俺が転生したら絶世の美女だった件
えー、別に今すぐ女の子になりたい訳じゃないし、つーか「女の子になってみたい」ってだけでガッツリ女の子になりたい訳じゃないし。
「あなたの希望通りです。何が不満なんですか?」
女神だろうか?目の前の美しい女性が問う。
「何もかも不満だけど、まず『死にたくなかった』かな?死ぬような飲み方してないでしょ?死因『急性アルコール中毒』って…同僚と飲み屋で楽しく飲んでただけじゃない。」俺は『生まれ変わり』そのものにクレームを出した。会話はかみ合っていない。女神は「生まれ変わりの内容に何の不満があるのか?」と聞いており、俺は「生まれ変わりたくない、死にたくない」と言っているのだ。
「わかりました。おまけで絶世の美女にします」女神は「やれやれ特別ですよ?」という態度だ。
「だから、そういう話じゃないんだけど…別人にならなくても…」そうなのだ、死ななきゃいけない運命だとしたらその説明が欲しいのだ、その上で生まれ変わるんだったら出来るだけ今のままが良いし、いろんなスキル持って生まれかわるなら、それに越したことはない…そう言いたいのだ。
「わかりました。農奴の娘の予定でしたけど、城勤めの侍女の娘にします。これなら文句はないですよね!?」女神は見当違いの譲歩案を提示した。
「そうじゃないって言ってるだろ!何で俺は死ななきゃいけないんだ!?それよりこういう場合って普通ごねたらチートスキルもらえるんじゃないの?変わるのが置かれてる立場だけっておかしくないか?」俺はついに怒鳴ってしまった。上司から「交渉をする時には感情的になった方が負けだ」と言われていたので、冷静に話をしていたつもりだったのだが。
「私の権限じゃこれが精一杯なんです。ステータスなんて上げれるワケないじゃないですか。美の女神フレイアがいじれるステータスなんて『魅力』だけだし。戦士とか男の生まれ変わりは私の管轄じゃなくて部下の管轄だし。そもそも男を転生させるのなんて生まれてはじめ…あっ」
それが本音か。チートスキルもらえるんだ、それを生まれ変わらせた神様が与えられれば。俺を生まれ変わらせた『美の女神』は女にしか生まれ変わらせられないし、いじれるステータスは『魅力』だけなんだ。とんだ外れを引いてしまった。
「そんなに戦いたいんですか?戦いの女神たちヴァルキリーは私の部下なんですよ?彼女たちが私より優れている事と言えば男の扱いくらいですよ?何かの手違いで男の人を生まれ変わらせる事になっちゃったみたいです。それに今夜死ぬ運命も何かの手違いっぽいし…顔だけじゃなくて、スタイルも良くするから許して!ね!」いやフレイヤが強いのは知ってる、有名な過去、現在、未来を意味する巨人族ヴァルキリー三姉妹だってフレイヤの部下だった訳だろ?そうじゃなくって強いんだったら授与できるチートスキルの一つや二つあるんじゃないの?
