2話 ここから始まる物語Ⅱ【とある少女より】
私は…私が大嫌い。
この顔が嫌い。
あの女に瓜二つのこの顔が嫌い。
お父様に全く似ていないこの顔さえなければ浅ましくお父様が注いでくださる愛を疑う事など無かったのに、新しく母になってくださったシャーロットさんの顔を真っ直ぐ見れたのに……。
私はこの顔が大嫌い。
それでも、せめてもの救いはこのお父さんと同じ髪の色…これだけが私の心の拠り所、確かに私がお父様の娘だという証。
周りが噂するように祖父とあの女の子ではないという確かな証。
亡くなったお祖母様と同じ髪。
これだけが私の最後の心の拠り所。
♦♦♦♦
「嫌な夢を…見てしまいましたわ……」
根を詰め過ぎたみたいですわ。
シェリーさんが出してくれた宿題をしている内に眠くなってしまって、それで…居眠り何て淑女として恥ずべき事!恥を知りなさい私!さて、早くこの宿題を……駄目ですわ。
何度考え直してもこの数字になる理由が分かりませんわ。
顔が似なかったのなら、せめてと頭の出来だけはあの女と違っていて欲しかったのですが、どうやら顔だけじゃなくて頭の悪さもあの女譲りなのですね。
昨日からずっとこの計算で躓いて前に進めずにいる。
基礎学校へ通えなかった間の遅れを取り戻そうと頑張ってはいますが、これでは学校へ戻れるようになっても頭の出来が残念な令嬢として格好の標的、お父様の名誉を守る為には娘である私が誰よりも優秀でなければならないのに……。
「はぁ…やはり、私は……」
いいえ!いいえ!絶対に違いますわ!
この程度の簡単な計算……まったく分かりませんわ。
こんな感じで私はずっと自室に篭って宿題と睨めっこ。
調度品や家具、特にお金になる物は全て差押えられた簡素で殺風景な部屋で領役所でボロボロになって使わなくなった、私には大きすぎる机を勉強机にして同じ経緯を辿った椅子に座りながら私は延々と宿題と睨めっこを続ける。
だけど、私はあの女の血が流れている。
放蕩にして淫蕩、社交界の鼻つまみ者、淑女の面汚し…数多くの悪名を浴びせられながらお父様と結婚するまで多くの大貴族の子弟と関係を持った女、カミーユ・ビュラン。
そして私の目の前で平然と祖父と関係を築いて……反吐が出ますわ。
あの女の血が私の中に流れているなんて…だからこそ私は誰よりも私に厳しくあらねばならない。
自制する事を知らなかった女の血が流れている以上、私もそうなる可能性があるのだから……。
「この音は……」
再び宿題と睨めっこを開始した私は聞きなれた音が聞こえて窓から外を見ると裏手にある車庫に車が戻って来たみたいで、少し嬉しそうに歩くシェリーさんが目に入る。
あの車…確かシェリーさんの私物で今はお父様に差し上げたとか。
カッコいい大人、そう新しくシャーロットさんと来たメイド達は誰もがカッコいい大人でしたわ、ベルベットさんは逞しくありながら淑女としての振る舞いを忘れずアグネスさんはまさに完璧なメイド、少し粗暴な物言いをされるけど私がどんなに酷い事を言っても笑って頭を撫でようとするリーリエさん。
シェリーさんは…不思議な人です。
アグネスさんと並ぶ、もしくはそれ以上の教養を身につけておきながらそんな素振りを微塵も見せない、確か昔はちょうほういん?というお仕事をされていたからそれに関係しているのかしら?
あとは、あの人は……何でしょう?
私のこれまでの短い人生の中であそこまで艶やかでありながらあの女と違って優しく穏やかで温かい人を見た事がありません。
ベアトリーチェさん、歳はシャーロットさんとそこまで変わらない筈なのに恐ろしく艶やかな女性で一児の母…前にシャーロットさんが言っていた事が本当なら娘のマリアローズさんはベアトリーチェさん似の美少女らしいのだけど……想像もつきませんわ。
そう言えば、何でお父様はシェリーさんとベアトリーチェさんと一緒に外出されていたのかしら?
いえ、これは疑問に思う以前の問題、何で私がまったく把握していないのか?それは簡単、私がお父様から距離を取っているから……。
でも…確か後からベアトリーチェさんの娘が来ると言っていましたわ。
ならマリアローズさんが来たのですね。
嫌われる事を言わないといけないわ。
だけど…ヴィクトワール家に関りがあるだけでこの領では爪弾きにされてしまう。
以前いた使用人の方々の再就職だってジュラ公爵が動いてくれなかったら……お父様がいくら泥を被っても誰も許そうとしなかった。
恨まれるのはもう嫌、憎まれるのはもう嫌。
繋がりがあるから苦しくなる、なら最初から繋がらなければいい、でもそれ以上に誰かが自分の所為で傷つくのはもっと嫌ですわ。
だからこそ言わないといけない。
♦♦♦♦
「分かりました」
とても可愛い声が聞こえて来ました。
少年の様でありながら可愛らしい少女でもある様な不思議な声色。
そして声の持ち主を見て私は思わず…見惚れてしまった。
白い。
白がその存在を現す色のような、何もなという意味の白ではなく色としての白がまるで人の形を成した様な、まだ誰も足を踏み入れていない雪原のような白銀の、髪を少年のようにではなく少年としか思えない短さまで切り揃えた少女が目の前に。
あれは何?人なの?いいえ、まるで氷の精霊のよう。
意志の強さを感じさせる少し釣り上がった目と紅玉のように鮮やかな赤い瞳が合わさってまさに、気安く近づく者を凍らせる氷の精霊ようで顔の左側にある痛々しい筈の火傷の傷跡がそこには儚げな印象を与えて、私には本当にこの世の者とは思えませんわ。
何より見た目からして私と歳が変わらない筈なのにベアトリーチェさんのような艶やかな……あれ?目が合ってしまいましたわ!どうしましょう!?
