7話 そして少女は愛を知るⅢ【思い立ったら吉日】
買い出しの一件以来、メルセデスお嬢様の周りに対する態度は柔らかくなった、ほんのちょっぴりだけだけど以前の様に一方的に善意でも突っぱねる事は少なくなった。
まだまだ心の距離はあるけれど一歩だけ近付けた気がする。
などと思いながらボクは屋敷の大掃除に邁進している。
本当にヴィクトワール邸は広い!そして大きい!つまり広大だ。
お屋敷の構造も変わっていて二つの建物を渡り廊下で繋げていて、正面が来客用の設備が集中している別邸。後ろの生活用の設備が集中しているのが本邸という構造なのだ。
部屋数も多く種類も豊富、中庭もありで一か月を過ぎた今でも新しい発見ばかりだ。
例えば前に地下室の掃除をしていると偶然にもヴィクトワール家の御先祖様が秘蔵していたワインが隠してある秘密の部屋が見つかったり、お嬢様やメイド長さんとロバートさんのような上級使用人が住む三階の一室に「鬼婆に呪いあれ」と殴り書きがされたベッドがあったり。
一か月が経ってもまだまだ掃除が終わっていない部屋がたくさんある。
だから今日も旦那様達の朝食が終わったら使っていないお部屋の掃除だ。
後回しになっている地下室の掃除、それと次の冬に備えて滞っている暖炉の掃除、さて今日はどこを掃除しよう。
「すまないメル、その…今週の日曜日も……」
「気にしてませんわお父様、ヴィクトワール家の財政状況は悪化の一途、ピクニックなど行く余裕は切り詰める必要がありますわ」
「はは…いや、その…すまない……」
などと考えてはいるけど今はこのギクシャクとした朝食の風景をどう改善するべきか、そっちの方が大きな問題だ。
週に一度は家族と一緒に休日を過ごすのが伝統のソルフィア王国。旦那様からしてみれば幼いメルセデスお嬢様と過ごす大切な時間を後回しにしてしまう罪の意識から上手く次の言葉が思い浮かばず。
旦那様の立たされている苦境を理解し分かっているけど納得は出来ない、それでも納得し様とするあまりツンツンとした物言いになってしまっているメルセデスお嬢様。
そんな二人の間を取り持とうとしていても継母という立場と初めて親になるという戸惑いから、上手く二人の仲を取り持てずにいるシャーリーさん。
どうにかしないといけない。
何とかしようと考えていも複雑な家庭の事情で上手く助言が出来ない使用人一同。
「別に責めている訳でも怒っている訳でもありませんわ。ただ今は私の事よりも家の事を優先して欲しいと言っていますの」
「あのねメルちゃん、私の資産がそれなりにあるから、少しくらい贅沢しても問題無いのよ?」
「甘いですわ。一日でも早くヴィクトワール家を立て直す、でないとお父様は財産目当てでシャーロットさんと結婚し、シャーロットさんはそんなお父様に騙された哀れな女だと妄言を言う輩が出て来ますわ」
シャーリーさんも普段の勢いはどこへやら、そしてメルセデスお嬢様もシャーリーさんを気遣って言ったつもりでも言葉の節々がツンツンしているから……ああ、とっても重い。
この静寂と沈黙がとても重い。
どうしたらいい?ああ!駄目だ、何も思い付かない。
初めての家族団欒の朝食がこんな重い沈黙に包まれているなんて、そして何も出来ない自分自身がもどかしい!
