亜人の娘と狩る者
一人の少女がいた。歳は15くらいだろうか。学校指定用のセーラー服を着ている。
だが、彼女の際立つ特徴はそこではない。スカートのお尻には丸い穴が開いていて、そこから獣の尻尾が生えている。そしてふさふさの栗色の髪には猫耳がついていて、本来人間の耳がある場所には何もない。彼女は戦争用に遺伝子操作され、肉体を強化された亜人だった。
少女のお腹がぐうと鳴る。
「お腹減った……」
戦争用の亜人と言えど性格はそれぞれで、とても兵士には向かない、のんきで優しい亜人だった。若いこともあって徴兵もされていない。
「もう、2,3日何も食べてない。そろそろ限界だ」
少女がいるところは、その服装に似合って学校の教室だった。椅子に座ったまま足を延ばしてぶらぶらさせている。
教室には他に人がいる気配はない。他の机や椅子にはうっすらと塵が積もり、ほこりが窓から差し込む日光を受けて白く光っていた。
少女のいた国は戦争に負けて、少なくない都市が廃墟と化した。ここもその一つ。
少女のいた国は亜人に寛容だった。人権も認められていた。だが敵国は亜人を奴隷のように扱う国であった。そんな国に占領されたら、どういう扱いをされるかわからない。そこで、少女の両親は何とか警戒をかいくぐって、ここまで少女を逃がしたのだ。
「学校までくれば、保存食でもあるかもしれないと思ったけど、どこにあるのかわからない……」
少女は足をぶらつかせるのをやめ、背伸びした。
「仕方ない。ここをでるか」
ガラスの破片が飛び散っている廊下を進んでいると、少女の猫耳がぴくっとした。
「足音が聞こえる……」
一瞬にして少女は緊張した雰囲気を漂わせる。
亜人の聴覚は鋭く、人間の比ではない。
足音はかなり遠くから聞こえるが、追っ手かもしれないと思い、少女は引き返して、別のルートを探る。
自分のガラスを踏むジャリジャリいう音と、誰かの足音が混じって聞こえる。誰かの固いごつごつとした足音は軍人の履くブーツを連想させた。
ある程度進んだところで、誰かの足音が聞こえなくなった。
「助かった……?」
少女が昇降口から出ようとしたとき、ふと人の気配を横に感じた。
「動くな。動くと撃つぞ」
低い男の声だった。
少女は驚いた。追っ手に見つかったのだ。追っ手ということは、相手はおそらく普通の人間だ。普通の人間が亜人の裏をかけるなんて信じられなかった。
しかし、少女も少女で負けていない。
少女は亜人としての鋭い嗅覚で、鉄と火薬の匂いを感じ取る。今、自分は銃を向けられているに違いない。
少女に迷う余地はなかった。
ここで黙って従えば、殺される可能性が高い。
少女は亜人の驚異的な身体能力で素早く体を揺らして体勢を低くし、銃の狙いをそらすとともに、男に向き直る。
見ると男は拳銃を持っていて少女が動いた瞬間、発砲していたが、少女には当たらなかった。薬莢が落ちるのが見える。
少女は勢いをつけて飛びかかって、大の男をなぎ倒した。
そして動けないように手足を押さえつける。普通の亜人の身体能力でさえ、訓練された軍人よりも高いのである。
少女はどこの国の軍服か素早く確かめる。男は少女のいた国の軍人だった。
「なんでこんなことをする! 仲間だろうに!」
少女は叫んだ。そして男を憎しみと悲しみのこもった目で睨みつける。
しばらくして、男は苦しそうに呻きながら声を絞り出す。
「人の肉の味を覚えているやつもいるからな。野生になった亜人は処分することにしているんだ」
「そんなことしない! 亜人は人間と変わらない」
「ああ、お前の言う通りだ。だが、やつらの国の価値観では違うんだろうな」
男は苦々しく言う。
おそらく、戦争に負けた少女の国の兵士は、家族などを人質に取られ、無理やり亜人狩りの任務に従事させられているのだろう。男の口ぶりからはそんな背景を連想させられた。
少女は考えた。この男をどうするか。そして決めた。男が肩から下げていた軽機関銃と手に握られている拳銃を奪い取ると、男に拳銃を向けたまま、後ずさりする。
「動くと怪我するよ」そう言い放って踵を返して全速力で逃げようとしたときのことだった。どこからか軽機関銃の連続する銃声が響いて、少女は銃弾を浴びて血を流しながら、倒れた。
男たちは亜人の強さを警戒して、ペアで動いていたのだ。片方がおとりになり、もう片方が確実に始末する。
さっき武器を奪われた方の男が少女に近づく。男がどこか遠くにいる相方に向かって、始末したと指の形で合図を送る。
男の胸の無線が鳴る。
「よし、撤収だ。死体の搬送は回収班に任せるぞ」
男が無線に返す。
「了解。先に行っててくれ、俺は奪われた武器を回収してから行く」
無線が了解の合図を送って来る。
男は血だらけの少女を見ながら、「さて、どうしようかな」とつぶやく。
少女はまだ息があった。銃で打ち抜かれた傷はそれなりのものだが、亜人の強靭な身体と回復力で何とか軽傷にとどまっていた。
「今、手当をしてやる」
「……どうして助けたの?」
男はそれまでと打って変わって悲し気な目をして、「同胞をこれ以上殺したくなかった」とつぶやく。だがすぐに男は先ほどの力に満ちた目に戻り、「感づかれる前にここから逃げるぞ」と言う。
少女はうなずく。
少女は、応急手当をされている間、昔、かけっこをして遊んでいる時に転んで、ひざをすりむいた時のことを思い出していた。その時は、父親が消毒液とガーゼで手当てをしてくれたのだった。その父親は今頃どうしているだろうか? 敵は、こんなところまで亜人を狩りに来ているのだ。きっと今頃は……。そこまで考えたところで、応急手当が終わったぞと男に声をかけられて、少女は我に返った。
男は少女に肩を貸し、戦場となった場所から少し離れたスーパーの廃墟まで連れて来て、そこに少女を座らせた。そして少女に、残酷な言葉を告げる。
「俺は行かなければならない」
少女はうつむいたまま、表情は伺い知れない。
「後は、自分で逃げ延びるんだ」
少女は答えない。しばらくの沈黙のうち、男は踵を返して歩き出した。
男のブーツが砂利を踏みしめる、その段々遠ざかっていく音に、少女の猫耳がぴくっと反応し、少女は顔を上げると、「どうにかして、私を助けてくれない?」と懇願するように言う。
男は振り返りもしなければ答えもしない。ただ、遠ざかるブーツの足音だけが、男が言葉にしない返事を伝えているようだった。
やがて、ブーツの足音は聞こえなくなり、周りはしんと静まり返った。
少女はしばらくじっと、そこにいた。
少女はやがて「また、ひとりぼっちになっちゃった」と微かにつぶやいた。
少女はひざを抱え、体育座りをして、顔を胸と足の間にうずめた。その頬を涙が流れた。