28話 夏休みが明けたから本気出すⅦ
『何も怖い事は無い』と、マリアローズは今の現状を前にして、楽観的な考え方をしていた。もうすぐ9月は終わり、10月が始まると最初の月曜日にフォートナムの新装開店を迎える。それを分かっていて、楽観的な考え方をしていた。
忙しいのは最初だけ、月の中半頃には客足は落ち着くから、助っ人に入るのは最初だけだと。それよりもマリーのパン屋の方が大変だ。
この考えに至っているのは別に、マリアローズだけではない。
メルセデスも同じように考えていて、堅実なグリンダも、乗りの軽さに反して実は合理主義者のレオノールも、誰もがフォートナムはそこまで忙しくはならないだろう、と結論付けていた。
はたして結果はどうなったのか?
何事も予想は外れる、予定は何時でも未定なのである。
「へんしゅ…アルカ先輩、ありがとうございます!ずっと食べてみたかったんです!」
「学園中で噂になっているフォートナムのオムライス!食べられる日が来るなんて!本当にありがとうございます!」
「お気になさらず、いつも頑張ってくれている皆さんへの労い、先輩としての当然の務めです」
眼鏡をかけた、落ち着きのある顔立ちの大学部の女子生徒は、同じテーブルに座る高等部や中等部の、同じ秘密倶楽部に所属する後輩達へ、最近学園の話題を独占するフォートナムへ招待していた。
何故彼女達は嬉しそうにしているのかと言うと、マリアローズ達がそこまで忙しくならないだろうと予測した、一番の理由は価格帯。上流階級から比較して裕福な家の子弟にターゲットを絞った、学園内にある飲食店とは思えない価格設定から、通う生徒は限定されると予測していた。
全校生徒の7割はマリーのパン屋とフォートナムに集まり、その内の2割弱がフォートナムに行くだろうという予想だった。残りの3割は理事長を支持する、貴族派や一部の革新派の生徒達はラグサ商会の方へ行く筈。
決して安易などんぶり勘定ではなく、ある程度の調査の上で出した結論だった。
しかし予想は大きく外れた。
まず上流階級の生徒達は日頃から食事事情の劣悪さに憤慨していたので、王都の一流店に引けを取らないフォートナムの品質と豊かなメニューに、『これは!ほかの皆にも食べさせるのは、自分達の義務!』と、やたら使命感を抱き、
「個人的にはシンプルなトマトケチャップだけのオムライスより、シャトノワの淑女の休日で提供されている物と同じレシピで作った、ひき肉たっぷりのミートソースのオムライスがお勧めですよ」
「そういえば他のクラスの人達も、ここのミートソースは絶品だと言ってました!」
「でもオムライス以外にも美味しそうなのが……」
「遠慮はせず、しっかりと食べてください」
「「アルカ先輩!!」」
可愛い後輩の笑顔が見れるなら何万ソルドでも払う、と覆面をしていない眼鏡をかけた大学部の女子生徒は、遠慮をする後輩達にお腹いっぱい食べさせようと決意する。
と言う風に上流階級の、お金に余裕のある生徒は苦学している後輩や日頃からお世話になっている先輩を、フォートナムに招待しお腹いっぱいに食べさせる。を繰り返しているので、フォートナムには常に団体客が押し寄せていた。
さらに追い打ちをかけるのは、悪辣を徹底しているラグサ商会がマリーのパン屋と言う難敵が現れ、さらにフォートナムも新装開店すると言えば、必ず対抗策を打ってくると全員が思っていた。
がしかし、打ってこなかった。
学園側が何かしてくれるだろうと、呑気に考えていたのか。それとも別の理由からか?
