挑発
「しかし意外でした」秘書官の少女が言う。
「え?何が?」ヘラが問う。
「いや、今回魔王城を訪問する事にはならないと思っていましたし、訪問するにしてももっと友好的な訪問になると思っていたんですが・・・ここまで挑発的だと勇者パーティに守られてるとは言え、少し緊張してしまいます」秘書官の少女がハンカチで汗を拭いながら言う。
「だから何が?」再度ヘラが問う。
「またまた・・・悪魔崇拝の魔族にとって、7つの大罪暴食の罪ベルゼブブ殺しなんて我々にとっての主神殺しみたいなモノですよね?しかも先代魔王を殺した方に護衛を頼んで相手の本丸まで行くんでしょ?『手を出せるもんなら手を出してみろ、少しでも手を出したら躊躇なくお前らを潰してやる』って意思表示ですよね?」秘書官が笑いながら言う。
「先代魔王殺しって・・・」ヘラが青ざめながら言う。
「俺だ。知らなかったのか?」馬車の開いた窓から勇者が覗き込みながら言う。
もう訪問の連絡は魔王城へ行っている。このまま訪問しないのはもっと相手の面子を潰す。
もう訪問するしかないのだ。
ヘラは自分の無知を呪い、頭を抱えた。
一人の中に二つの人格がある場合、最終的にはどうなるか?という事をグレースは疑問に思っていた。
全く同じではないし、同じ結末になるとは限らないがウェヌスが一つのヒントにはなるだろう。
オッサンの人格はウェヌス本人の人格と混じり合い完全に一つの人格になっている。どちらに主導権がある訳でもなく、新しい人格が誕生した・・・と言ったところか。
グレースが気にしていた「人格は男なのか女なのか」という事だが、ウェヌスの場合は女のようだ。どちらでもかまわないが「ウェヌスが魔王の母親役を、女を望んだ」ようだ。
別に女になりたかったわけではなくウェヌスは先代魔王に恩を感じ頼まれた役割をこなそうと思っているようだ。
魔王領に住む人間は酷い扱いを受けていた。
先代魔王が奴隷として連れてこられた人間を解放し人間が市民権を得てからも、市井末端での差別が止む事はなく私生児として育ったウェヌスは職を見つける事が出来なかった。
そんな浮浪者をしていた人間の少女達を侍女として雇ったのが先代魔王だ。
目の前に命の恩人を殺した男が来る。
ウェヌスは黒い衝動を必死で抑えた。
「落ち着け。冷静になれ。相手は魔王を無傷で倒した男だ。自分が切りかかっても傷一つ負わせる事は出来ない。恐らく一息であの男は自分を壁のシミに変えるだろう。自分が死んだら魔王様はどうなる?誰が守る?落ち着け・・・落ち着け・・・」ウェヌスは何度も口の中で呟いた。
勇者はウェヌスを覚えていた。
勇者が先代魔王と戦っている間、先代の魔王の子供を目隠ししながら抱き抱えていた人間の少女・・・。魔族に連れ去られ酷い扱いをされているのかと思い「一緒に行くか?」と声をかけると、首が千切れるかと思うほど激しく首を横に振っていた少女だ。
今の今まで忘れていた。だが忘れたくても忘れられないその目付き・・・「殺したいほど憎いが、自分にはその力がない」その悲しみを湛えた目をまさか自分が向けられるとはこの時まで思わなかったのだ。
それから勇者は「殺してるんだから、俺より強いヤツに殺されるに決まってるよな」と言うようになった。
魔族と人間の違いは瞳孔の形の違いと悪魔崇拝が挙げられる。魔族は肌が浅黒いが、人間でも肌の色は生まれた地域や民族によって違うので、判別基準にはならない。
瞳孔の形は人間のように丸くはなく、ヤギのように横長ではなく、縦に長い。
悪魔崇拝と言っても、悪魔の中には元大天使であるルシファーやイスラム神秘主義者に擁護されているイブリースや「神の鳥」とも言われているフェニックスなどもおり、邪神や偽神も崇拝している神仏崇拝とくらべても、全く胡散臭さはないのだが。
ある宗教で神と言われている存在も、ある宗教では悪魔と呼ばれていたりするので「神と悪魔は紙一重」と言える。
だいたい崇拝というのは「拝んでいるだけ」という側面もある。
ハッキリ言えば「何を拝んでいるかが違うだけ」なのだ。
小さな港町で女神フレイアを崇拝し、拝んでいる街がある。でもフレイアに言わせると「知らないわよ、勝手に拝まれたって」といった具合なのだ。
ベルゼブブを拝む集団も当然存在する。拝む事自体は自然な事で問題ない。
だが我々の立場にたって考えて欲しい。
自分が崇拝していない神だとしても「今日、ここに今から神殺しの男が来るから」と言われて冷静でいられるだろうか?
勇者の率いる王女一行の来訪の知らせを受け魔王城はパニックになった。