♦♦♦♦
「んじゃあ第一回、ギクシャクしている家族関係をどうやって円満にするか会議を始めるの」
「ちょっと待て、なんでおめぇが仕切ってんだよ」
「年功序列なの、こう見えても戦中生まれなの」
「戦中?はぁ?冗談でも質が悪いぞ」
朝食が終わり一通りの朝の仕事を終え、昼食をとる傍ら会議が開かれた。
進行役は自称年長のララさん。
参加者はボクとリーリエさん。
シェリーさんはメルセデスお嬢様の勉強のお時間だから不参加。
何でメイドをしているのか?名門の学校で教鞭を振るったり、名家で家庭教師をしていても不思議ではない超有能なシェリーさんの個人授業。物覚えの悪いボクでも基礎学校で首席の成績が取れたという実績があるのだ。
「それじゃあ始めるの」
「いやだから勝手に仕切るなって」
議題の通りヴィクトワール家のギスギスした関係をどう解決すべきか、今日の朝食で浮き彫りになったそれぞれの心の距離をどう縮めるか。
その話し合いがララさんの進行の下、始まりを告げた。
「さて何かと突っかかって来るリーリエ、何か意見なの」
「あのよぉ、順序って知ってるか?」
「意見、早くなの」
「ちっ…まあ、あれだ。心の距離を縮める必要があるって事だな、お互いに嫌ってるわけじゃねーのに変に口下手だから話が続かねーのが一番の難点だな」
うん、それはボクも思う所なのだ。
旦那様もシャーリーさんも社交的でそう言った場面では普通に出来るのに、それ以外の場では口下手になってしまう。
メルセデスお嬢様も買い出しの時は普通に話せるのに、いざ旦那様やシャーリーさんと話す時は途端に口下手になってしまう。
とすると解決策は家族で本音で話し合う場を設ける、なんて事は既にロバートさんとメイド長さんが思い付いての今朝の一件だった。
「これは…選択肢は一つなの」
「ああ、そうだな」
「ふえ?」
何で二人はボクを見ているんだろう?
嫌な予感しかしない。
「「マリア、何か解決策」」
「……思考を放棄しないでください、もっと考えてください」
だと思った。
このお二人は……特にララさんは自称年長者ならもう少し考えようよ!
「もう本当に…二人ともぉ、すぐに人任せなんかしたらぁ、マリアの教育に悪いと思わないの?」
会議と言いながらまったく意見をぶつけ合わない会議をしているとシェリーさんが使用人用の食堂に入って来た。
どうやらメルセデスお嬢様の授業が終わったみたいだ。
「真面目に会議をする気が無いならぁ、マリアちゃんを借りてくわよぉ」
「は?ちょっと待ってよ、今話し合い中だぞ」
「そうなの、話し合い中なの!」
「へぇ~でもぉ…マリアちゃんに解決策を丸投げしたのはどこのどちら?」
ゾワッとするような空気が三人の間に流れた。
「「どうぞ……」」
シェリーさんってこんなに圧のある人だったっけ!?
「それじゃあぁ、マリアちゃんを借りて行くわねぇ」
「ふえ……」
二人はシェリーさんの有無を言わせない迫力に押され、ボクは脇に抱えられながらシェリーさんがメルセデスお嬢様に出す宿題や勉強の準備をする部屋に運ばれて行かれた。
「さぁてぇマリアちゃん、実はねぇ相談した事があるのぉ」
「相談ですか?」
シェリーさんがボクに相談する…つまり勉強の事かな?
ボクの得意な事は料理と勉強だから。
「マリアちゃんって生前は名門の学校に通ってたのよねぇ?」
「はい、私立の…この世界の基準だと基礎学校とその先の中等教育を行う学校です。朝から次の朝まで勉強に次ぐ勉強で勉強しながら傍らでクラブ活動をしてさらに勉強をするような学校でした」
「なに…それ……どこの収容所?」
日本の地方にある古い体制のまま現在まで続いている名門中学です。
江戸時代の商家の子供に算術を教える寺小屋から続く歴史と伝統を持つと言うのが触れ込みの、地元では名門中学です。
「ゴホン…それでマリアちゃんに相談したい事はねぇ、お嬢様の事なの」
「メルセデスお嬢様ですか?」
「ええ、お嬢様ってマリアちゃんにはどう見える?」
「どうって…とてもツンツンしているけど聡明な可愛い女の子だと思ってます」
「やっぱりそうよねぇ…だから不思議なの」
「不思議?」
不思議って、何がだろう?
