56話 決闘の時間Ⅴ
扉を開けてダンスホールの中へ一歩踏み込むと、中は静かな緊張感と熱気に溢れていた。今から本物の刃物を使った、命懸けの決闘。一応、大怪我をしないように治癒魔法を使える人達が待機しているけれど、一歩間違えれば大惨事。
誰もが理解している、だからこその異様に張りつめた空気。
主役のもう一人が現れた事で少しだけざわめきが生まれ、集まる生徒達で出来た人混みは、まるでモーゼの十戒の一場面の様に二つに割れて道が出来る。
ボクは静かに歩みつつ、周囲を見渡す。
窓際に数名…たぶん、連絡を取り合う為に待機するメルとグリンダを攫った仲間の一味。隠し持っている魔石灯の様な光を放つ魔道具で、ボクの動向を遠くにいる仲間に伝える筈だ。露骨な負け方をしたり、勝った時にすぐに合図を送る為に、もしくは…いやギリギリまで結論を出すのは止めておこう。
何より今は目の前の事に集中しないといけない。
「降参してくれないか?」
「お断りします」
ダンスホールの中央、そこには貴族派の代表であるセドリック殿下がいた。
そして開口一番に降参を進めて来たけれどボクは即答で返す。
躊躇いに満ちた表情、やっぱりアレックスは、セドリック殿下は無関係だ。もしもメルとグリンダを攫った黒幕だったら、こんな表情はしない、とボクは考え込んでいると…
「兄さん、戦って決着をつけない限り治まらない。この場に至っては覚悟を決めて欲しい」
「…オズワルド、なら何でお前が立っていない?事の発端がどうであれ、代表者面で粋がったケジメは誰がつけるべきかは明白だ。立会人はかの…彼が、アルベールの方が適格だ」
立会人兼審判を務めるオズワルド殿下が必要以上は喋らなければいいのに、黙っていられなかったのか、他人事のように口を開きセドリック殿下に叱責される。
出しゃばらずにはいられない性分なのは、今までの行動で察していたけれどボクの見た目よりもずっと、遥かに質の悪さを孕んだ出しゃばりなのかもしれない。ただ今は彼の事は小脇に置いて決闘を始めないといけない。
集まった生徒達の「早く始めろ」という視線、迂遠な物言いをする度にドンドンと苛立ちが宿り始めているのだ。
「そろそろ始めよう。ボクの準備は出来ている、執事道は常在戦場、何時でも良い」
「……そうか、ならもう…何も言わない、躊躇しない」
ボクがサッと袖からナイフを取り出して右手に持ち臨戦態勢をとると、セドリック殿下は一度目を閉じてから深呼吸をして剣を構える。刃渡りは1メートルくらいで、細身だけどもろ刃で突いたり斬ったり出来る片手剣。
何て名前だっけ?確か…サーベルっぽい様なレイピアの様な、そんな感じだ。
対してボクは小振りのナイフ。人によっては果物用に見えてしまう。だけど親方さん謹製の業物。切れ味抜群で何よりとても丈夫!ただし柄が無いから、下手に受けたり流したりすると手を切ってしまう。
セドリック殿下の使う剣もきっと業物だから、軽くピュッ!としたら指は落ちてしまうかもしれない。
「では貴族派代表セドリック・ライオンハートと、王統派代表代理アルベール・トマの決闘を執り行う…はじめッ!!」
オズワルド殿下の開始の合図と共に最初に動いたのはセドリック殿下。
軽くリズムを刻む様な素早い足さばきでボクとの距離を一息に詰めて…ッ!?
「ふっ!」
「っ…!?」
予想以上の鋭い突き!狙いが牽制に主眼を置いていたから辛うじてナイフで受け流せた…けど巧妙に角度をつけられたことで右手に持っていたナイフが突きの勢いで滑り落ちてしまった。
聞いていた以上に足さばきだけじゃなく全身の使い方が上手い!
腕を伸ばすタイミングが巧妙過ぎて、まだまだボクまで届かないと油断して目測を狂わされてしまった!?すぐに袖からナイフを取り出して左手に持たなかったら、追撃を受けて終わっていた。
時間を稼ぐだけなら立ち回り次第で幾らでも稼げると、簡単な作業だとレオに豪語してみせたけど、この調子でいたなら間違いなく早々に削られて押し切られる!愚策、かもしれないけど受け身ではダメだ。
少しだけ乱れた呼吸を整えて、ボクは低く構えなおす。
体格で負けて、筋力も体力も負けて、間合いはあっちの方が断然に広い。なら戦い方は一つだけ、とにかく低く構えて相手の間合いの内側に入っては出る。
本来なら斬り付けて削る戦法で、魔法の使えない今のボクが時間稼ぎの為に使えばすぐに体力を使い果たしてしまう。でもそれ以外の戦法は使えないのなら、気力と根性勝負!そっちならボクの方に分があるのだ!
距離を置いて様子見をしているセドリック殿下に向かって、ボクは全速力で駆ける!
そうすれば…
「ふッ!」
低い位置に目がけて横薙ぎが一線!だけど空を切る。直前に、ボクがのけぞる様に後ろにさがったから、低い位置を斬ろうとして角度が付いてしまったからボクを捉える事は出来ないのだ。
そして再び突っ込む!
「なっ!?」
と見せかけて再び後ろに下がる!
