19話 日常はまだ穏やかに過ぎて行く
ネスタさんはエドゥアルド第二王子殿下の側仕えをしていて、殿下がイリアンソス学園の付属学校で上位貴族の子弟や子女が一般常識を学ぶ全寮制の学校に通う事になり、その関係から殿下と一緒に学生寮で暮らしていた。
だけどそれでネスタさんの事を忘れるのは良くないと思う。
もしもお母さんがボクの事を忘れてしまったら?考えたくも無いけどもしもそんなことをされてしまったら、とても傷つくともう。
だからあの後、ボクは大奥様、ラッセ様、イネス様をお母さんと一緒にお説教をした。
そしてネスタさんだけど来年の春からイリアンソス学園に通う事になっていて、それで退寮する事になり今は一時的に帰省している、来年の春にはまた殿下と一緒に寮生活だから今の内に伸ばせるだけ羽を伸ばしたいと帰省したのだった。
ちなみに殿下の事をネスタは…。
「あれはすごい馬鹿だ、己惚れが過ぎて絵本や昔話に出て来る身分を笠に着て好き勝手する、悪徳貴族を地で行く大馬鹿だ」
と評していて殿下が問題を起こす度にネスタさんがその尻拭いに奔走する羽目になり、その気苦労を休日の日にまでしたくないという事から、一家で王都に移住した事は殿下に話していないとネスタさんは言っていた。
確かに教えたくない、そんな典型的なお馬鹿さんを見ると…何と言うか…その…血縁上の父親が、あれだから…たぶん、殴ってしまうと思う。
だって、バウマンは絵に描いた様な最低最悪な悪徳貴族なのだから!
なのでボクもネスタさんの方針には大賛成だ。
そんな感じで立冬祭から一月ほど経った12月、ついに親方さんに頼んでいた物が届いた。
そうトースターだ!しかも二種類とも届いたのだ!あと親方さんから手紙も届いていた。
『嬢ちゃんへ。
またとんでもない物の設計図を送ってくれてありがとう、おかげでニムがはしゃいで大変だったが俺にも弟子共にも良い刺激になった、特に魔工師を目指している奴が大いにやる気を出して予想よりも早く出来上がった。
二種類ともニムを始めとした主婦達が率先して試してくれたおかげで早い内に欠陥が見つかって、そっちに送ったのは改良を重ねた今現在の技術の粋を集めた完成形だと自負している物だ。
大事にし過ぎず遠慮なく酷使してくれ、そして何か気付いた事があったら知らせてくれ!』
自負と言うか、ボクが生前に使っていたオーブントースターと何の遜色も無い物だよ親方さん!そしてボクは親方さん達を舐めていた。
完成はもっと先だと思っていたし、何より電気を魔石で代用するのにも限界があって形には出来ても実用に耐えられる物を作れないだろうと思っていた、だけどボクの目の前にあるこの二つのトースターはボクがどれだけ己惚れた考えだったかを知らしめて来る。
地球の方が技術力が上だと誰が言った?と…とまあ、感傷に浸るのはこのくらいにして届いたトースターがどんな物なのか確かめないと!
まずオーブントースター、タイマーと火力の調整がで出来て外観は職人の手仕事を思わせるどこか懐かしい形、色はたぶんニムネルさんの意見なのか優しいオリーブ色だ。
次はポップアップ型のトースター、こっちはボク自身が詳細を把握していなかったから完全に親方さん任せだったけど想像通り、いや想像以上の完成度でパンは4枚切りから6切りまで対応していて、さらに焼き加減は四段階から選べる。
外観はオーブンとスタート同じでレトロだけどこっちは親方さんのこだわりなのか色は塗られていない。
親方さんが太鼓判を押すのなら特に試運転は必要ないと思うけどボク自身が早く使ってみたいという衝動に駆られているから、今日の昼食作りに使ってみる事にした。
ポップ…言い辛いからポップアップ型はトースター、オーブントースターはオーブントースターと呼ぼう、さてトースターは基本的に朝食を作る時にしか使う機会は無いけどオーブントースターは色んな事に使える。
取り合えずトースターは試運転の為に普段朝食で出す5枚切りで試運転をするだけにして、昼食作りにはオーブントースターを使おう。
「なんだそれは、鉄の箱か?マリア、お前なんで鉄の箱を嬉しそうに持っているんだ」
ボクが届いたトースターで何を作ろうかと心躍らせているとネスタさんが地下室の台所に来ていた、興奮し過ぎて気付かなかった。
「で、それは一体何だ?まさかただの鉄の箱って事は無いよな」
「これはパンを焼くトースターという調理器具です、こっちの扉が付いたオーブンに似たのがオーブントースターとい―――」
「すまん、俺はそう言った事に疎くて…実際に使って見せてもらってもいいか?」
「はいちょうど、試運転も兼ねて昼食を作るのに使うところだったので」
さて、では何を作るか?
