28話 夜明け前の攻防Ⅰ【とある男の視点より】
「情報通りですね、今出たのがラッセ、イネス、ネストルのリンドブルム家の三名で見送ったのはロバート・ギースとルシ…マリアローズ・バウマンで間違いありませんね」
「本当か?この暗がりで良く分かるな」
「髪の色が特徴的です、髪が短いのは数日前に投げ込まれた薬品で髪が腐り、頭皮に毒が回る前に短く切ったそうなので間違いありません」
「そうか、にしても随分と古いのに乗ってるな、ラッセ・リンドブルムは相当な車好きだ」
「?どう見ても新車に思えましたが、高価な自動車用の魔石灯を使っている辺りさすがは貴族だと思いましたが……」
若いというのに自動車に対する知識は皆無の様だ。
自動車が富裕層だけの娯楽でなくなってからどれくらいの月日が経ったのだろうか?少なくとも蒸気牽引車が実用化され、大規模な農家で普及が始まっている事を考えれば学校を出たての若者の方が詳しいと私は思う。
まあ、私の様な腐った大人のように日々の金稼ぎに身命を賭している訳ではないから、きっと富裕層の娯楽は退廃的だと妄信して目に入らないのだろう。
労働者の権利を訴える労働者主義が王国に入って来てから数十年、それは次第に社会主義という新たなよく分からない思想に変わり、こんな理解し難い若者が年々増えて行っている。
はっきりと言って外を知る私に言わせればソルフィア王国はレムリア大陸に存在する楽園だ、良く分からん社会主義とかいう思想が広まらなくとも十二分だ、何故なら孤児だった私がある一定の社会的な地位を得られているのだから。
まあ苦労知らずの若者には理解し難いだろうが……。
「それでホイットさん、先程言った古いとはどういうことですか?」
「ん?ああ、さっきの車だが改良や改造を加えらえて原形はあまり残っていないが初期も初期、最初の頃に発売され今では博物館でしか見れんチャーリ&ロビンソン社のボーイズだ」
「え!?あれは確かもっと形状が…」
「見た目は相当変わっているが基本となるフレームは同じだ、車高はだいぶ低くなっているが特徴的な屋根なしの馬車に蒸気機関車の先端を取り付けた様な外観はそのままだ、エンジンを載せ替えてもそこを変えない当たり…相当だぞ」
「成程、まさに貴族が乗る車という言う事ですか」
そこで何で敵意を剥き出しにする?上流階級のお高くとまった趣味…と言えばそうだが個人的にはあそこまで改造する情熱は敵ながら心服してしまう、機会があれば運転させて欲しいとまで思う。
「絶対に逮捕してやりましょう、犯罪者に協力する者も犯罪者です」
「馬鹿言うな、こちらの目的はマリアローズ一人でそれ以外に手を出せば叩かれる、事は慎重に大胆にという指示だ、それ信号弾を何時でも撃てる準備をしておけ…何か嫌な予感がする」
「嫌な予感ですか?」
「ああ、上手く行き過ぎている」
包囲門を築き、連中が行動を起こせば即座に動ける体制が整うまで何も妨害が無かった。
あちらには元軍人が何名かいる筈だ、ララ・フゥベーに至っては私ですらその勇名を知る程の恐ろしい軍人だ。
争乱後の混乱期に幾度も起こった越境攻撃を容赦なく叩き潰して来た第七師団に所属していた山岳兵、遊撃戦の名手であるはずの女がまったく妨害を行わなかった。
これに不安を覚えるなと言うのがどうかしている。
「ホイットさん!連中が動きました」
リンドブルム邸から女性が一人出て来て周囲を見渡す…あれは…分からないが背の高さからベルベット・ギースあたりだろう、と観察していると子供が一人出て来た…間違いなくマリアローズだ。
それからメイドが6人と執事が1人で主であるエルネスト・ヴィクトワールとシャーロット・ヴィクトワール、そしてマリアローズを中心に守りを固めて駅の方へ駆け足で向かい始める。
「ホイットさん!」
「おかしい…ドニ―!お前は自動車部隊に二台だけこちらに回して後はさっき出た車を追うように伝えろ!フィン、お前は私と来い!ただし指示があるまで絶対に動くなよ?特にリンドブルム家の者には手を出すな、港に陸軍の砲艇が停泊しているから手を出そうものなら陸軍が黙っていない」
