遠くて近い場所
幸せが遠いのなら、
幸せが向こうからやって来てくれないのなら、
あなたが幸せに会いに行っちゃえばいいんだよ。
だって例え幸せが、
自分の足で追いつけないほど、
遠かろうが、近かろうが、
今のあなたにはどう動けば自分が、大切な誰かが、
幸せになれるのか、感じることができているのだから。
幸せは、目に見えるものだけが全てではない。
形あるものには、限りが、限界がある。
でも、形が無いものはどうだろう?
あなたの幸せを願う、あなた自身の心の嘆きを感じることができた、
今のあなたになら、聴こえるじゃないかな?
あなたの幸せを祝福するために、
今はまだ目に見えない、形のないものたちが、
あなたの感情が息をして、あなたの笑顔を見ることを、あなたの安全な帰りを、
いつでも楽しみに待っているその声が。
あなたの傷ついた心を癒すため、全力であなたを愛すため、
両手を広げて待っているよ。
すでに形のない声が聴こえたあなたには、
遠い距離など、
幸せという形が、目に見える形で、在るか、無いかなんて、
もう関係ないんじゃない?
大切なものを、聴くことが出来る、
今のあなたにならば、絶対に、必ず、
形のない幸せという、
あなたを想う心に出会うことが出来る。
あなたがいつか必ず出会う、
あなたの目を見て、
「友達になろう」と、
握手を求める、その人が差し出す手は、
決して偶然では、運ではない。
絶望すらも、
冷たく突き放すことなく、
愛しく抱き寄せた、
希望にも、
きちんと耳を傾け、
頑張り続けて、苦しんできた、
あなたの優しさが引き寄せたものなのだから。
あなたを想い、差し出されるその手は、
あなたの心を聴くあなた自身の手でもある。
いつか、その手を握り返すあなたの手は、
ゆっくりと、前を向こうと頑張るあなたの勇気でもある。
さあ、あなたの心は正直だ。
すぐに立ち上がって、
一人で前を向いて進むのは、
誰だって難しい。
だから、
まずは無理せずゆっくりと、
自分が感じたいものを、
あなたの鼓動を感じよう。
そうして、あなたの勇気が、
あなたの全てを癒しきったとき、
自分の声を聴こう。
他の誰でもない、
わたしは何が見たい?
わたしは何がしたい?
わたしは何を聴きたい?
私は、何を愛したい?
自分が愛したいものが見つかったとき、
あなたは、苦しむ誰かの嘆きに、
自分の次なる試練に、正々堂々、向き合える。
だって、
そこで、誰かを苦しませている感情こそ、
今のあなたの一部となった、
あなた自身がよく知っている、
あなたが受け入れて、
乗り越えることができた、
誰かを愛する感情そのものなのだから。
そうしていつかあなたも、誰かの目を見て、手を差し出してこう言うのだ。
「友達になろう」
未来で君を待っている、
全てを受け入れ、成長した君は、
『希望』と呼ぶにふさわしい、美しさを持っている。