トースターは…パンを焼くだけしかできないから焼いた後にバターを塗るだけだけどオーブントースターなら、そうだ!あれを作ろう。
ボクは食在庫に行き目当ての材料があるか確認する。
「サラミは…ないからベーコンで、チーズは…さすがに雪〇のとろけるスライスしたチーズは無いからスカムッザータチーズと…野菜はピーマンをスライスして…よし材料は全部あるからピザトーストが作れる!」
「ピザトースト?ピッツァじゃなくてか?」
「……ピッツァより手軽なのでピザで!」
独り言が大き過ぎたみたいでネスタさんに聞かれていたみたいだ、そう言えば地球でもピッツァとピザは別物だという意見があったからここは強引だけど手軽だからピザで通そう。
「しっかしピッツァかぁ…最後に食べたのは確か馬鹿王子の側仕えになる前だったな…あいつ、食べてもいないのにトマトは赤いから不気味だとか言いやがって、おかげで食べる機会があっても馬鹿のせいで何度も逃した……」
「食わず嫌いな方なんですね、トマトは美味しいだけじゃなくて体にも良いのに」
なら今日も腕を振るって作らないと!
まずは準備だ。
ピーマンはヘタの周りに切れ込みを入れて種ごとヘタを取り、適当な厚さで輪切りに、ベーコンは細切りにしておく。
で、下ごしらえが終わったらまずは常温に戻しておいたバターをパンの片面に塗り、次にトマトケチャップ、そしてベーコンとピーマンを乗せてから最後にスライスしておいたスカムッザータチーズを敷いて行く、隙間はそのままにしてもいいけどここはスカムッザータチーズを千切って隙間を埋めるように敷く。
「余熱をしておいたオーブントースターでチーズがとろけるまで、四分から五分程焼いたら完成です」
「おお…成程、ようは簡易版なんだなオーブントースターもピザトーストも!」
「はい、でも簡易版と侮る事なかれ!本格的な物には劣りますがそれだけが持つ味という物があります、オーブントースターは温め直すのにも向いています」
「温め直すって、何をだ?」
「冷えた揚げ物ならまたサクッとさせられますし、温め直す以外だとグラタンだって作れます」
「そいつは凄い!このオーブントースターはソルフィア王国の文化に大きな確信をもたらす調理器具だな!」
「それは…言い過ぎかと……」
ボクの説明を聞いたネスタさんは興奮して大それた事を言っているけど、これ位で文化に何か影響を与えらえるとは思えないけど、だけど朝食の準備が手軽にはなると思う。
さて次はトースターだけど…うん、パンを焼くだけだから大奥様の好みであるザクっとした食感になるように最初は焼き目3で焼いてみよう、うんそれしかできない。
「こっちは、地味だな」
「まあ、パンをトーストする限定ですから…でも!しっかりとむらなく火を通すので理論上はこのトースターでトーストしたパンが一番美味しいんです!」
「そうか!それは楽しみだ!」
「「あはっはははは…はは…は………」」
無理にテンションを上げたから次の言葉が見つからず二人して次に何を言うべきか悩んでしまい、気まずい沈黙がボクとネスタさんの間に流れてしまった…ピザトーストが焼き上がるまで大人しく待っておこう。
そんな感じで普通なら短く感じる4、5分という時間が長く感じられたけど漂って来るスカムッザータチーズとトマトケチャップの食欲をくすぐる匂い、パンの焼ける香ばしい匂い…自然と涎が出て来る、といけないいけない!気を抜くとすぐに涎が出るのはボクの悪い癖だ。
前よりは衝動を抑えられるようになったから次はこの涎を垂らしてしまう悪癖を直さないと!だけど今は焼き上がった事を知らせるチンっ!という懐かしいベルの音がしたからピザトーストの方が優先だ。
扉を開くと中に充満していた美味しそうなピザの匂いが台所の中に広がる。
これは間違いなく美味しく焼き上がった筈だ!さあ、最後の仕上げをしよう。
最後の仕上げと言ってもここから何か大きく手を加える事はしない、乾燥バジルを上からサラっと好みの量を振り掛けるだけそれで……。
「ピザトースト、完成です!」
「おお!これは見た目は間違いなくピッツァだ!問題は味だな」
