怒りの日
そっと口にした恐怖がぷちっと音を立ててその中で弾けると、後はもう止まらなかった。それは忽ちの内に宇宙創世も斯くやと思わせる勢いで、時間など全く必要としなかったのではないかと思える程の猛烈さで世界の隅々にまで広がり、浸み渡り、その圧倒的な物量で以てあらゆるものを薙ぎ倒し、捩じ伏せ、真ッ赤な激流となって轟然と荒れ狂った。私は行動することも思考することも出来ずに只の白痴の様に呆けた儘ぼうっと立ち尽くすのみで、目の前で繰り広げられている大狂乱の激痛の魔宴に悲鳴を上げることさえせず、自分の見たものを理解しようとさえしなかった。どす黒く厭らしい塊が赤い濁流に半ば呑まれつつも実に醜怪に転げ回って行き、そこで掻き乱された流れが膿の様な白い汚穢を撒き散らし乍ら、ずっと下流にまでその穢れを引き摺って行った。何か酷く悍ましい形をしたものが聞くに耐えない音声で絶叫を喚き散らし乍ら巻き込まれ、やがて見えなくなったが、私はそれの正体について考察を巡らせることもしなかったし、それが暗示しているかも知れぬ身の毛もよだつ可能性について何か思い至ることがありなぞもしなかった。脳漿にも似たどろりとした濁った色彩が互いを押し退け乍らも無気味に混じり合い、正視することなどまともな神経の持ち主ならば到底出来そうにない獣じみた混淆を発現させた。冷えて固まる暇なぞ無い凄まじい暴虐があらゆるものを押し流し、地獄と呼び慣わすには余りにも非人間的に過ぎる宇宙的大破壊が、もの皆全てを呑み込んで融溶させ、残虐とさえ言えない途方も無いエネルギーのうねりを伴って一切合財に審判を下し、自ら刑を実行しけりを付けた。最早音と呼ぶことさえおこがましい程の大質量を持った轟きが視界さえ儘成らぬ狂い叫ぶ天地を満たし、絶えず大気そのものに谺し、そこからまた更に幾重にも谺して、息継ぐ暇も無く盲滅法に四界全てに襲い掛かり、喰らい尽くし、揉み苦茶にして、それ自体ひとつの法外な地震となって、そこに存在しているもの全てを揺るがした。活火山が塞き止められた奔流を一気に解放した様な、巨大な隕石が大気中で燃え尽きずに逆に燃え上がる火球となって大地を直撃した様な、神々が施した縛めでがちがちに拘束され指一本自由に動かすことの出来ぬ原初の大巨人が、屈辱に耐え難ねて渾身の力の限りに解縛を試みているかの様な激しい爆発が断続的に何度も続いたが、もう目に見えるもの音に聞こえるもの全てがぐちゃぐちゃに破裂し合って、何時何処で何が起きているのか、明確に判別するのは不可能だった。余地と云う余地を一切残さない徹底的に高密度の運動が全ての形を押し潰し、互いに混じり合い、引き裂き合って破壊の限りを尽くし、それ以前の世界の姿が果たしてどんなものであったのか、思い出すことはもう何としても出来ない相談だった。ドクドクと溢れ出ては周囲のものを片っ端から阿鼻叫喚の大渦の中へと放り込んで行くマグマじみた重苦しい流れから濃厚な乾いたねばつく瘴気が立ち昇り、一面の大気を、呼吸するものがあれば窒息し、生きているものがあれば死んでしまう異常な有毒物質へと変容させていた。今こそこの下らぬ世界が終末の時を迎え、万物が虚無へと還って行くか、或いは全く新しい別ものの宇宙に作り変えられようとしているのではないかと思わせる、紙一枚、言葉ひとつ程の妥協すら許さぬ冷厳で無慈悲で容赦の無い大変革が、認識可能な全てのものの扉を前置きも無くいきなり乱暴に叩き捲り、押し入り、中のものをすっかり滅茶苦茶にした挙げ句に、その土台そのものを根底から引っ繰り返した。眩暈などと云う生易しいものではない壊滅的な頭痛が、まだ残存していた正気への足掛かりを掘り崩し、薙ぎ払い、引き摺り下ろした。今や没落と終焉こそがあらゆるものの上に降り掛かった今正に進行中の変更不可能な運命であって、それに逆らったり回避したり遣り過ごしたりなどと云うことは到底想像することさえ叶わぬ全くの徒事であってみれば、私としては単呆然と目の前で展開される筋すら成さない天地終幕劇を指を咥えて見物しているより是他に無く、彼の学府にて安全な距離を取った所から万界の動きに見入っていた頃とは異なり、これは余りにも事象の具体性の近くに居過ぎた為に、よもやこれを逃れることなど凡そ不可能なのであった。私とて、こんな所に居たくて居た訳ではない、こんなことに巻き込まれたくて巻き込まれたのではない、単、肉体と云うこのどうにも苛立たせられる鈍重な桎梏が、私の眼の在り処を何の承認も断りも経ずに勝手に決定してしまったと云うだけのことに過ぎない。そのこと自体に対してあらぬ由無し事や恨み辛みを重ねてみたところで何の甲斐も無いことを知ってはいつつも、私は選りにも選ってこの大破局の瞬間に自らが立ち会わねばならなかったこの偶然に対して、残る力の限りを込めた呪詛を苦悶の裡に吐き連ねずにはおれなかった。
金属を引き裂く様な耳を聾せんばかりの鋭い悲響が、まるで大気を一巡して元の場所に戻って来たかの様に活発に跳ね回って私を直撃し、私はがあんと強烈な衝撃に打ち倒された。それまで辛うじて残っていた最後の平衡感覚が崩れ去り、全方向が逆転し、基準が見失われた。もう何が何やら分からぬ混乱を極めた回転運動に翻弄され乍ら何処へともなく落下を始めた私から、押し殺されたせめてもの血の滲む様な悪罵が口を衝いて出た。それが私が私たり得た最後の瞬間だった。私の破砕が始まった。