「いや、そういうの要らないからチートスキルをくれよ!生まれ変わった世界を余裕で生き抜けるようなスキルあるだろ?」
「口を開けばチート、チートって…。しょうがないんで生まれ変わった世界で使えるスキルを一個だけ伝授します、本当はダメなんですよ、始末書書かないと…」
「何だあるんじゃないか、チートスキル。最初から…」
「伝授するスキルは『家事能力全般』です。この能力は『器用さ』が大幅に上がります、が上がる器用さは家事に関わる事限定です。この能力があれば炊事、洗濯、掃除、編み物、縫い物、子育て何でも家事に関する事なら無双出来ます。未だかつてこんなに役に立つスキル伝授があったでしょうか?いやない!」
「無双の意味わかってる?戦いのスキルじゃないじゃん!」俺のクレームに対しフレイアは
「戦いたいんですか?でもあなたのスタイルを良くする時に筋肉をなくして胸を大きくしましたから『戦闘力』は3から1まで下がりましたよ?今のあなたは街の周りに現れる雑魚モンスターも倒せませんが、別に良いじゃないですか?そんなモンスターは倒せる人が倒せば良いんです。あなたには倒せる人のご飯を作って家の掃除・洗濯をして子供を産んで育てる、という役目があるんです。もしかして、家の外の仕事ばかりが仕事だと思ってるんですか?家の中の仕事だってあるし、それとは別に仕事を外でしたりするんですよ?もしかしてそういう仕事を認めないタイプの人だったりします?」
そんなん言われたら「こんなクズみたいなスキルいるか!」って言いにくいじゃん。言ったら「コイツ女の敵だ!」って言われそうじゃん。
俺がモゴモゴ言っていると「これ以上は文句は言わせない」とばかりにフレイアは「それでは転生させますね!あなたは前世の記憶がある少女という事で。少女が前世の記憶が夢じゃない、と気付いたのが16歳の誕生日という事で。本当は産まれた時からやり直しても良いんだけど、赤ん坊の体に前世の記憶があってもだいたい発狂して終わりですからね。コレはサービスって事で」
文句を言う前に転生がはじまり、目を開けると見知らぬ天井が見えた。俺はベッドで横になっていたらしい。
頭の中に情報が流れ込んでくる。
今まで「何か大切な事を忘れている気がする」と思い生きてきた。
今起きた瞬間、前世の記憶が蘇った。その事により「少女=おっさん」って、心のバランスが一瞬で取れたのだ。記憶喪失が治った感じと言えば良いのだろうか、妙なスッキリ感がある。
今日母親と一緒に王宮に出仕する事になっている。
母親は侍女として王宮で働いているが、母親のツテで自分も王宮で働く事となっているのだ。
着替えている時、自分の裸を見て何とも思わない事に対して「女の裸を見て何とも思わないなんて」という思いと「そりゃ毎日見てるんだから何とも思わないよな」という思いを味わった。
王家指定のメイド服を身に着ける、女性ものの下着と服を着るのは初めてのはずだが、一方では16年間毎日着ている、という風にも思っている。ベルトが「これ犬の首輪じゃないのか?」というサイズだが、着けてみるとそういうサイズで正しいらしい。
メイド服は本当のメイド服で、メイド喫茶で「いらっしゃいませ、ご主人さま」って女の子たちが着ている「なんちゃってメイド服」ではないようだ。エプロンドレスを付け鏡の前に立ってみる。
そこには見た事がないような腰までのストレートヘアの黒髪に黒い瞳の美少女が立っていた。一方では「見慣れた自分」と冷静に思う自分もいた。
これはいけない。何がいけないって「女性の裸を見ても何とも思わない。美少女を見ても何とも思わない」って事だ。下品な言い方をすれば「インポになってしまったかもしれない」という事だ。
慌てて股間に手をやるが、当たり前のようにあるべき物があるべき場所にない。
自分の中に人格が二つあるようなモノだが、主人格は男ではなく16年間生きてきた少女なのだ。心も体も彼女のものでそれを邪魔する、という事は「生きる邪魔をする」という事で、あってはならない。
しかし主人格である少女は、隣に住んでいる男性に密かな恋心を抱いており、彼が結婚した時ショックを受け人知れず寝床の中で涙をながした。
