32話 動き出す者、動かぬ者
過度な、過剰な自己顕示欲を飾ったとしか思えない部屋に一人の青年が椅子に持たれかかりながら、ワインを飲み物思いに耽っていた。
何故、領民は領主自ら定めた法に不満を持つのか。
何故、領民は領主へ税を納める事に不満を持つのか。
何故、領民は領主自ら禁止した祭をしたがるのか。
彼には理解できなかった、いや理解するつもりはなかった。
彼には自分という視点以外はなかった、自分が望めば全て叶う。
他者は自分に奉仕する存在でしかなかった、手ずから圧制を行っているのだから領民は喜んで圧制を受け入れるべきだ、手ずから過酷な税を定めたのだから領民は喜んで税を納めるべきだ、手ずから楽しみを奪ってやったのだからそれに感謝するべきだ。
そういう自己中心の極致の様な男、その顔は害の無さそうな普通の顔だと言うのにその心は何よりも醜悪だった、彼は環境ではなく生れつきだった、生れつき悪として生まれた。
彼の名はディルク・バウマン。
マリアローズの父親にしてベアトリーチェを嬲り者にした男。
「暗愚と聞いていたが、本当だったのだな」
「何がですかな、バウマン卿?」
突然、闇からそれは現れた。
奇妙な服装の奇妙に甲高い声の男が現れる。
鳥の嘴の様な物が付いたマスクを被り、革製のガウンとつば広帽子に木の杖、それはかつて異なる世界で猛威を振るった病から医者が身を守る為に着ていた服だった、それを身に纏う男はバウマンに近付く。
「相変わらず、奇抜な格好だなセーシャル。それも委員会の決まりか?」
「いえいえ、これは趣味です、何せ私は廻者ですからね」
バウマンは内心ではセーシャルに苛立っていた、会う度に服装を変えながら必ず顔を隠す、自分に合うというのに顔を隠すとは不遜、しかしセーシャルという男がいなければ面倒な事が多い。
(些末な事など目を瞑ろう。自ら私に力を貸したいと願い出たのだ、それなら喜んで力を貸させたやるののも選ばれた者の務めだ)
そうバウマンが思っている事はセーシャルには筒抜けだった。
彼もまたバウマンに対して苛立っていた、ここまで無茶をするとは思っていなかったからだ。
部下が1名、返り討ちにあった事を皮切りに13人いた部下は残り2名となった。
街に派遣された異端審問官によって11人が狩られた、バウマンが大人しくしていれば精鋭中の精鋭を失わずに済んだというのに、セーシャルは飄々としながらも内心では今すぐバウマンを縊り殺したい衝動に駆られていた。
「で、バウマン卿、暗愚とは誰の事ですかな?」
「決まっているだろう?現国王だ、人気取りの為に平民の声に耳を傾けるなど、家畜の声に耳を傾けるのと同義だというのに……」
(相変わらずの愚か者だな、誰よりも狡猾な癖に誰よりも何も見えていない。こんな男がソルフィア王国の闇を支配する犯罪組織オメルタのボスとは)
セーシャルは内心ではバウマンを罵りながらも口は彼を肯定する言葉を紡ぐ。
「それで、今後はどうされるおつもりで?」
「そうだな、少々疲れたから誰かに表を任せるか、愚鈍な平民共が態々私が搾取してやったというのに不満を漏らすのだ、暗愚も何かと五月蠅く囀る」
王としての責務を果たしただけだ、セーシャルは思ったが口には出さなかった。
勅命令、それは議会で過半数が賛成しなければ出せない最も強制力のある命令であり逆らえば国家への反逆を意味する、そして勅命令が出された領主は誰一人として例外無くその爵位と領地を剥奪される。
そうならない様に今まで中央に根を張り続けたというのに、何を思ったか使えない馬鹿を何人も自身の組織に引き入れ、そして馬鹿共が一斉に尻尾を掴まれ芋づる式に張っていた根が悉く引き抜かれ勅命令を出された。
マスクの下でセーシャルはそう思いながら顔を怒りで歪ませる。
先の争乱で委員会は半ば壊滅し、後釜の様に現れた犯罪組織を率いるバウマンに接触して半世紀、バウマンは尊師から力を与えられ組織を巨大化させ、セーシャルはバウマンを利用して勢力を取り戻し、漸く亡き尊師の大願を成就させられると思った矢先のこの事態、セーシャルの内心は臓物が煮えたぎる程の怒りと憎しみをバウマンに抱いている。
しかし決して顔にも言葉に出さず平静を装い続ける。
それよりも目下、対処するべき事態の方が優先だった。
それによってセーシャルは平静さを保っていられた。
勅命令の執行を如何にして遅らせるか、そして手に入れた僅かな時間で何をするべきなのか、セーシャルは永遠と頭を動かし続けるがバウマンは欠伸をかきながら空になったグラスにワインを注ぐ。
「もう少し危機感を持たれた方が良いのでは?」
「不要だ、私が望まないのだからな」
セーシャルは全く危機感の無いバウマンに忠告をするが、自分の思った事がそのまま現実になると信じているバウマンにとってどうでもいい事の様に聞き流す、それどころかさらにセーシャルの神経を逆撫でする。
「誰か、私の後継を選んでおいてくれ」
「バウマン卿にご子息は?」
「いないが、ああ誰か生んでいたな、連れてきておいてくれ」
(私はお前の小間使いではない、愚図め!その相手が何に守られているかも知らずに、機会を待たねば無理だ、一瞬の隙を針の穴に糸を通す以上のごく僅かな隙を、何よりも警戒して狙わねば我々が潰される、あの男に、レオニダスに!)
セーシャルは部屋を出る、内心はバウマンの考えなしに怒り狂いながら。
「出る時は普通なのだな、つまらん……」
セーシャルの心内を理解できないバウマンは優雅に月を見上げる。
そして思う、あの男も所詮は選ばれなかった男だと私の様に世界から特別な力を与えられていないと、その力が誰に与えられたのかを忘れて……。




