53話 決闘の時間Ⅱ
自室で一人で椅子に座りながら、セドリック・ライオンハートは苦悶の表情を浮かべていた。最近は治まっていた筈の脳の芯にまで響く頭痛が、再び自身を蝕み始めたからだ。
その痛みが始まるとセドリックは真っ当な思考を行う事が出来ず、気が付けば短慮に衝動的な行為を行うようになってしまう。それを誰よりも自覚している彼は、誰も部屋に近づかない様に言いつけて頭痛が治まるのをただ一人で耐えていた。
(クソ…何でまた急に……ここ数か月は治まっていたのに…何でアルベールが決闘の相手だと聞いた途端…痛い……)
弟から、オズワルドから決闘の場に立つのがアルベール・トマだと知らされた途端、セドリックは胸が張り裂けそうな動悸に襲われ、さらに頭痛が再発し苦しんでいた。
だが不思議な事に常に肌身離さず持ち歩く、片翼の鳥のペンダントを握りしめていると少しだけ痛みは和らぎ、何故か心が僅かに安らぎ、霞がかかりはっきりと思い出せない誰の笑顔を思い浮かべている内は、温かな気持ちに包まれている気がしてその時だけセドリックは痛みから解放されていた。
ただし逆にある少女の顔が浮かぶと途端に、頭痛が再燃してもいた。
「殿下…お客様がお見えです」
「誰も入れるなと言っただろう!」
「もッ!?申し訳ありません、ですが…」
戸を叩く音が聞え、扉越しから声を話しかけた使用人にセドリックは声を荒げる。
「誰だろうが追い返せ!今は誰も俺の部屋に…っ!?」
自分のあげた怒鳴り声が脳髄に木霊しセドリックは鋭い痛みに襲われた。
今にも頭が破裂してしまいそうな激しい痛いみに喋る事も、動く事も出来ず、顔を真っ青にしてただひたすら、この痛みが過ぎ去るのをセドリックは耐え忍ぶ。そんな状態だった為、扉を開けて誰かが部屋に入ってきた事に彼は話しかけられるまで気が付けなかった。
「セディ。また頭痛が始まったって聞いたから、アリス、お見舞いに来たわ」
「……アリス?」
「ええ、アリスよ」
無害そうな笑顔を浮かべるふくよかな体型の少女がそこにいた。
一時期に比べれば痩せているがそれでも肥満に近い体型なのは変わらずだったが、痩せた分、以前よりも顔立ちは可愛らしくはなっていた。
「今は…帰ってくれ。俺は、何をしでかすか分からない状態なんだ」
「…セディは優しいのね」
「俺が?」
「だって、自分が自分でなくなるのが分かっているから、アリスを傷つけないように遠ざけようとしているもの。それは優しい証拠よ」
「……そうなのか?」
「ええ!貴方は間違っていない、正しい道を行っているのだから胸を張って、邪魔になるのは排除すればいいの。二年生の時の事もそう、間違っているのはあなたの邪魔をする人」
「……ああ、そうか。俺は、間違っていないんだな」
アルベールに剣を向ける。その事への激しい拒絶感が原因で始まった頭痛は、アリスの言葉で、自分の邪魔をする相手が悪いのだという言葉を聞いて、拒絶する心は何かに塗りつぶされるように消えて行き、比例するように敵意が顔を出し始める。
上手く事を運んでいた時に、突然現れた一年生達の所為で自分の積み上げて来た物が全て台無しにされたという憤りが彼の心の中に生まれ、スッと頭痛は消える。
「アリスは思うの。これは正当な裁き。セディに逆らうのは全て悪、悪を裁くのが正義の義務。だからセディ、そのペンダントをアリスにちょうだい?」
「これを…?」
アリスに言われるがまま、セドリックは首に掛けるペンダントを外してアリスへと渡そうとする。その行動にアリスは満面の笑みを浮かべて受け取ろうとした瞬間、セドリックの脳裏に言葉が走る。
『もしアレックスが出来ない事で非難されて敵ばかりになっても、ボクは絶対にアレックスの味方です』
その言葉が脳裏を走った瞬間、アレックスは名前も思い出せない誰かの笑顔がほんの僅かの一瞬だけはっきりと思い出し、アリスに渡そうとした片翼の鳥のペンダント胸元へ引き戻し、強く抱きしめる様に握りしめる。
「すまないアリス、これは…これだけは譲れない。代わりに別物を贈る」
「……ええ、今はそれでアリスは納得する。でも何時かそれをアリスにちょうだいね?」
「……」
踵を返しセドリックに背を向けながら、アリスはそう言うと部屋を出る。
外で待っていたヴァレリーは顔を歪ませながら出て来たアリスを見て、今回もまたセドリックをあと一歩踏みとどまらせる要を奪えずに終わったのだと、少しだけ愉快な気分になる。
それは異能を持つが故に厚遇されているだけの存在が、自らの役割を全う出来ない様を小馬鹿にしているからではなく、役目が無くなれば必然として口封じと異能の回収の為に処分されるのだから、その時はどれ程五臓六腑が腐り果てているのか実食して確かめる時が早まったという喜びからだった。
「何で…何でアリスの思い通りにならないの?」
「…さあ?異能に関してはこちらよりもそちらの領分ですし。まあマリアローズも異能を持っていた訳ですし、純粋に力の差では?」
「アリスよりあっちの方が上って事?」
「それに関しましても他の異能持ちの方々に聞いていただけたら。ただ精神感応は所有者の心を破壊するので、今も心が壊れずにいるのは異常な事だとカリギュラ様は仰っていました」
「アリスの精神汚染がただ他人に感応するだけの力に負けてるって事?ありえないから、アリスが一番凄いんだから!」
ヴァレリーの返答に腹を立てたアリスは鼻息荒くその場を立ち去る。
後姿を見つめながら改めて、異能とは何なのだろうか?とヴァレリーはカリギュラやルッツフェーロの言っていた事を思い出す。
(尊師が聖女から奪い取った力。他者の精神に感応し、干渉し、支配し、操作し、汚染し、時には自らの意思を相手に投影する。そして次の輪廻へ全て継承する力。それを分割したのが異能で、その一つがアリスの精神汚染)
異能の中で最も凶悪な力である筈の精神汚染。しかしアリスはその力を十全に扱う事が出来ず、まるで襲う疫病のように関わり合う者達を汚染し狂わせ破滅させるしか能が無く。本来ならもっと上手く事を運ぶ予定が、敵味方双方の思惑を台無しにして、何とか有耶無耶な終着点へと辿り着けたという醜態を晒していた。
その尻ぬぐいや後始末に奔走するはめになったヴァレリーは、最後の時は全ての感覚が正常な状態で中身だけ液状になる毒をゆっくりと注入して、ゆっくりと食い殺そうと心に決めていた。
「ああぁ、待ち遠しい。姉妹でどれだけ味が違うのか確かめる日が。アリスは…絶対に反吐が出る泥土の味だろうけど、アルベールは、マリアローズはきっと甘くて蕩けそうな味に決まっている」
ヴァレリーはその日を心待ちにしながらアリスの後を追う。




