6話 そして少女は愛を知るⅡ【一進一退】
私の必要な物、実は最後で良かったのだけど何故かシェリーさんとリーリエさんのお二人に勧められるがまま、マリアさんと二人でお買い物に行く事になりましたわ。
ですが私が必要としている物をギルガメッシュ商会以外で買うとなると一苦労ですわ。難癖を付けて売りたがらない、もしくは露骨な嫌がらせを受けるかもしれません。
そう思いながら興奮した眼差しで街を見渡し時折、自分の腕を抓るマリアさんと一緒に街で二軒ある文具店の、基礎学校から遠い方の文具店へ向けて歩きながら私は憂鬱な気分になる。
自分だけなら何時もの事と割り切れるのに、無関係の純真なマリアさんを巻き込んでしまう。あの悪意に満ちた眼差しと心を抉る罵声、常に笑顔で優しく人に接するマリアさんが酷く傷ついてしまうのではないか。
私はそれが心配で…てっ!私は何を考えているのかしら!そもそも私はマリアさんが側仕えになる事も我が家で働く事も認めていませんわ。
それにこれを機にヴィクトワール家がどれだけ恨まれているかしれば、きっと自分から辞めさせてくださいと言って来るに違いありませんわ。
そう、きっとそうですわ!
と、思っていたのが十数分前。
「だからよぉぼ…坊主?この値段が正規価格なんだよ、難しい話じゃなねーんだ、分かるだろ?」
「塵芥一つ分も分かりません。前の方は800ソルドでノート一冊とインク瓶一瓶を買われたのに、メルセデスお嬢様が買うとなると8000ソルドなのか。10倍の価格差について正当な理由を説明してください」
「いや…だからよぉ……」
「だからでは説明になっていませんよ?舌打ちから始まり、法外な金銭の要求、抗議には大きな音を立て、さらには何かとメルセデスお嬢様に悪態をつかれている。これは明らかに名誉棄損、恐喝、恫喝、詐欺、職務怠慢にその他色々…ボクはこれに対して激しく抗議します」
実際は大人相手に一歩も退かずそれどころか文具店の店主に対して一方的な舌戦を繰り広げていますわ!店主が何か言えばそれに対して的確に痛い所を突く。
まるでその道の達人から教わったかのような的確な物言いですわ!
そして何故、こんな事になったのか?
事の発端は十数分前、私が文具店に入りノート1冊とインク瓶。
それを持ってカウンターに行くと店主は法外な代金を請求し私が抗議すると怒鳴り声を上げ、するとマリアさんが表情の無い笑顔で店主の前に躍り出て今に至りますわ。
「っ!?良いか坊主!気に入らねぇなら買わなきゃいいだろが!?」
店主はついに我慢が出来なくなりカウンターを叩き割らん勢いで叩くと怒鳴り声を上げる。その大きな音に私は思わず後ろに体をのけ反らしてしまったのに、マリアさんはどこ吹く風と勝利を確信した瞳で冷たく店主を見据える。
「成程、確かに客は店を選ぶ権利が、店には客を選ぶ権利があるから…ボク達は他の店に行けばいい訳ですね」
「ああ、そう言う事だ」
「貴方はボク達が気に入らないから他の店で買えという事ですね」
「おう、だからさっさとどっか行け」
「つまり客によって商品の値段も変わるという事ですね」
「ああ、そうだ」
これは、失言ですわね。
何人かのお客の表情が険しくなっています。
もしかしたらこの店の店主は普段から良い印象を抱かれていないのかもしれません。私は今まで基礎学校の前、老夫婦が営む文具店を利用していたので分かりませんが、先程から私やマリアさんのような子供がまったくいませんわ。
何よりここ、値札がありませんわ。
「おい、それはどういう事だ?客によって値段が変わるって」
「はあ?」
一人の男性客が店主を睨みつけながら剣呑で声でそう言い、後から別のお客も現れて何やら大変な事になり出しましたわ。
「この店に値札が無いのって」
「はあ?え!?いや違う、そこの餓鬼が―――」
「話を逸らすな!」
「そうだ!」
店主が言い訳をしようとしても取り囲む客達はそれを遮断して問い詰める。
正直な気持ちを言えばざまあみろですわ。
ですがこれだと買い物が出来ない、どうしましょう?
私がどうしようかと悩んでいるとマリアさんは、おもむろに懐から財布を取り出す。
「代金の800ソルドです、あと袋に入れてください」
「ふざけるな、誰が―――」
「おい、さっさと金受け取って袋に入れてやれ!その後は話し合いだ!」
「そうだぞ。急に値上げしたりしてたし」
マリアさんは正規の価格で代金をカウンターに置き、取り囲む客達に言われて店主は渋々と代金を受け取るとノートとインク瓶を紙袋に入れてマリアさんに乱暴に投げ渡す。
「ちくしょう!二度と来るな!」
「はい、二度と来ません」
笑顔でそう言うとマリアさんは私の手を握って文具店を後にする。
思考が追い付きませんわ。
なんでマリアさんはこんな事を…あ、その前にマリアさんが立て替えた代金を支払わないといけませんわ!
