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王国騎士団で社交的かつ人気者だったランスが退団すると、突然の出来事に様々な憶測が飛び交った。
その大半は女性関係に関するもので、ついに人妻に手を出して辞めさせられた説が最も有力視された。
それに対し他の騎士たちは肯定もしなければ、否定もしなかった。皆、そんな醜聞を流されるあいつが悪いというスタンスを貫いた。
一方、ヘルミーナだけは噂の真相を訊ねられるたびに否定してきた。
ランスは決してそんな男ではない、と。むしろ、自分のために騎士を辞めていったことを思うと申し訳なくなる。何より、真実を伝えられないことが悔しかった。
ランスが騎士団を去ってから暫くは、噂を聞きつけた貴族令嬢たちが押しかけてきた。
他にも沢山の手紙が届き、次にお付き合いするのは私の番だったのにと悲しみに暮れる内容が紙いっぱいに書かれていたらしい。代わりに受け取ったレイブロン公爵が、頭を抱えていたという話を聞かされた。なんとも罪な男である。
ただ、それだけ女性たちから慕われていたのだろう。彼の退団を悲しみ、寂しさに泣き出す女性はいても恨みごとを吐く人は誰もいなかった。
騎士団でこの状態なら、ランスの実家であるディゴーレ伯爵家はもっと凄いことになっているかもしれない。
それを除けば、ヘルミーナの周りは比較的平和だった。
仲間が一人いなくなっても、騎士団の日常は変わらなかった。最初は寂しく思っていたヘルミーナも、一日、一日……と過ごしていく内に、目の前のことに集中できるようになった。
騎士団での治療、魔道具の改良依頼や魔法水の精製、他にも魔法石の付与など、何かと忙しい日々を送っていた。
ふとした瞬間に胸を突く寂寥感を紛らわすためだったのかもしれない。
それでも自分より長く過ごし、共に戦ってきた騎士たちが堪えている以上、ヘルミーナもまた口を閉ざした。
そんな時、ルドルフに呼ばれて王太子の執務室に向かった。すっかり使用人のような恰好が板についてきたせいか、王宮を歩いても気に留める貴族は誰もいなかった。
フィンの後について執務室に入っていくと、中には待ってましたとばかりにアネッサが目の前に飛び出してきた。
「ヘルミーナ、ついにこの時がきたわ! 良く頑張ったわねっ!」
ヘルミーナはアネッサを抱き留めつつ首を傾げると、離れたところから咳払いが聞こえてきた。ただ、部屋の雰囲気はこれまで以上に穏やかなものだった。
ヘルミーナはアネッサに手を引かれるまま、促されたソファーに腰を下ろして目の前に座るルドルフを見つめた。
「ゴホン……まずは、おめでとう──と、言っていいのかな」
彼にしては珍しく曖昧な言葉で切り出すと、持っていた書類をヘルミーナの前に差し出してきた。
テーブルに置かれた一枚の紙に視線を落とすと、それがすぐに自分の婚約に関する内容であることが分かった。
「正式に君と、アルムス子爵家の子息との婚約が解消された。これで君は自由だ」
「あ……」
十年近く繋がっていたエーリッヒとの関係が、完全に途切れた瞬間だった。
ヘルミーナは婚約解消を認める証明書を手に取り、改めて書かれている内容を確認した。
あんなに早く離れたいと思っていたのに、今では遠い過去の出来事に思えて実感が湧かなかった。それでも、自分たちの名前が書かれた書類を見ると複雑な気持ちになる。
すべてが過去の産物になり、今では何を思い悩んでいたのかさえ思い出せないぐらいだ。エーリッヒと再会したのもつい最近のことなのに、彼がどんな風に喋り、どんな風に笑い、どんな風に隣にいてくれたのか、それすら薄れかかっていた。
すると、固まったように動かなくなったヘルミーナを心配して、ルドルフが「大丈夫かい?」と声をかけてきた。
「……幼い頃からずっと一緒に過ごしてきたのに、今では彼の存在もあまり思い出せなくなっているなんて、私は薄情者ですね」
以前のヘルミーナなら考えられなかった。酷い扱いを受けても、優しさに溢れたエーリッヒを思い出しては自らを慰めてきた。
しかし、今は何の感情も湧いてこない。もちろん完全に失われたわけではないが、明らかに昔とは違っていた。
自分がこれほど冷たい人間だったとは思わず自嘲気味に笑うと、ルドルフとアネッサは首を振った。
「それは君が彼から離れ、自分なりの道を歩み始めた証拠じゃないかな?」
「ええ、そうですとも! ヘルミーナが申し訳なく思う必要はないわ! 婚約者だからと言って、相手をぞんざいに扱った向こうが悪いのよ……っ!」
アネッサは怒りが収まらず、今にもエーリッヒの元へ乗り込んでいきそうな勢いに、当の本人であるヘルミーナは口元を緩ませた。もし、以前の自分と違うことを上げろと言われたら、それは味方になってくれる人たちがいるということだろう。
ヘルミーナはお礼を言って、自分もまた二人の味方になることを心の中で誓った。
後日、国王陛下の最終承認により、テイト伯爵令嬢ヘルミーナとアルムス子爵子息エーリッヒの婚約は、正式に白紙となった。
社交界では瞬く間にその知らせが広がった。
多くの者たちは「やはり」「そうなると思った」と納得し、エーリッヒとの婚約を目論んでいた女性たちは胸を躍らせた。
しかし、エーリッヒの婚約が解消されたのを見計らい、一族の長であるウォルバート公爵はエーリッヒに男爵の爵位を与え、公爵家の親戚筋にあたるロワイエ侯爵家の令嬢を彼の婚約者にすることを公言した。
エーリッヒと侯爵令嬢セリーヌの婚約が公になると、エーリッヒを娘婿に迎えようとしていたレイブロン一族はあっさり身を引いたと言う。
一方、エーリッヒの元婚約者であるヘルミーナについては、誰も彼女のその後を知る者はいなかった。
元から親しい友人もおらず、修道院に入ったのではないか、屋敷に引き籠もっているのではないか、貴族から抜けて市井で暮らしているのではないか、と噂は立ったものの、しばらくすると多くの者たちは興味を無くし、ヘルミーナ・テイトの存在は社交界から消えていった。
肝心のヘルミーナといえば、皆が羨む王宮の敷地内で暮らしていたのだが、彼女を知る者たちからそれらが漏れることはなかった。
ヘルミーナは自分を取り巻く環境に感謝しつつ、エーリッヒとの関係が終わったことで気持ちも新たに歩み始めようとしていた。
しかし、そんな矢先ヘルミーナの元へ良くない知らせが飛び込んできた。
──領地に戻っていたヘルミーナの父、テイト伯爵が魔物に襲われて重傷を負った、と。
報告を受けたヘルミーナは、頭の中が真っ白になった。ただ、そこにエーリッヒたちの婚約が関わっているとは、その時はまだ思いもしなかった。
お待たせしました。5章後半を更新していきます。
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