不思議…はっけ、じゃなかった。
不思議…不思議…シェリーさんは何を言いたいんだろう?
「お嬢様はねぇ授業を真面目に受けて、予習も復習も欠かさず宿題だってきちんとして来るんだけどぉ、何故か…その…要領が悪いと言うか何と言うか……」
シェリーさんが言うにはメルセデスお嬢様は授業中に分からない事ははっきりと分からないと言って質問、分からない事をそのままにせずちゃんと分かるまでする。
予習も復習もしっかりとそれこそ、教科書にびっしりと文字が書き込まれていて宿題だって一回も忘れた事も無く、とても真面目に受けているらしいのだ。
だけどそれに成果が伴っていない。
ううん…たぶんあれだよね。
よく勉強で躓く時に起こるあれだ。
メルセデスお嬢様はたぶん思考の迷路に陥ってしまったんだ。
「思考の迷路?」
「はい、切欠とか理由は人それぞれなんですが一度でもそれに陥ると、中々抜け出せないんです。立ち止まって俯瞰して物事を見れば簡単に抜け出せるんですが、陥っている人はその発想に至らず」
「延々と迷い続ける、迷路で出口を求めて同じ所をグルグルと回る様に……」
シェリーさんは何か深く考え込む。
ボクもヴィクトワール邸に来てからのメルセデスお嬢様の事を思い返してみる。
常に気を張っていて心の余裕が無く、遊んでいる姿も一度だって見た事が無い。
きっと一日中勉強だけをしているんだ。
勉強は、というより物事は不思議な事にそれだけをしていると上手く行かなくなる。
時にはそれから離れて、頭を空っぽにする時間が必要なのだ。
ボクも生前は料理をする事で頭の中を空っぽにしていたし、計画的に遊ぶ時間を作ったりした。
結論から言えばメルセデスお嬢様は考え過ぎなのだ。
家の事、家族の事、周りの事、自分の事、考えて考えて頭や心を休める時間を作っていない、そうなると余裕がどんどんなくなって最終的に心が壊れてしまう。
よし、これからする事は決まった。
♦♦♦♦
「というわけです、メルセデスお嬢様」
「というわけです、じゃないですわ!馬鹿ですの?どこの世界に使える家の令嬢が宿題をしている最中なのに、部屋に突撃した挙句!有無を言わさず強引に!裏庭に!連れ出す使用人がいますの!」
「強引だなんて、ボクはただ部屋に引き籠ってばかりのメルセデスお嬢様に気分転換をして欲しくて…」
「それでも強引だったですわ!こちらが驚いているの良い事に!私を抱き抱えて…私は淑女です!淑女なのですわ!!」
メルセデスお嬢様は半泣きだった。
ちょっと強引にし過ぎたかな?
でも普通に外で遊びましょうと言っても「結構ですわ!」と言って断られそうだったから、言う暇を与えず連れ出しけど…うん、今思い返すと随分と強引だった。
反省しないと。
「その…ごめんなさい!」
「はぁ…もう良いですわ、次から気を付けてくださる?」
「はい、気を付けます」
「で、何をして遊ぶのかしら?」
「……あ」
腕を組み、仁王立ちするメルセデスお嬢様に言われて、たった今、気が付いた。
何をして遊ぶか決めてなかった。
思い立ったら吉日と即走ってメルセデスお嬢様のお部屋に突撃したんだった。
「まさか…何も、考えていなかったんですの?」
「はい」
まったく考えていなかったです。
どうしよう?あ!そう言えば空き部屋に押し込んであるボクの私物の中に本当だったらグリンダと遊ぶ時に使おうと思って、親方さん達に協力してもらって作った玩具が幾つかあった筈だ。
それを使って遊ぼう!
「メルセデスお嬢様、少し待っていてください!」
「え、ちょっとマリアさん!」
ボクは空き部屋のある地下室の物置部屋を目指して全速力で走り出す。




