59話 決闘の時間Ⅷ
マリアローズの口にした言葉でようやくセドリックは全てを思い出す。
道に迷う自分に光となってくれた少女との、ほんの僅かで、しかし忘れらない自分の胸の奥にしっかりと刻まれた筈だった思い出。
大切で愛おしかったからこそ、死の知らせを聞いた時の衝撃は重く、受け入れ難い現実を前にした幼き日の少年は胸の奥にしまい込み、甘い言葉を囀る自らを犯す毒へ縋り癒されようという過ちを選んでしまった。
全ての歯車が狂い、幾度も幾度も過ちを繰り返した末にセドリックは自らに誓った言葉までも違えてしまった事にここに来てようやく気付き、深く慙愧の念に身を震わせる。
自分がすべきことは何だったのか?
(俺は……)
セドリックは自らに問う。
屈託なく笑い、常に寄り添い、他者の幸福を願う。
そんな少女が傷つかなくてもいい世の中を作りたい、と自らの道と定めた自分が選んで進んできた道の有様。どこで間違えたのか?どこで選択を間違えたのか?自分はどうするべきだったのか?
(…俺は、逃げた。マリアを守れずに、守れるだけの力がったのに…逃げたんだ、マリアが死んだと信じたくなくて…アリスに……)
セドリックは立ち上がる。
そしてはっきりと通る声で、
「やめろ!」
と叫び、
「誰一人としてアルベール・トマを責めるな!決闘の場で、勝敗を決したにも関わらず卑劣にも後ろから襲い掛かった俺を責めるのが筋だろ!!」
そしてその声量の迫力はマリアローズへと向けられていた非難の声を一つ残らず掻き消し、ダンスホールの中は静寂で覆われ、
「ふざけるな!?そいつは俺の顔をッ!」
「それがどうした!たかが顔を殴られた程度で男が喚くな!」
「ひっ!?」
様子の変わったセドリックの剣幕にオズワルドは怯み、一歩、一歩、自分へと近づく歩みの力強さに顔を真っ青に染め上げ、堂々としたその歩みは集まる生徒にとって初めて見る威容を放ち、貴族派の生徒ですら目の前のセドリックが自分達の知っている男と同一人物なのか?誰もが疑問を抱き、呆然と事の成り行きを静観するほかなかった。
だから突然セドリックがマリアローズの前で立ち止まった時、何が起こるのかメルセデスすら固唾をのんで見守る事しかできなかった。
「すまなかった、そんな言葉で許されないとは分かっているそれでも…」
「アレックス?」
「マリア、すまなかった」
セドリックは視線をオズワルドへと向ける。
真っ直ぐ自分を睨む風貌は先程の醜態を晒した者とは明らかに別人で、オズワルドが誰よりも嫉妬し恐れたセイラムから帰って来た時の、正気を失っていなかった頃の兄そのものだった。
天才と褒め称えられ傲慢となっていた自尊心を全て打ち砕いた、あの日の兄が目の前に立っていた。
オズワルドは口を開いて何か言おうとするが、気高い精神を宿す瞳に見据えられ怖気づき、ただセドリックが次の自分を糾弾する言葉を発するのを待つ事しかできない。
「オズ、決闘は終わりだ、俺の負けだ、そしてお前も負けた」
「な、なにを……」
「言った通りだ、そうだろ?叔父上」
入り口へとセドリックが視線を移すとそこにはエドゥアルドがネストルと共に立っていた。
エドゥアルドは肩をすくめながら「黒幕みたいな言い方はよしてくれよ」と言い、しかしダンスホールの中央へ図々しく進むとまるで主役の様に集う生徒達を一瞥してから、
「理事長に気取られた、足止めをしているがそう長くは持たない。なのでこの場はエドゥアルド・ライオンハートが預かるから今すぐ全員逃げろ!」
と大声で言い放った。
教師達に気付かれないよう細心の注意を払って決闘を執り行った筈が、まさか一番最悪な人物に知られてしまった。最初は突然の宣言に虚を突かれて生徒の大半は呆然としていたが次第に事態を把握すると、我先に入口へと殺到しものの数分でダンスホールは決闘の関係者以外いなくなった。
それを確認するとエドゥアルドは2人の甥っ子に向き直り、オズワルドは顔面蒼白で叔父を見つめ、セドリックは苦笑いを浮かべた。
「どこまで把握してるんですか?」
「言い様に踊らされた甥っ子がいる事と、随分と腹黒い目論見をした甥っ子がいる事だ…兄上がカンカンだぞ?」
その言葉にオズワルドは自分が裏で暗躍していた事を既に叔父に全て知られ、さらには父親にも筒抜けだった事実に今にもひきつけを起こしそうな表情で、すぐにこの場から逃げ出したという意思が見え見えな姿勢で立ち尽くした。