「ええ、待ってくださいすぐに切り分けますので」
と、ボクが包丁でピザトーストを四等分に切り分ける。
何で四等分かと言うと……。
「お母さん、居るのは分かってますよ」
「あら、分かっちゃった?さすがマリアね」
「それとアストルフォも」
「クエ…」
バレちゃったか…という鳴いてお母さんの後ろからアストルフォが現れる。
この匂いに二人が気付かない訳がない。
それにお母さんは南部の出身だからピッツァに慣れ親しんでいる筈だ、ネスタさんもピッツァを日常的に食べていた様な物言いだったから、お母さんも毎日とは言わないけどお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが生きていた頃に何度か食べた懐かしい味の筈だ。
「とても懐かしい匂いがしたから、もしかしたらッて思ったんだけど本当にピッツァだなんて、マリアは本当に料理が得意なのね!」
「いえ、これは厳密に言えばピッツァではなくピザトーストなので…だけどピッツァに必要な要素はしっかりと押さえてあるのでお祖母ちゃんが作るピッツァには―――」
「マリア」
「ふえ?何ですかお母さん」
何だろう、何でお母さんはボクの両肩に手を置いて真剣な表情になっているんだろう?
それにネスタさんもまるで頭痛がしてるかのような仕草をしている。
「あのねマリア」
「はい」
お母さんはさらに神妙な顔でボクの目を真っ直ぐ見る。
「いくら南部が本場でも一般家庭にピッツァ窯は無いの、ピッツァはお店でしか食べられないの、だからお祖母ちゃんはピッツァを作った事は無いの、絵本とは違うのよ」
「ふえ……」
知らなかった。
絵本だと普通にピザ窯が家にあるって書いてあったけど、それは絵本の中だけだったみたいだ。
「まあ、ソルフィア王国は広いからそういった勘違いは多いのさ、南部だと西部ではじゃが芋ばかり食べてるって思ってるからな」
「そうなんですかネスタさん?それは西北部ですよ、ボクがいたのは西南部なので小麦とライ麦を使ったパンが主食でした」
「そう言う事さ、実際に住んでみないと文化の違いなんて知る機会は無い、本の知識はどうやったって本でしかない」
「百聞は一見に如かず、という事ですね」
「ああ、と、早く食べないと冷めちまうな」
忘れていた!早く食べたないとせっかく良い感じに焼き上がったピザトーストが台無しになってしまう。
「それじゃあ、いただきます」
ボクは切り分けたピザトーストを口いっぱいに頬張る…美味しい!トマトケチャップやベーコンの旨み、スカムッザータチーズがミルキーな味で全体をまろやかにしてくれるから塩加減が良い塩梅だ。
最後に降り掛けた乾燥バジルの風味がチーズとトマトケチャップと合わさって旨味を倍増してくれる。
これは大成功だ!。
「はっはは!驚いた、本当にピッツァだ!それに美味い!」
「ええ、とても美味しくてあと、とても懐かしい味ね」
「クエ!クエ!」
ネスタさんやお母さんにも好評だ、それにアストルフォに至っては皿を前足で器用に掴んでお代わりを催促して来ている、よくイタリア人が「ピッツァとはピザは別物、ピザは邪道」とテレビで言っていたら受け入れらるか心配だったけど、これなら大奥様やイネス様も気に入ってもらえるかもしれない。
♦♦♦♦
オーブントースターは初日から大活躍だ。
ピザトーストを見るなり大奥様とイネス様は王都に来てから食べられずにいたピッツァの味を思い出してしまい、熱くピッツァについて語り出してしまいその話を聞いた皆が特に食いしん坊のララさんがお母さんと一緒に予想以上に食べてしまい、途中でパンを買い足さないといけない…そんなちょっとした騒ぎはあったけどピザトーストはリンドブルム家の食卓のレギュラー入りを果たしたのだった。
でここで終わらないのが毎度の事でトースターで焼いたパンを大奥様がとても気に入ってしまい、ピザトーストも合わせて立冬祭の事件から定期的に訪ねて来ているロジャーさんに語ってしまったのだ。
