3話 初々しい季節Ⅲ
車窓から見える景色は何時でも心を躍らせてしまう。
カーテンから漏れて部屋の中に入って来た光が朝の到来を知らせて、ボクはカーテンを開けて車窓から見える景色に心を躍らせる。
学園都市イリアンソス。
かつて賢人イリアンソスが王都に近く、運河に近いという立地に目を付けて陸軍の士官学校を設立した事に端を発し、後に仲間の賢人達と当時の国王と協力し合い王立の学園を築いた。
時代が下るにつれて人が集まり都市を形成するまでに至り、そこで都市の名前は敬意を篭めて賢人イリアンソスの名前を取り学園の名前もイリアンソス学園と改め今日ではソルフィア王国が誇る学園都市として知られている。
遠くに見え始めたその長い勉学を貴ぶ歴史を物語る荘厳な石造りの校舎、ここからでもはっきりと見える威容、そこを中心に広がる街並みは圧巻でまさに学園都市!
汽車は今、そこへ向かって突き進んでいた。
「姉様……?朝ですの?」
「おはようメル、それと見えて来たよイリアンソスが!」
「っ!姉様少し寄ってくださいまし!……すごい、あれが噂に名高きイリアンソス学園!」
ここから見えるのは時を告げる時計塔のある本校舎。
学園都市イリアンソスを代表する象徴の一つだ。
そしてボクとメルが通う事になる場所でもある。
遠くに見え始めた景色にボクは興奮して窓ガラスに張り付きながら、メルは食い入るように見つめていたけど、突然何か思い至ったように窓枠を探り始める。
「ありましたわ!確かこのハンドルを回せば……」
「っあメル!?駄目だよ開けちゃあ!!」
「ここからだと見え辛いですの、開けて少し乗り出してみればしっかりと見えますわ!」
「駄目だよ!危ない!」
もしくはボクだってそれやりたい!
だけど我慢だ。
お姉ちゃんなんだから!
「それよりもメル!着替えて朝食を食べに行こう?展望車でも食事は出来るからまずは朝食にしよう!」
「確かに…朝食を食べながら眺めるのはとても良いですわ!そうしましょう!」
良かった。
ボクとメルは着替えて食堂車に行き、そこで展望車で食事をとる旨を伝える。
朝食は鉄道の普及に伴い僻地扱いされて今まで見向きもされず、大改革で急速な発展し始めた事で少しずつ知られるようになった西部料理だ。
メルには珍しくボクには懐かしき西部の味。
スライスしたパンの上に野菜とチーズにハムやベーコン、そしてスクランブルエッグをライ麦を使った酸味のあるパンに載せて食べる。
アーカムを発ってから王都に移住して次は東北部のシャトノワ領。
食事は家に合わせるのが基本だから殆ど食べる機会が無く、久しぶりの懐かしい朝食の味をボクは満喫する。
「遅くなり申し訳ありません、こちら西部の朝食の定番で農夫の朝食です。西部の主食であるじゃが芋にベーコンと玉葱、そして朝の活力の源である卵を使った料理となっています」
「これは…とてもボリュームがあってまさに肉体労働者の朝食ですわ!アルベールも昔はよくこれを食べたんですの?」
給仕さんは丁寧にどんな料理なのか説明して、メルはそれを聞いて料理の名前通り農業労働者が食べるのに相応しい料理だと、嬉しそうにしながらボクにとっては懐かしい味なのではないのかと尋ねて来る。
だけどボクは二人に告げないといけないのだ。
とても大事な事実を!
「………あのね、確かに農夫の朝食は西部料理だよ。だけどこれ昼に食べる料理なんだ」
「「………」」
メルも料理を運んで来た給仕さんも目を丸くして驚く。
何で皆、西部はじゃが芋が主食だと思うんだろう?