何か行動を起こさなければならない、そう思っても突きつけられた現実に頭が思うように回らず、何か言おうと口を開いてもはっきりと意味を持った言葉を発する事も出来ず、表情こそ何時ものように飄々としていても自分を見つめるその目には確かな怒りの感情が宿っていて、オズワルドは完ぺきに追い詰められていた。
反対にセドリックの態度は簡潔だった。
「責任は全て俺にあります叔父上、首謀者として裁かれる覚悟は出来ています」
凛として目の前の現実を受け入れ、王族として、何より一人の少女との約束を破った男として、自らの責任を全うするとエドゥアルドに告げた。
エドゥアルドは少し目を閉じて黙考してから、大きく溜息を付いてから、
「なら王都に戻るぞ、オズ!お前もだ。そこで兄上と進退を決める。先に正門の方に行って待っていてくれ、ちょっとこいつに問い詰めたい事があるからな…ネスタ」
と告げて控えていたネストルは「行くぞ」とこの期に及んでも諦めていないオズワルドの首根っこを掴んでエドゥアルドの後を追い、セドリックは涙を流すマリアローズを背にしてダンスホールを後にした。
♦♦♦♦
正門に止まっている王家の紋章が描かれた車が見え始めた時、セドリックは足を止めた。
庭園の中ほどに少女が立っていたからだった。
無害そうな、毒気のなさそうな、顔立ちは比較的整っているがこれといって特徴が、マリアローズの様な特徴的な色香やメルセデスの様な顔立ちの華やかも無く、しかし他者に決して警戒心を抱かせない無害をそのもののような印象を与える少女。一瞬セドリックは誰だろうか?と疑問に思ったがすぐに相手が最後に見た時よりも見違えるほどに、三回り以上は痩せたアリス・アンダーソンである事に気が付く。
アリスは緊張しているのか、そわそわと落ち着きのない様子で周囲を見渡し、セドリックを見つけると「セディ!」と声を上げて、駆け足で近づき勢いよく抱き着いた。
「アリス?どうして君がここに……」
自分の記憶が正しければアリスは受験に失敗してしまい、現在は別の学園に通っている筈で今ここにいる筈がなく、何よりイリアンソス学園の制服を着込んでここにいる筈がない、何故なら彼女の学力はお世辞にも高いとは言えず、勉強に対する意欲も家庭教師が匙を投げるほどで通っている学園も義父の推薦状でどうにか入学する事が出来たという惨状だった。
いる筈の無い者があり得る筈の無い恰好で自分を待っていた事に、セドリックは混乱しつつも抱き着くアリスを押し離して距離を取る。
内心で自分が酷く身勝手で男として最低な決断を下すのだという罪悪感を抱きつつも、しかし言うべき事を言おうと覚悟を決める。
「アリス…君には救われたし愛していたのも本当だ」
「セディ?」
「だが…すまない、俺は君をマリアの代わりにしていた…救いようのない愚かな男だと謗ってくれて構わない…君との婚約は白紙にさせてくれ」
「セディ?な、なにを言ってるの?まるで理解できないわ!?」
アリスはセドリックからの宣告に動揺し掴みかかる。
しかしセドリックの目は明確に醒めていた、心の洞に付け込んで自分に依存する様に仕向けて言い様に操っていた相手の目ははっきりと正気を取り戻していた。
その事実にアリスの自尊心は酷く傷つけられ、激情は平手打ちとしてセドリックに表現する。最初から殴られる事を覚悟していたセドリックは無防備に頬をぶたれ、真っ赤に腫れ上がる。
「最低!この屑男!じゃあ消えて!アリスの前から早く消えて!」
「ああ、すまない」
謝罪の言葉を再度口にしてからセドリックは庭園を後にし、正門に留めらえている王室の車に乗り込み、遅れて庭園を避ける様にエドゥアルドとネストル、そして引きずられる助けを求めるオズワルドをアリスは見送ってから感情に任せて地団駄を踏み始めた。
「ふざけんなぁあああ!ゲロみてぇえクソメンヘラ台詞吐きまくってやったのにあっさりアリスを捨てるなんて!あんな女のどこがいいのよ!アリスの方が圧倒的に可愛いのに!どいつもこいつもマリアマリアマリアマリアマリアマリアマリアマリア!マリアアアアァ!!」
先程とは別人のようにアリスは口汚く罵詈造語を吐き出し始める。
無害そうな顔はその心根の醜さを表す様に悍ましく醜悪に歪んでいた。
「あいつあいつあいつは!クソ!何時だってアリスの邪魔ばっかり!アリスを好きになる子を何時も横からかっさらう!ぜぇええったい許さない!!あいつの幸せを絶対に全部ぶち壊してやる!」
かつての少年だった頃、自らの愚かさから至って結末だという現実から目を反らして、今生ではアリス・アンダーソンとなった少女はあらんかぎりの一方的な憎悪をマリアローズへ向け、身勝手な復讐を誓った。