「要りませんよ」
「ですが、使用人に代金を肩代わりさせるなんて」
「ですから要りません。それにメルセデスお嬢様、お小遣いほとんど持っていませんよね?」
「う……」
私の全財産。残り800ソルドですわ。
ええ、ええ、たったの800ソルドですわ。
節約と節制。
徹底した倹約で何とかなっていますがそれでも消耗品は買い足さねばなりません。
コツコツと貯めていた私のお小遣いも残すはあとこの一握りの800ソルドだけ。
「ですが、それでも私には誇りがありますわ。落ちぶれたとはいえ元は侯爵家の令嬢、乞食のように使用人にお金をせびるなど、決してあってはなりませんわ」
私には誇りがある。
それが虚勢だとしても私には誇りがありますわ。
善意からの言葉でも、哀れみからの施しでも突っぱねて胸を張り最大限に強がる。
例え相手に疎まれようとも。
それなのに、間違いなく善意からの行動を私は突っぱねたのに、それなのにマリアさんは優しく微笑む。
とても優しく慈しみに溢れた優しい瞳で。
「大変な無礼を働きました、メルセデスお嬢様」
「べ、別に無礼とまで…とにかく、ちゃんと立て替えて頂いた代金を―――」
「受け取れません」
今何て?受け取れないと言われたのですか?
私が困惑しているとマリアさんはさらに私を混乱させる事を言われましたわ。
「ですのでこれは投資です」
「投資?」
何に投資をすると言いたいのでしょう?ヴィクトワール家に?でもそれなら私ではなくお父様に投資をする筈ですわ。
私はマリアさんの言いたい事が分からず困惑していると、マリアさんは真っ直ぐ私の目を真っ直ぐ見据えて言った。
「はい。この800ソルドはメルセデスお嬢様の将来への投資です、決して哀れみではありません。メルセデスお嬢様の将来にボクは投資をします、だから受け取ってください」
この方は…不思議な方ですわ。
普通なら悪感情を抱く筈なのに私にそんな感情を向けようとしない。
2週間、ずっと突っぱねて来たのに…仕方ありませんわ。
認めるしかありませんわね。
私を真っ直ぐ見るこの瞳に応えて。
「ええ、それなら受け取ります。そして必ず貴女に先見の明がある事を証明して見せますわ、だからその…よろしくお願いしますわ……」
「よろくしくとは一体……」
この話の流れで何故分からないのかしら!
いいえ、そもそも私が一方的に突っぱねてまもとに会話をして事無かったのが悪いのですわ、ええきっとそう…でも話の流れとして察して欲しかったのも本音ですわ。
「まあ…傍にいるくらいは許可すると言っているのですわ」
私の言葉にマリアさんは「よろしくお願いします」と言ってから、とても優しく私に微笑んだ。
♦♦♦♦
メルセデスお嬢様の必要な物はノート一冊とインク瓶一瓶だけだった。
年頃の女の子なんだから何か他にも欲しい物はないのだろうかと思ったけど、お小遣いはもう僅かだから無駄使いは出来ない、欲しい物があっても諦めるしかない。
だからと言ってボクがプレゼントと言ってお金を出せばメルセデスお嬢様のプライドを傷つけてしまう。投資と言う名目でノートとインク瓶を受け取ってくれたけどこれは一度しか使えない手だ。
……あのゴーフル、美味しそうだ。
……買ってメルセデスお嬢様と一緒に、いや駄目だ。
きっと「結構ですわ!」で断られる。
それにメルセデスお嬢様が我慢しているのにボクが「美味しそうだ!」と散財するわけにはいかない、そう我慢だ!我慢なのだ!
「マ…アルベール君、先程から貴女の方からキュルルルという音が聞こえて来るのだけど?」
「……」
ボクは思わずメルセデスお嬢様から目を逸らしてしまう。
お腹の虫が鳴いちゃった…もうすぐお昼だからなのとさっきから美味しそうな料理を売る屋台が幾つも……はっ!?思わず自然と足が動く所だった。
我慢だ我慢!
「アルベール君、先程から何で自分の腕を抓っていますの?」
「いえ、ちょっとしたお呪いです」
我慢!美味しそうなバケットサンドが見えても気にしない!
ナマズのフライとか見えない!
名所が見えても無視!
「おーいお嬢、マリア」
「二人共、そろそろぉギルガメッシュ商会でお買い物してぇ帰るわよ」
シェリーさんとリーリエさんが両手に荷物を抱えながらやって来た。
よし!我慢出来た。
ふふふ、これで二人もボクがちゃんと我慢が出来ると、身長とかはまったく伸びないけど心はしっかりと成長したと分かってくれる筈だ。
「そういやもうすぐ昼だな、何か食って帰るか?実は奥様から幾らか外食費を渡されてるんだよ」
「外食費を?どうしてかしら」
「それはぁ何時も頑張ってるお嬢様に、時には贅沢して欲しいという奥様なりの計らいよぉ」
リーリエさんとシェリーさんの言葉にメルセデスお嬢様は驚く。
シャーリーさんはメルセデスお嬢様にどう接したらいいか戸惑っている。
時折、お母さんに相談もしている。
メルセデスお嬢様との距離をどう縮めたらいいか。
「そう…ならシャーロットさんのご好意を無下に出来ませんわ、ただ浪費は出来ませんので屋台で何か買いましょう」
「それでしたらあそこの屋台が美味しそうですよ!」
「マーリーア―!!」
「ふえ!?」
やってしまった。
メルセデスお嬢様が屋台でお昼ご飯を食べようと言った瞬間、ボクは思わず全速力で走り出してしまった。
とても美味しそうなバケットサンドのお店が見えていたから。
振り返るとリーリエさんが鬼の形相でボクに迫る。
「お、ま、え、はー!!」
「ごへんなはぁい!いはいへす!ふえらないれ!!」
 