「はい!分かりましたホイットさん!」
「本当に分かっているんだろうな?」
血気盛んな若者だ、はやる気持ちで馬鹿な事をしなければいいがまあいい、今は目の前の事に集中しよう。
上からは絶対に取り逃がすなと言われているが…逃がした方が良いんじゃないかと私自身は思っている、特に情勢はマリアローズ側に傾いている、もしもマリアローズに大怪我でも負わせるような事があれば世論は黙っていない。
出来るだけ穏便に事を進めよう。
「ホイットさん!車が来ました」
「ああ、では行くぞ諸君!状況開始だ!」
♦♦♦♦
「そこまでだ!マリアローズ・バウマンだな?お前には国家反逆罪等の罪で逮捕状が出されている!大人しく…大人しく……」
それ以上の言葉が出なかった。
迂闊にも一本道に入った一団を車で前後を塞ぎ、そして威嚇の為の空へ向かっての発砲、ここまでは予定通りで問題無いのだが目の前の母親であるルシオ・ベアトリーチェの隣にいる…マリアローズはあんなに大きかったか?確か今年で年齢は8歳、小柄で同年だより頭半分程低い筈で…どう見ても12歳くらいの割と背の高い少年…待てよ?待てよ!?
「どうやら上手く行ったようだな!俺って実はそっちの才能に溢れているのか?」
「馬鹿を言うな、お前は父と同じで文官向けだ…今回はこいつらが間抜けだっただけだが、ふむ意外な事にそれなりに保険は掛けているようだ」
まさか?まさか!まさか!?
「お、お前はマリアローズではなくネストル・リンドブルムか!隣の女はまさか!?」
「そうだ、私がカサンドラ・ナダル・バンデラスだ。なんだ、ベティーと見間違えていたか?ベティーは鮮やかな赤色だ、私のように赤銅ではないぞ?同じに見えたのなら眼科に行け愚か者」
やられた!よく見たらカサンドラ以外、女装した男だ!しかもあいつは確か中央警邏の警部!つまりここにいるのはメイドは女装した中央警邏か?何やってんだお前等!!
「ホイットさん!?」
「クソ!まんまと嵌められた!髪を短くしたのは薬品を掛けられたからじゃない、カツラを作る為に切ったんだ!そして男装する為だ、さっきの車に乗っていたのがマリアローズだ、フィン!信号弾を上げろ!こちらは囮だった」
「はい!」
フィンは駆け足で信号弾を撃つ為に車に戻ったが…準備しておけと言ったの筈だが車に置いて来たのか…だが今はネストル・リンドブルムめ!なんとまあ頭の回る子供だ。
しかもマリアローズを逃がす為に女装までするなど…親なら褒めちぎりたいが正直に言って腹立たしい!特にカツラの完成度の高さが余計に腹が立つ。
「マリアだって思われたなら俺の女装もイケてるという事でしょうか曾祖母様?」
「気持ち悪いからさっさと戻って着替えるぞ、まったく似合っておらん」
「……はい」
「いや、そこまで責めなくとも…まあ似合わってはいないが気持ち悪くは無いぞ?だからなあ?元気出せ」
思わず慰めてしまった、だが可哀想だったんだ!背中から哀愁まで漂っていたから……ええい何やっているんだ私は、兎に角今は駅に先回りだ。
我々が動いた後に屋敷を出た可能性もあるがその線は薄いだろう、こちらに回した自動車部隊も向かわせようと指示を出そうとした瞬間、フィンガが血相を変えてこちらに戻って来た。
「ホイットさん!三班の人がマリアローズと思わしき人物を見つけて捕縛したと連絡が!」
「何それは本当か!」
「はい、今そこまで来ています」
「よし!」
と駆け寄ると化け物がいた。
何度目をこすって見直すがやはりそこには化け物がいた。
何でその化け物をマリアローズだと思ったんだこいつ等は!
「あら貴方がお偉い方?あたしが!マリアローズですわ!!」
「恥ずかしくないのかデュキカス枢機卿!?」
「何を言ってますの?デュキカスなんてあたし知らないわ!」
気持ち悪い裏声に妙な力の入れようの女装が気持ち悪い!というか何でこの化け物をマリアローズだと思ったんだこいつ等は!私だったら即座に射殺命令を出す有様だぞ!