確かに良く好んで食べるけど西南部は比較的、土地が豊かだから小麦やライ麦が主食で土地が痩せている山脈沿いや西北部の主食がじゃが芋なのだ。
そして朝食の一つとして出されたこの料理。
小さく角切りにしたベーコンと茹でてスライスしたじゃが芋と玉葱を炒めて卵でとじた物で、普通に昼食で食べる物で朝食に出されたりはしない。
西部への無理解…ここまでとは……。
ボクは西部への誤った認識をどう正すか?それを考えながら出された農夫の朝食を食べる。
出された朝食を全て食べ終え、食後の紅茶を飲み終わる頃に列車はイリアンソスへ到着する。
♦♦♦♦
今も法律でソルフィア式以外の蒸気機関車は街中に乗り入れる事は禁止されている。
幸いにも駅から市内行の路面電車が出ていて、ボクは駅員さんにタレース通り行きの路線を尋ねて、タレース通り行の便が出ている停車駅へと向かう。
ターレス通りというのはイリアンソスにある幾つかの大通りの一つで、イリアンソス学園の設立に尽力した天文学者の賢人タレースの名前が取られた、緩やかな下り坂と少し急な上り坂のある通りの事だ。
近くには学園都市が誇る賢人タレースが建築の指揮を執った天文台があり、そこにはソルフィア王国初の実用的な天体望遠鏡が置かれている。
そんな大通りの一角にはヴェッキオ寮はあった。
元社員寮で本当なら富裕層の子弟向けの学生寮として、観光名所の一等地に店を構えるリストランテが経営する予定だったけど学園側が突然、申請書類の不備を理由に営業させないように都市に申請してしまい。
何度かリストランテ側も都市役所に営業許可を申請したけど、学園側の申し出が優先されて許可が下りず、それを知ったアンリさんが旦那様に事情を説明してヴィクトワール家が買ったのだ。
不規則に増改築が行われ、どこか迷宮に迷い込んだような気持になるイリアンソスの建築としては少し浮いてしまっている、とても落ち着いた趣ある三階建ての石造りのヴェッキオ寮。
入り口の前には数台の荷台のある蒸気自動車が止まっていて近くにはギルガメッシュ商会の社員さん達が集まっていた。
予定よりも早く到着したけど、さすがはギルガメッシュ商会だ。
既に何時でも運びれる準備が整っている。
「初めまして、私はエルネスト・ヴィクトワールの娘でメルセデス・ヴィクトワールと申しますわ。本日はお忙しい中、私とアルベールの引っ越しを手伝っていただき感謝いたしますの」
集まっているギルガメッシュ商会の社員さんにメルは自己紹介をしてお辞儀をする。
ボクもそれに合わせてお辞儀をして、社員さん達もお辞儀をして返し荷物の運び入れが始まった。
当然だけどボクは下男としてロバートさんの指導の下、力仕事は何度も経験しているから大きな家財の運び入れは一人でも問題無く出来る、ただ今日はご厚意に午前は甘えて主に自分が使う調理器具の荷解きを、午後はメルの荷物の荷解きを行う。
「すごい、これが最新式の魔石焜炉!」
リストランテが経営を予定していただけあって、食堂とカウンター越しで繋がった台所の設備は取り外してお屋敷に持って帰りたいくらい最新式の物ばかりが取り揃えられている!
薪焜炉より火力が劣ると言われていて魔石焜炉だったけど、人工魔石の品質が向上したおかげで薪どこかガス火にも劣らない火力を発揮し、水回りやそのほかの場所はまるでシステムキッチンのようだ!
あと食糧庫と直結していて、そこにはソルフィア王国に住む主婦が憧れる最新式の今までのような氷を上に置いて冷やす保冷庫ではなく、複数の魔石を組み合わせ一週間無補給でも稼働し続け食材の鮮度を保つ。
かつて歴史の教科書に載っていた昭和の三種の神器の一つ。
冷蔵庫が、それも業務用として少数製造されている大型の冷蔵庫が食糧庫の鎮座していた!
「嬉しそうですわねアルベール、そんなに凄い物なんですの?」
「うん!とてもすごい物だよメル!食材の保管だけじゃなく作った料理の腐敗を防ぎ、時には冷やす事でしか作れない料理を!暑い日には冷やした瓶入りジュース!氷で薄めず冷たい紅茶も飲める!まさに文明の利器だよメル!」
あれ?なんでメルは少し退いているんだろう?
