09
レイブロン公爵令嬢に招待されたお茶会に出席する日、ヘルミーナは朝から憂鬱だった。
それでもメイド達によっていつも以上に磨かれ、青色に銀の刺繍が入った鮮やかなドレスに袖を通す。
今日は自分だけだから、少しだけお洒落をした。
白い首元にテイト領地から取れたアクアマリンのペンダントを飾ると、勇気をもらえた気がした。
けれど、家族や使用人に見送られて護衛の騎士と乗り込んだ馬車の中で、ヘルミーナは胃痛を感じて胸元を押さえた。
護衛の騎士が何度も「引き返しましょう」と言ってくれたが、彼女は首を振った。
戻ったところで、地に落ちた評判がさらに悪くなるだけだ。
ヘルミーナは痛みをぐっと堪え、招待された時間に間に合うことだけを考えた。
他は、祈っても仕方がないと諦めて。
「到着しました、お嬢様」
暫く揺れながら走っていた馬車は、レイブロン公爵家に辿り着いた。
公爵家らしく堂々とした門構えに緊張が高まる。
敷地の中に通されると、窓から広大な敷地に建てられた赤いレンガの屋敷が見えてきた。
完全に馬車が止まると、先に降りた騎士が心配そうな面持ちで手を差し出してきた。
ヘルミーナは迫り上がってくる胃液を飲み込む、騎士の手を取って馬車から降りた。
そして足が地に着いた瞬間、ヘルミーナは目の前に広がる光景に驚いた。
「ようこそ、おいで下さいました。ヘルミーナ・テイト様」
執事と思われる若い男性が頭を下げると、彼の後ろに並んでいた二十人ほどのメイドが一斉に頭を下げた。
その一糸乱れぬお辞儀に、ヘルミーナは言葉を失った。
公爵家ではお客様を迎える時は、これが普通なのだろうか。
ヘルミーナの屋敷では主である父親が帰ってきても、ここまでではない。
圧倒される出迎えに固まってしまうと、そこへ一人の青年が現れた。
「テイト伯爵令嬢、またお会いできて嬉しいです」
「……貴方は」
「申し出るのが遅くなりました。私はレイブロン公爵家長男、カイザー・フォン・レイブロンと申します。本日は妹、アネッサのお茶会に足を運んでいただき感謝します」
そう言って、彼はあの日と同じ穏やかな表情を浮かべた。まさか、レイブロン公爵家の子息だったとは。
ヘルミーナでも彼のことは知っている。
レイブロン公爵家の跡継ぎで、王国が誇る第一騎士団の副団長だ。
優れた剣術と力技で魔物をなぎ倒していくこともあれば、火魔法で魔物の群れを焼き払ったこともあるのだとか。
騎士の仕事が忙しく、公の場に出てくることはあまりないが、それでも彼の武勇伝を耳にしない集まりはなかった。
他には、隣国の第三王女と婚約していたが、魔物と戦う彼の姿を見て恐ろしくなり、王女は婚約を破棄して自国に戻ってしまったという噂もある。本当のことは知らない。
それほど素晴らしい人が、あの日声を掛けてきてくれた青年だとは思わなかった。
武勇伝ではもっと恐ろしい人を想像していた。確かに、鍛えられた肉体はヘルミーナの二倍はあるようだが、こちらを見下ろしてくる目は、気恥ずかしくなるぐらいの優しさで溢れていた。
「あ、あの……レイブロン家の公子様とは知らず。私の無礼をお許し下さい……っ」
「いいえ、名乗りもせずに声を掛けてしまった私が悪かったのです。それより今日もあまり顔色が良くありませんが」
「だっ、大丈夫です、本当に!」
ヘルミーナは慌ててドレスを広げ、頭を下げて己の無礼を謝罪した。
彼もまた王太子や公爵令嬢と並んで挨拶しなければいけない相手だった。それなのに名前も訊かず立ち去ってしまうなんて。
これから彼の妹とお茶会だというのに、ヘルミーナは後悔を滲ませた。やはり自分は「お荷物婚約者」で「無能な婚約者」なのだ。
頭を下げたままでいると、どこからかゴホンと咳払いする声が聞こえた。
それにいち早く反応したのはカイザーだった。
「あ、頭を上げて下さい! こんな場所で立ち話させてしまい、すみません」
「私は、平気です」
「そういうわけにはいきません。妹は別の招待客を案内しているので、嫌でなければ私が貴女をご案内しても宜しいでしょうか?」
「嫌だなんて……っ」
絶対に、口が裂けても言えない。
けれど、素直に「はい」とも言える相手じゃない。
ヘルミーナがカイザーのエスコートに躊躇していると、若い執事がやって来て「ご遠慮なく」と背中を押してくれた。
ヘルミーナは小さく頷き、腕を組んで差し出してきた彼に「……では、お願い致します」と、小さな手を添えた。
カイザーの腕に手を添えて歩き出すと、公爵家の使用人たちが一様に安堵した表情を見せたのは気のせいだろうか。
それより、ヘルミーナはお茶会の前に自分は燃え尽きてしまうんじゃないかと不安になった。