彼女に任せるという事は恋愛対象が男になる、という事で断じて容認は出来ない。いや容認しなくてはならないのだろうし、傍から見れば心の中にオッサンがいるなどわかるはずもなく、女同士の恋愛など普通ではないし、男との恋愛の方が普通で微笑ましいのだが。ただ理屈ではない、イヤなものはイヤなのである。
それは彼女も同じで心の底から「女同士の恋愛なんて冗談じゃない、不潔だ」と思っている。
恋愛については今すぐに結論は出ないし、出す必要もないので横に置いておけば良いという考えなのだ。
しかし彼女は25歳までには結婚したいと考えており、そこまで長く結論の先延ばしは出来ないのであるが。
「そろそろ出かける前に朝ごはん食べなさい、グレース」
母親であるイシスが部屋のドアを開け、声をかけてきた。
情報が頭の中に流れ込んで来る。父親は城で兵士をしており城で侍女をしていた母親と知り合い恋をしたが、15年前に隣国との小競り合いで命を落とし、以降母親と城下町で二人暮らししているのだ。
グレース、それが自分の名前らしい。つーか、この名前決めたのあの女神だろ。
だってギリシャ神話に出てくる美の三女神カリスの英語読みで「カリスマ」の語源がグレースだ。
あの女神どんだけ自分の事好きで、どんだけ美しいと思ってるんだろう?たまにいるよね「自分大好き」な人。生まれ変わる前はそういうナルシストな人苦手だったけど、見た目がよくなったら考え方も変わるのかな?まあ美の女神の名前をつけたといってもグレースと母親の名前をイシスにしただけだからね。
もしヴィーナスとかアフロディーテって名前だったら抗議の焼身自殺するところだった。
「これは就職でもあるけど、花婿探しと花嫁修業を兼ねているんですからね」イシスは言った。
げ、宮廷でお婿さん探しをしなくちゃいけないのか。
残念ながら母親の期待には応えられないんだ、自分の希望があるとするなら貴族の令嬢と百合百合しい関係になって、子供は作れないから養子を迎える、ってのが思い描く未来予想図かな?…て一方で、もう一つの人格は「素敵な花婿さんと結婚して、将来の夢は可愛い花嫁さんになること」って思ってたりする。
一つの体の中で大喧嘩になりそうなので、この話題は避けて通りたい。
今は一つの体に二つの人格がいるが、そのうちに統合され人格は一つになるだろう。統合されなかったとしても、どちらかの人格は消えてなくなるだろうとグレース本人は考えていた。というのも、二つの人格が二つの決定事項を下す事は非合理的な事である、と思っていたからだ。例えば、「右に行く」という決定と「左に行く」という決定が同時に下された時、二つの決定があるという事は「何も決定していない」という事と同じなのだ。
「考えが消える」という事は「自分が消える」という事で恐怖を感じる事だ、と思っていたが二つの人格がある事のほうが不自然でどちらの人格が考えた事も「自分が考えた事」だと思っているので、人格が消える事に対する恐怖は全くなかった。それに人格がなくなり決定権がなくなる、という事は人格が「考え方の一つ」になるという事で消えるという事ではない気がするのである。
イシスと一緒に街を歩く。
ガニ股で歩くのを止めなくちゃいけない、と思っていたが16年間歩いてきたように意識せず歩けば良いだけだし、ガニ股で歩こうとしても身体に染み付いたクセや骨格で内股の矯正程度にしかならず、ガニ股で歩く事は出来なかった。
注目を集めている。
美人親子と評判高い二人が連れだって歩いている。それにイシスもまだ30歳を越えたところなので実際に「若く見える」のではなく「若い」のである。
父親が死んでから母親には再婚話が山のように来たらしい。
「子供はまだ小さいんだし、父親が必要だ。」周りはおせっかいを焼いたが、イシスは独身を貫いた。
イシスはグレースの身持ちの硬さは自分が父親の事を何度も話して聞かせたせいだと思っている。
きっと父親の話を聞いて育ったせいで「想像上の父親はとんでもなく良い男で、想像上の父親を超えない男とは付き合わない」と思っているせいで未だに交際経験がないんだ、と思っていた。
イシスはこの機会にグレースを男性慣れさせようと思っていた。
だがイシスは知らない。グレースは母親と同じ態度を取っているだけで、父親以外の男性に見向きもしない、父亡き今となってはどんな男性にも見向きもしないイシスの態度を見て、同じ態度を取るのが普通だと思っているだけなのである。実際のグレースの男性の理想はありえないくらい低かった。