冷蔵庫は良い物なんだけどな……まあ、今はヴェッキオ寮の構造を把握しないと!
ちなみにボクがいるのは一階の奥にある食堂だ。
他にも一階には洗面所とお風呂場、トイレやリネン室、手動の洗濯籠の入る大きさの昇降機が設置された洗濯室などがある。
二階には談話室と図書室、それと部屋が二つ。
三階は部屋が四つある。
そして洗濯物などが干せる屋上。
あとおまけだけど、社員寮時代に使われていた地下の小さなワイン蔵。
ここにはララさんから渡された銃器一式を隠しておこう。
拳銃とかは日常で隠し持てるけど、短機関銃や陸軍で導入が予定されている軽機関銃はさすがに大っぴらに持ち歩けない、いやその前に所持すら本来は出来ない。
なので厳重に隠しておく。
そんな感じにボクの荷物の荷解きは終わり、次はメルの荷物の番だ。
やっぱり女の子だけあって衣服や靴、装飾品や化粧品の類が中心……なんてことは無く確かにそれなりの量はあるけれど荷物の大半は、経済学や経営学の本に様々な種類の分厚い書籍だ。
メルの夢はより一層のヴィクトワール家の成長とシャトノワ領の発展をする為に実業家になる事、その為に今ではシャーリーさんやアンリさんの仕事を手伝ったり大奥様と文通をしてより深い教養を身につけたりしている。
そして高等部進級時に希望する学科は商業科なのだ。
ヴィクトワール家の家督は何時か生まれて来る旦那様とシャーリーさんの子供に託し、自分は実業家として一人立ちする。
メルはその為にイリアンソス学園に入学を決意した。
本当にメルはすごい。
自分の確固たる将来の夢を見つけて歩んでいる。
ボクは……正直に言ってまだない。
メイドの道も執事の道も、とても奥が深く極めたいと思う。
だけど……メルのように確固たる夢じゃない。
お母さんはボクが進みたい道を選べばいいと言ってくれていて、師匠であるロバートさんとメイド長さんも同じ様に言ってくれている。
そう、ボクはイリアンソス学園に入学するのは約束を守る為だけじゃない。
自分の将来の夢を見つける為に通うのだ。
ボクはそう決意を固めながら作業を続け予定通り、午前中に荷物の運びれと荷解きを終えギルガメッシュ商会の人達は帰って行ったけど……予想以上に汗をかいてしまった。
三月の終わり頃はシャトノワ領ならまだまだ肌寒いけど四季がはっきりとしている中部では春の陽気が顔を出し始めていて、これだけ動けば汗びっしょりで汗を吸った肌着が肌に引っ付いてとても不快だ。
なのでボクとメルは昼食を食べに出る前に一旦、ヴェッキオ寮のお風呂を使い汗を流して着替えてから近場の飲食店で軽く食事をすませて、すぐに戻って不足している物をリストアップして行く。
夕方には引っ越し作業は全て終わり、夕食も同じ様に簡単に済ませてボクとメルは早々にベッドの中に入った。
ボクとメルが眠るのは二階の大通り側の部屋で、窓からは日が暮れても活動し続ける人々の灯がカーテンの隙間から差し込んで来る。
朧げな星明りではない、明々とした魔石灯の光。
オージェやリヨンから離れた所に立つお屋敷とは違う光景にメルは心細くなったみたいで、ボクと一緒のベッドで眠っている。
12歳になり一人で大丈夫だと言っていたけど……無理はして欲しくない。
何よりボクはメルのお姉ちゃんだから、遠慮せずに甘えて欲しい。
「すぅ……」
ボクは静かに寝息をたてるメルを抱き締めながらそう思った。
何時もなら色んな取り留めのない会話をしながら眠るけど、長距離の移動の後の肉体労働が堪えたみたいで、ベッドに入るなりメルは寝息をたてて眠りだした。
正直言うとボクもすごく眠たい。
明日はギルガメッシュ商会に新聞の定期購読と牛乳の定期購入の申し込みに行って、その足で市場に行って食料品を買い込む予定で、今日と同じように良く動く事になる。
だらかボクも早く寝よう。




