王子
グレースが王宮で働き始めて一週間が経過した。
今日働けば明日は休みだ、仕事は好きなグレースであったが、休みの日にやりたい事がたまっていたので、休みの日を指折り数えて待っていたのだ。
休みの日には自家製のウスターソースとハムとチャーシューを作ろうと計画しているし、王女と一緒に城でパンも焼く約束をしている。休みが待ち遠しいが、サラリーマン時代の経験から「待っているほど時間は長く感じる。他の事に打ち込んでいるといつの間にか時間は立っている」とわかっているグレースは仕事に没頭する事にした。
朝礼に参加したグレースを遠巻きに他の侍女たちが見ている。雰囲気から「何かが起きたようだ。何かはわからないけれど」とグレースは思った。
朝礼で中間勤務の侍女達が昼勤務の侍女達に申し送りをした。最後に中間勤務の侍女は言いにくそうに言った。「グレース、この後王子様を訪ねてください。王子様があなたに用事があるそうです」
王子であるアポロンのコンプレックスは「母親が平民出身である事」と「子供の頃に母親と引き離されて、王宮で暮らし始めたので、親を知らない事」であった。
祖父が存命で国王として在位していた頃、まだ「王位継承順位」があり、男系王族の中で継承権が最も高かったアポロンは「将来王になる存在」として物心がつく前に一緒に城下町に住んでいた母親と引き離され、王城で生活するようになった。親を知らず、我儘一杯のアポロンにしつけをする人間はいなかった。王である祖父が「王位継承順位の廃止」を宣言した時に、手のひらを返したように周りから人がいなくなった。
「次代の王の子」「次々代の王」が「ただのわがままな王族のガキ」に変わったのだ。この時アポロンは子供ながらに「コイツらが頭を下げているのは僕ではない。僕の『王族』という肩書に頭を下げているんだ」と理解した。結局父親が王になりアポロンは『王子』という肩書を手に入れ離れていった人々は戻ってきたが、その事がアポロンの我儘に拍車をかけた。
アポロンにとってヘラは気に入らない存在だった。ヘラの母親は病弱な正室だったがすでに病死し男児が生まれる可能性はなかった。女性が王位を得ていなかった時、このいけすかない妹が女王になる可能性はなかったのだ、王になるのは自分だったのだ。それどころか自分が処刑を言い渡した男は引っ立てられる直前に押さえられながら捨て台詞のように「アンタが王になるようならこの国はおしまいだ。ヘラ様が女王になるべきだ。」と怒鳴った。
誰もが思っている。「この男は王の器ではない」と。誰もがそう思っているとアポロンは理解していた。だからこそアポロンは荒れた、荒れ狂った。
そんな時にアポロンが聞いたのがグレースの噂だった。
「ヘラのお気にいりの侍女を自分のものにしたら気分が良いだろうな」
「ヘラのお気にいりの侍女を僕が使い捨てたらヘラはどんな顔をするだろうか?見物だな」