からの全速力で走ってセドリック殿下の後ろにちょっと上体を起こして回り込んでから突っ込む!慌てて振り向いて振りかざされる切っ先を、ボクは寸前で上体を低くしつつ後ろに下がって回避。
体の小さい…ボクの方が圧倒的に小さい分!小回りが利くし、低く構えたりを高く構えたりの上下運動、左右前後の緩急のを加えた動きは、慣れた人でも対応が難しい。劣っている部分を逆手にとって、ダンスホールを縦横無尽に動き回る。
何より魔法が使えず、持久戦を挑まれれば不利になるボクの予想外な体力の消耗を度外視した戦法に、セドリック殿下は面を食らって冷静さを欠き始めている。
最初の巧みな剣捌きはどこへやら、大振りが目立ち始め呼吸も乱れている!
だけど…
「ハァッ!ハァッ!」
ボクもボクで肩で息をしてしまっている!
汗もドンドンと流れ始めている!
勝機は?ある。ここまで分かったのはセドリック殿下はボクを直接斬り付けるつもりはない。狙いは武器、武器を払い落として降参に追い込む作戦だ。それが分かればどうにでもなる!
何故なら今日は持てるだけナイフを持ってきているのだ!まだまだ在庫は十分!
ボクは再び駆ける。
低く、鋭く、精一杯の速さで!
対してセドリック殿下は予想以上に冷静さを取り戻したのか、フェイントに騙されず的確にボクの間合いの外から突きで牽制を…
「ふえ?」
え?視界が歪む…このタイミングで!?
切っ先が迫る中で!?
♦♦♦♦
「ん……」
「静かに」
徐々にはっきりとし始めた意識に、私は声を出してしまいそうになりましたが、グリさんの静止で思いとどまる事が出来ました。と同時にぼんやりとしてシャキッとしない頭脳が目を覚まし始めた事で事態を理解する事も出来ました。
してやられましたの!
何だか甘い匂いが教室の中に漂ってきた、そう思った途端に意識はプツリ!?そして目を覚まして今!冷静に状況を並べ立てると結論は一つ、連れ去られた!つまり誘拐されてしまったという事ですわ!
手足を縛られて、どこかの空き教室に運ばれてしまったのは間違いなく、目的は…十中八九、姉様に対する脅迫。私とグリさんを無事に解放してほしかったら決闘に負けろ、そう脅迫する為に!
憤慨ですの!許せませんの!人質を取って脅しをかけるなんて!
とはいえ、ここで感情に任せて大声を上げるのは愚策。先に目を覚ましたグリさんの判断を尊重して、今は薄っすらと瞼を開けてまだ意識を失ったままのふりをしつつ、周囲の観察ですわ。
「ちっ!また負けかよ」
「へへ、これで十連勝だ」
教室の机に、不作法に腰を掛けてカードゲームに興じるのは二人…いえ他にもいますわ。たぶん外に数名、この態勢では見えない位置にも声を出していないだけで気配は感じますの。
ただこちらに注意を向けてはいないようで、小さくても声を発したグリさんに気付いていないという事は、同じようにカードゲームか何かの娯楽に興じているか、昼寝をしているかのどちらかですわ。
これなら魔法でどこに連れ去られたのか把握を…いいえ、それは愚策ですの。感付かれてしまいますし、知ったからといって何も出来ませんわ。先生方の近くには、決して私達を運ぶはずがありません。
なら姉様とレオさんならどう判断するか?それを考えましょう。
……姉様が激昂している未来が一瞬だけ脳裏に過りましたわ。普段の人懐っこく天真爛漫で愛らしい姉様ですが、一定の事に関して極端に短気。
いえ近くにレオさんがいますから大丈夫、それにいくら姉様が短気でも感情に任せて暴れたりはしませんわ、冷静な対応をするはずですの。
とするなら…姉様は予定通り決闘の場に赴き時間稼ぎ、レオさんがその間に私達の救出する為に動いている筈ですの。グリさんもそう判断したからこそ冷静さを失っていない。
「にしてもよ、何時まで待ってればいいんだ?」
「ん?ああ、合図は来たか?」
「まだ。でも良いのかよ?貴族派にいられなくなるぜ?」
「元から…よし、俺の勝ち!実家に戻れって言われてるんだ。そんなら最後ぐらい腹いせに引っ掻き回さないとな。セドリックの野郎につきゃあ甘い汁が吸えるって思ってたんだが、あいつ頭ん中清廉潔白だろ?」
「確かにな、ちっと羽目外したらキレて何も出来やしない。貴族派の上級生からも目の上のたん瘤扱いだったしな、話が違うぜ本当に」
こちらが目を覚ましているとは考えもしていないらしく、誘拐犯一同はとても不作法な会話を続け、貴族派の内情や今回の一件は完全にセドリック殿下の与り知らぬ計画だと自白されています。
だからといってあの方を擁護するつもりは微塵もありませんが。
「だろ?なら鞍替えだ、親父達の未来もねえしこの際だから少しばかり早い自立だ」
「へへ、その為にもあのお嬢さん方は丁重に扱わないとな。傷物にしたら俺達が殺されちまう」
「おい、合図が来た俺達は引き継ぎの奴と交代して、そのままイリアンソスから出るぞ。ラグサ商会の馬車も準備が終わってる」
「ああ、名残惜しいが、さらば愛しの学園、また逢う日まで」
そう言うと教室の中が慌ただしくなりました。
立ち去る準備でしょうか?どっちにしても合図…つまり姉様の身に!?いえあの姉様が後れを取る筈がありませんわ。必ずレオさんが私達を助ける為に颯爽と現れますわ!
姉様曰く、
『レオって本職だからたぶん、いや絶対にボクよりもずっと強いし…ヤバい』
と何やら気になる言い回しでしたが断言されていましたもの!