それを聞いたロジャーさんは立冬祭の一件以来、ルインタイムズに寄せられている「引き続き料理に関する記事を載せて欲しい」という主婦から投書を大奥様に相談してしまい、そこからギルガメッシュ商会へとその話が行き、そこにエデ様まで加わって話はどんどん大きくなって……。
「マリアちゃん、来週の料理は決まった?」
「はい、確か夏に採れたスイートポテトの旬は12月ですよね?なのでスイートポテトのクロケットに蒸かしたスイートポテトを裏ごしして牛乳と砂糖を加えて作るお菓子と、残りの一品はまだ決まっていないです」
ロジャーさんは最後まで大反対をしていたけど話を聞いたルインタイムズの社長さんがデイ・モンドとオルフェの社長さんに声を掛けて三社合同で試験的に料理のレシピと解説を新聞に載せる事にしたのだ。
新聞が発行されない日曜日を除いた月水金に掲載される事になり、しかもレシピの提供は名前が知られてしまったボクが、お菓子作りに関してはリーリエさんの方が圧倒的に上手だからお菓子作りに関してはリーリエさんが監修をして、それ以外はメイド長さん、アグネスさん、エデ様が監修する事に、ボクはボクで今日もレシピを考えるのに頭を悩ませている。
「そうね、12月ならカブが旬よ!そうだわカブで何か温まる料理がいいわね…カブのシチューはホワイトソースを作るのにコツがいるから……」
ホワイトソースを使わない…ならあれだね。
「でしたら牛乳を入れてチャ…ミルクスープはどうですか」
「あら良いわね!それなら簡単、コンソメスープに牛乳を入れるだけだから初心者でも簡単に作れるわ!」
危なかった…チャウダーはアメリカ発祥の料理だから名前の由来を聞かれても「ボクが生前にいた世界のアメリカで生まれた料理です!」なんて言えないから、だけどミルクスープなら前にもメイド長さんとアグネスさんが作っていたから問題無い筈だ。
「ならホワイトソースの作り方も一緒に載せるのはどうさね?前に本格的なレシピが知りたいっていう投書が何通か来たって話だよ」
「ただ背伸びをしているだけという事もありますが、初心者向けのレシピだけに限ってしまうと面白みに欠けしまうので、時には少し中級車向けの料理も良いでしょう」
台所でエデ様と話しているとメイド長さんとアグネスさんが入って来た、料理に関してはボクより二人の方が圧倒的に上手なんだけどメイド長さんは新聞嫌いで、アグネスさんは恥ずかしいという理由で監修に周ってしまっている。
でもまあ、何時も適切な助言をしてくれるからレシピを考える時にとても助けてもらっているし、衆目の的になるのは覚悟して立冬祭であれだけの事をしてしまったのだ、だから新聞で名前が載ってさらに有名になって道行く人に声を掛けられる事がさらに増えた事は我慢しよう。
前のようにヒバゴンやツチノコを見る様な目を向けられなくなったんだから、とボクがレシピが決まって試作に入ろうとした時、慌ててリーリエさんが台所に入って来た。
「ちょっ!姉さん、打ち合わせをするなら呼んでくれって何度も言ってるだろ!?でマリア、お菓子のレシピはあるのか?」
「はい、スイートポテトを使ったお菓子です」
「そうか、よし!んでどんなお菓子なんだ?」
リーリエさんは嬉々として事前に紙にまとめていたレシピに目を通す、ボクは説明をする必要があるから椅子を脚立代わりにしてリーリエさんの質問に一つ一つ答える。
そうボクが作ろうと思っているのは日本生まれだけど何故か海外から来たお菓子だと思われがちなスイートポテトだ。
「何そのお菓子!面白いわね、裏ごしをして滑らかにしてから成型して焼く…そこまで難しくないし、それにそう!アップルパイの中身をこれにしても美味しいわよ絶対!」
「ちょっ!エデ様、そんなに近付いたらマリアが落ちる!」
「あらごめんさないね、それで名前は何て言うの?まだ決まってないなら私が決めてあげるわよ!」
「何言ってるさね、まあでも一つしか無いね」
「そうですね、それ以外は思い付きません」
「姉さんに同意」
「私も思い浮かばないわ」
「「「スイートポテト!」」」
こんな感じで王都での日々は賑やかに忙しなくし過ぎて行く。