じっどこっちを見て来ていますわ!ええと、こういう時は焦らず…焦らず!?
え、え、笑顔!?
先程まで冷たく儚げな、この世の者とは思えない艶やかな、氷のような印象だったのに、笑顔…とても可愛らしいですわ。
まるで人懐っこい子犬のようで……。
「初めまして、本日よりヴィクトワール家のメイドとして働く事になりました、ルシオ・ベアトリーチェの娘でルシオ・マリアローズと申します」
はっ!?変に興奮して意識が彼方へ行ってましたわ。
淑女にあるまじき失態ですわ!
それに今、マリアローズって。
「貴女が……」
ベアトリーチェさんの娘、確かにとてもよく似てますわ。
というより今度は心の声が外に!また淑女にあるまじき……。
あら?よく見たら他にも見た事が無い人が二人も!もしかして新しい使用人?待ってくださいませ!今のヴィクトワール家に仕えるという事はそれだけで周りから白い目で見られてしまうのに!お父様は何を考えておられるのですか!?
いえそれはあと、今はこちらも名乗らなければ失礼になりますわ。
私は何時ものように出来るだけ悪い印象を抱かせる事を意識する。
「初めまして、私がメルセデス・ヴィクトワールですわ」
あえて、誰の娘なのかは名乗らない。
時と場合によりますがある程度、爵位を持っている家の子弟はこういった場で誰の子なのか名乗るのが礼儀。
つまりこれは大変な無礼。
ロバートと名乗った執事は…やはり眉を顰めましたわ、隣のララと名乗ったメイドも少しむっとした表情、なのに!何でマリアさんは微笑んでいますの!?
いいえ、いいえ、きっと私と同い年ですから分かっておられないのですわ!
私は畳み掛けるように出来るだけ高飛車に高圧的な態度を意識してお父様に話し掛ける。
「そしてお父様、どいう事ですか?こんなに大勢の使用人を雇うなんて、ヴィクトワール家の財政を鑑みれば三人も、ましてや子供の使用人を雇う余裕はないのではなくて?」
「メル…前にも言ったけどマリアちゃんはメルと年齢こそ同じだけどメイド道の級位を持った子なんだ、それにお二人共……」
あら?前にも…前にも……しまったですわ!?完全に忘れていましたわ!
確かお父様がこちらに戻って来られた翌日に級位を持った私と同い年の子が来ると言っていた様な、でもありえますの?
私と同じ歳でメイド道の級位を取得するなんて、普通に考えれば最初の6級とか…いいえ、お父様の口振りから少なくとも3級は取得していそうですわ、でも私の言う事は変わらない。
「はぁ…お父様、いくらシャーロットさんと結婚して莫大な資産を手にしたからといって不要不急の出費、つまり浪費は今のヴィクトワール家には一切許されません…マリアさんでしたか?級位を持っているからと言って貴女を雇う余裕はありません、望むなら別の働き口を紹介しますが、いかが?」
「何を言っているんだメル!?」
お父様は困惑した表情を浮かべていますが、ですが私の考えは一つだけ。
今のヴィクトワール家に仕える事はそれだけで今後の大きなマイナスになってしまう。
お父様の功績があったからこそ家格を準爵に降格ですみましたが普通は取り潰しですわ。
ですから特にこの先、多くの可能性のあるマリアさんだけはこの家で働かせる訳にいかない。
ですがマリアさんは私の態度を見ても。
「お心遣いありがとうございます、ですがボクは転職するつもりはありません」
「なぜ?」
今何て?お心遣い?
何で…いえ、相手の心の内を覗く事なんて出来ませんわ。
予想したりする事は出来ても、ですがお心遣い…何でマリアさんの目には私に対して敵意が宿らないんですの?普通はこれだけすれば悪感情を抱くが普通なのに。
「旦那様はボクの事情を承知した上で、それどころかボクを守るとまで言って、ここに辿り着けたのも旦那様のご尽力のお陰、それとシャーリーさんには御恩があります。この御恩、返すまでは…それに報いるまでは他家に使える気はありません…あと子供なので衣食住さえあれば給金はいりません」
そしてそう決意を口にしたマリアさんの目はとても、とても揺ぎ無い意志が宿っていて私が何を言うともその決意は揺るがない事を指示していて、私はこれ以上の言葉は無くただ「……そう」と呟いて逃げるように自室に戻ってベットに突っ伏す。
終始、マリアさんは私に対して悪感情を向けませんでしたわ。
それどころか、何故?
何故、あの方は私を心配するような視線を向けて来たの?
分からない。
まるで私の心に共感するように、まるで寄り添おうとするように…いいえ、今日会ったばかりの相手にそんなに早く共感を抱くなんてありえませんわ。
きっとこれは私の勘違い。
ええ、きっと勘違い。
私は起き上がって再び宿題と睨めっこを再開する。