それと隣に立つ女性は…マリアローズと同じように特徴的な髪色…確かアグネス・モンタークだったか?どうやら彼女も私と同じ気持ちなのか目が死んでいる…とても気持ちは分かる。
こんなのがマリアローズだと名乗るのは本人に対する最大限の侮辱だ。
「うっふんそこの小父様?あたしに興味があるの?」
「誰か紙袋をくれ、吐き気がして来た」
「ホイットさん!これを使ってください!」
「なんだその反応は!?私が気持ち悪いとでもいうのか!」
「気持ち悪いは人におぇえええ…人に言う言葉だ、お前はおええええ…ただの化け物だ、とにかくおえええええ」
「いい加減に吐くの止めろ!それとこれは私の趣味ではない、最近の私に対するマリアローズの評価を上げる為に仕方がなくしているのだ!」
「安心してくださいレオニダス、最早マリアは貴方を欠片も尊敬していません」
「な、なに!」
私が吐き気に苦しんでいる間に何やら楽しそうな寸劇を始めたぞこの二人、確か報告だとこれといって接点は無い筈だが…アグネスがデュキカスに対して向ける目は軽蔑と侮蔑と怨嗟が混じった純度の高い敵意だ。
何をやったんだこの男は?
「まあいいわ!ホイットさんですわねっ!あたしと良いこ―――」
「そろそろ止めてください…ぶち殺しますよ?」
「ふむ、もういいだろう」
殺意の篭った一言でデュキカスはカツラを投げ捨てるが…いや、妙な力の入った化粧を取らねば気持ち悪さは消えんぞ?撃って良いか?この男、撃ち殺しても良いか?と私が心の中で葛藤しているとアグネス・モンタークが素早く振り返りデュキカスの鳩尾に腰の入った拳が叩きこんだ。
「マリアの髪から作ったカツラを投げ捨てるとは…やはり心底屑ですね貴方は……」
アグネス・モンタークはそれはそれは冷たい、養豚場に豚を見る様な目で呻き声を上げながら蹲るデュキカスを見ていた、まあそうなるな…私でもそうする。
「ホイットさん!」
「今度はなんだ!?自動車部隊が照明弾を上げたのか?」
「いえ、マリアローズが…」
「マリアローズがどうした!?」
口籠るフィンを私は思わず怒鳴りつけてしまったが、こんな状況なのだ仕方がない。
「マリアローズが多数います!」
「……は?」
何を言っているんだこいつは?多数…多数だと!?
「ですからマリアローズが多数目撃されています!」
そう言えばあの少女の髪はかなりの長さだった。
それを少年のようにいや、少年にしか見えない短さまで切ったのだからそれなりの数のカツラが作れる、つまりどれかが本物の可能性のあるマリアローズが多数いるという事か!
車で逃走している方が間違いなく本命だと思うが囮という線は捨てきれない。
露骨な攪乱工作だが無視は出来ん。
もしもの可能性がある。
当然、彼等が目的とする候補も複数あるがそこに人員を向かわせれば……。
「取り合えず何人かは私と駅に来い……」
「では俺は追跡に!」
「いやフィンも一緒に来い、私の隣で補佐をしてくれ」
「っ!はい!!」
嬉しそうに笑っているがフィン、私がお前を隣に置くのはその懐に入れている拳銃を考えなしに撃つんじゃないかと不安だからだぞ、などとは言えんな…まるで主人に褒められた子犬のように無邪気な顔を向けて来るこの男にはとても言えない。
「ホイットさん!火ですね!どうぞ!」
「ああすまん…はぁ……」
肺いっぱいに煙を吸い込み溜息と共に煙を吐いて心の中を占領し始めた焦燥感を悟られないように文字通り、タバコの煙で煙に巻いた。
すまんなフィン、我々はとうに負けている。
私の予想が正しければこの後に待つのは世論からの激しいバッシングと用意周到に待ち構えている市中警邏だ。
それらからこの若い偏った思想に傾倒してしまった哀れな男を守ってやらねばならない。
追跡に周った者達はたぶん、悲惨な末路が待っている。
「では行くぞ」
「はい!」
そうこうしている間にも夜が明け始めた空に発見を知らせる信号弾が次々と打ち上げられていた。
 




