードを被った。
「マティアス卿、ヘルミーナ嬢を宜しく頼む」
「お任せください」
マティアスが頷くと、ヘルミーナを抱き締める腕にも力が入った。密着した体から伝わってくる体温や、一定のリズムを刻む鼓動に、最初ほどの恐怖はなくなっていた。
離れないように彼の外套を握り締めれば、転移装置が起動して足元から光が舞った。
場所が繋がった先は、テイト伯爵領──ヘルミーナにとっては生まれ育った場所だ。
アルムス子爵家の応接間──エーリッヒは、差し出された婚約証明書に不快感を示した。
自ら応じた取引とは言え、やはり気分の良いものではない。
彼が本当に結婚したいと思っていた相手は、子供の頃から決まっていた婚約者ヘルミーナ・テイトただ一人だ。それが、婚約を解消することになり、他の女性と婚約を結ぶことになったのは想定外の出来事だった。
エーリッヒは朝早くから予定になかった来客を出迎え、うんざりした様子で前髪を掻き上げた。
「……ウォルバート公爵が前もって公言してくれたおかげで、君との婚約に支障はなかった」
「ええ、貴方の家門も侯爵家の傘下に加わり、ウォルバート一族の英雄という看板も予定以上の効果を発揮しているわ。おかげで、テイト伯爵家が抱えていた事業の半分は取り込めたわね。これで侯爵家の後継者は私が相応しいと、皆が納得するわ」
セリーヌは真っ赤に塗られた唇を持ち上げ、満足そうに淹れたてのお茶を口に含んだ。
傲慢で傍若無人な彼女は、いくら英雄と称えられているエーリッヒの前でも態度を改めたりしない。セリーヌは明らかにエーリッヒを見下していた。……ヘルミーナであれば、決してそんなことはなかったのに。
「事業の拡大は良いが、伯爵家が所有していた貿易船まで奪ったのは、やり過ぎだったんじゃないのか? それに、伯爵家の息がかかった船乗りたちを全員クビにしたと聞く」
事業を奪われ、領民たちの仕事まで横取りされた伯爵家は、これから多くの失業者を抱えることになるだろう。
それとは裏腹に、侯爵家では他所から来た船乗りたちを次から次に抱え込んでは働かせ、ろくに管理もせず貿易の拡大を推し図ったことで、カレントの港ではならず者が増えているという。
けれど、当の本人たちはその状況を重要視しておらず、現場任せになっていた。
「ふふ、海がダメなら山に行けば良いだけのこと。テイト伯爵領は鉱山があるじゃない? 石でも掘れば生活には困らないんじゃないかしら?」
「──っ、令嬢は……」
血も涙もない人間かと思ったが、優雅にお茶を飲む姿を見れば、彼女が貴族の中の貴族だということが理解できた。
下の者が苦しんでいようが、その声はセリーヌの元まで届いてこない。もし、耳に入ってきたとしても、彼女は何とも思わないだろう。生まれた時からそういう環境で育ってきたのだから。
下の者たちとは言え、身分に関係なく仕事仲間として全体に気を配っていたテイト伯爵とはまるで違う。
エーリッヒは唇を噛みしめ、すぐに頭を振って婚約証明書を握り締めた。
「いや、何でもない。……私がヘルミーナを取り戻したら、婚約は解消する」
「ええ、最初からそういう契約ですもの」
目を細めてにたりと笑うセリーヌに背筋がゾッとした。女性に対してここまで嫌悪感を覚えたのは初めてだ。
一体何人の人生を狂わせたら、その笑顔だけで相手を慄かせることができるのか。
エーリッヒはセリーヌを室内に残し、廊下に出て執事を呼んだ。
──この婚約に、今更ながら後悔している。
しかし、ここまで話が進んでしまった以上、後戻りはできない。一刻も早く元のあるべき形に戻るため、自分ができることはヘルミーナを取り戻すことだけだ。
「テイト伯爵家に使いを。伯爵令嬢に会わせてくれたら、アルムス子爵家はいつでも便宜を図ると──」