なので当初の目算から大きく外れ、全校生徒の9割がマリーのパン屋とフォートマムに集中し、現在の大騒ぎへと至る。
ちなみにマリーのパン屋にはメルセデス、グリンダ、レオノールの三人が助っ人に行っている、それ程の異常事態となっていた。
そしてこれはラグサ商会と学園側にとっても、危機的な異常事態であった。
理事長室に呼び出されたラグサ商会の大番頭は、小太りの強欲そうな顔立ちのコンラッドを前にして、顔面蒼白になり縮こまっていた。というのもかれこれ一時間以上、怒鳴られ、殴られ、なじられ続けている。
「上納金は毎月減る!挙句に何だこの醜態は!?聞けば学生の発案らしいな?ガキ如きに遅れをとるなど、貴様はそれでもルッツフェーロ様の元部下なのか!外神委員会の面汚し目が!」
「し、しかしコンラッド様、私共もそちらの要求する上納金を納める為に、必要以上に切り詰めているんです。そんな状況であれに、ギルガメッシュ商会に対抗するなど、弱小商会のラグサには無理です!せめて上納金額を今の半分以下にしてくだされば……」
「また金か!金の話はどうでもいい!どう対応するかだ馬鹿者!!」
コンラッドは怒りに任せて、机の上の灰皿を大番頭に投げつける。
外神委員会内では上下関係が厳しかった。
委員会内では異能を持つ者が絶対で、そこから下は全て同列と言うお題目を掲げているが、実際は異能者の直参の部下というだけで長生きだという事以外に、誇れるものを持っていないコンラッドの様な者でも、遥かに能力が上の大番頭に大きな態度を取れる。
だからこそコンラッドにとって、にこやかな笑みを浮かべて執事服を身に纏う、ヴァレリーらしき女性と共に部屋に入って来た、ルサールカとルッツフェーロの直参の部下であるブレッド・アンダーソンが目障りであった。
「いやー久しぶり大番頭、それにコンラッド、元気にしてたかい?」
「アンダーソン様!よろしいのですか?確か再入院をされたと……」
「一応自宅療養の許可が出たからね、挨拶を兼ねて学園の現状の確認と、新しい眷属の紹介をね。この子が新しい眷属、ヴァレリー・ナクアだ」
そう紹介されたかつてヴァレリーと呼ばれていた少女は深く頭を下げる。容貌はかつての面影は残すも、まるで能面を被っているようで何よりマリアローズ達と同年代とは思えない、10年、10数年先の未来から来たように成長していた。
「何をしに来たアンダーソン!」
「何を?そりゃあ学園の実情を確認しにだよ、言っておくが絶対に相手の策略に乗ってはダメだぞ?ここは王道に上納金を全額免除し、正々堂々と迎え撃つ。搦め手嫌がらせは相手が待ちわびてるかね」
「っ……煩いぞ!貴様!私は先代塞翁の直参の部下だ!委員会の一員として最も献身を重ねて来たのだ!貴様が胃痛で寝込んでいる間にも私がここを死守して来たのだ!なんだその態度は!!」
飄々とした態度のアンダーソンにコンラッドは、顔を真っ赤にして噛みつく。理事長権限でマリーのパン屋とフォートナムに営業停止を勧告する算段を、腹の中で付けていたからだ。
だがそれはメルセデスの狙い通りで、察知しているアンダーソンは忠告と共に釘を刺した。これ以上の失態は許さないと。
それがコンラッドを苛立たせた。
「そっか、まあ確かにそうだね、それじゃあ私は帰るよ、あくまで仮退院だからね」
「ああそうし――――」
「と、言って私が引き下がるとでも?コンラッド、お前…何様のつもりだ?」
「ひっ!?」
アンダーソンは冷たい視線をコンラッドに向ける。一瞬で全身の血液が凍える程の冷たく鋭い視線、いくら強気な態度をとっていたコンラッドは思い出す。相手は異能がないだけの異能者と同等の上位者、だという事実を。
「僕が、何で100年近く理事長をしていたのか分かるかい?それはね、実力のある者を多く輩出する為だ、ここから巣立った者が国を支えるという実績を前にすれば誰も、疑う事なく、自らの心臓を喰らう虫を受け入れる。その環境づくりの為だ」
「だが、尊師のお考えは……」
「知ってるよ、預言者や救世主になりたいんだろ?だけど私とルッツフェーロが信奉するのは尊師じゃない、ルサールカただ一人。彼女が求めるのは混沌と混迷、終わりなき災禍。その為にこの国を根腐れに持ち込むのが私達の命題だ」
「しかし、いずれは尊師が復活をされるのだ!」
「いずれだ、だからそれまで私達が付き従うのはルサールカだ。コンラッド、学園を元の状態にまで戻せ」
番頭と同じように縮こまるコンラッドを背に、アンダーソンは理事長室を後にする。
付き従うヴァレリーは静かに、後ろを振り返る。
「ヴァレリー、ああいうゲテモノは猟犬の領分だよ。それとマリアローズは君達に対して過敏に反応する、下手に擬態を解くのは感心しないな」
「っ…!申し訳ありませんアンダーソン様、ですがよろしいのですか?番頭はともかくコンラッドは、間違いなくバウマンの同類、メルセデスに負けますよ?」
「その時は、その時だ。セドリックの精神も安定した事だから、彼が復帰するから全てひっくり返してくれるさ、アリスが手綱を握れたらの話だけど……」
アンダーソンはその名前を口にして思わず、胃の辺りに鋭い痛みを感じる。
優れた異能を持ちながら、それに適した気質を持ちながら、肝心の部分がまるでダメな義理の娘アリスの醜態が脳裏に過り、ストレスから治り始めていた胃の調子が傾き始めたからだ。
「あとヴァレリー、アリスには伝えてはダメだよ?アルベール達がマリアローズ達である事を、まだ早いし…何より個人的に元教え子の娘達に手を出すのは、嫌な気分だからね」
「……?分かりました」
アンダーソンの言葉に引っかかるモノを感じたヴァレリーだったが、今は面倒で仕方が無いアリスの世話と、厄介なアルベールに気づかれる前に立ち去ろる事を優先して、聞き流す。
ただそのアルベールはと言うと、極度の疲労と立ち眩みの合わせ技で気を失い、医務室に運び込まれているので、特に慌てる必要は無く、必要があるとするならアンダーソンを再度、病院に運び込む事であろう。
先程からずっと胃痛に対して苦悶の表情を浮かべているからだ。
ヴァレリーはそれに気づきつつも、声色に反して一切の表情の変化の無い無機質な顔で、アンダーソンを労わりながら学園を後にする。
 