グレースの理想の男性は
・自分の作った料理をおいしそうに食べてくれる人
・自分を愛してくれる人
・自分より長生きしてくれる人
理想というか、どれも「してくれそう」という想像で、付き合い始める時の理想は皆無なので、ハッキリ言えば「理想はない」と言えた。そんな交際を申し込めば即OKのグレースが誰とも交際していないのはイシスを見ていたから「女はそう簡単に男の話を聞いてはいけない」と思っていたのだ。
城に着き、裏口から中に入る。
狭い一本道の通路を通った。何でも、外敵が攻めて来た時『ここを守れば良い』というように出入り口は少なく、正面玄関以外はわざと細く長く狭くしているらしい。普段のイシスであれば顔パスのはずの通路を「今日から城で働く事になった娘です」と何度も通路を警備する兵士に挨拶も兼ねて説明する。
しばらく歩くと城の厨房に出た。「ここが厨房。私たち侍女の食堂でもあるからここに来る機会も多いから覚えておくと良いわ」イシスは説明しながら厨房脇のドアを開けた。
そこは20名くらいの女性がいる部屋だった。
「ここは侍女の更衣室兼詰所よ。朝礼、夜勤者への申し送り、夜勤者からの申し送りもこの部屋でするわね、あと着ている物が汚れた場合もここで着替えるの、わかった?」
「はい!」イシスからの説明に対して、大きな声で返事をした。いや、母親とはいえこの場では上司じゃない?上司の説明に対しては、大きな声で返事するよね?
イシスはその場にいる侍女たちにグレースを紹介した。
「紹介するわ、私の娘グレースよ。今日からこのお城で侍女として働く事になったから。みんな厳しく指導してあげてね」
イシスの紹介で皆の前に出る。見渡してみて思う、皆若いし可愛い。恐らくではなく絶対、最年長はイシスだ。それ以外は同世代から20代前半といったところだ。そこで買い物の時に「侍女になる」と近所の八百屋のおばさんに言った時の「これで結婚の心配はいらないねぇ。くれぐれも自分を安売りしちゃダメだよ?」という意味がわかった。侍女は平民女性の婚活の場なのだ。しかも侍女くらいしか平民が貴族と接する事が出来る職業がないので、競争倍率が高い仕事なのだ。侍女になるという事は見た目だけじゃなく、全てにおいて優れていないといけないのだ。本来ならば身内のつてで就職できる職場ではないが、それだけイシスが優れていて、発言力があり、「彼女の紹介なら間違いはない」と周囲に思わせるだけの人物である、という事だ。
「グレースと言います。至らない事もあると思いますが、皆さまご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。」すこし堅苦しい挨拶だったかな?とは思うが砕けた言葉を使うと男言葉が出てしまいそうだ。実際グレースの主人格に喋ってもらえば男言葉が出る心配はないのだが。
でも堅苦しい挨拶がかえって侍女たちに好感を与えたようだ。侍女たちからしてみれば、新人の中に時々あらわれる「可愛いだけの結婚までの腰かけ気分の女の子」ではなかった、という判断基準になったらしい。
侍女たちの反応を見てイシスはうなずきながら「それじゃあしばらくはノーマについて仕事を覚えてね。よろしくお願いするわね、ノーマ。それじゃあ解散!」と言った。
蜘蛛の子を散らすように侍女たちが詰所から出て行った。
そこに残されたのはグレースとノーマだけだった。
「指導よろしくお願いします!ノーマ先輩!」
グレースは勢いよく頭を下げた。
本来花婿探しのライバルであるはずのグレースに頭を下げられたノーマは毒気を抜かれたように笑いだした。
「同い年なんだから敬語はやめてちょうだい。あと『先輩』っていうのもやめて」
これが生涯の親友となるノーマとの出会いであった。
手始めに城内の掃除をグレースはする。
そこで女神から授与されたスキル『家事能力全般』が発動する。一日かかるはずの掃除をグレースは10分で終わらせる。しかも仕上がりは完璧で。
その後、予定にはなかったが城全体の洗濯物を洗い工程・干し物工程合わせて、10分で終わらせた。
さすがに乾くのにかかる時間はスキルを使っても短縮は出来ないらしい。
洗濯物を取り込んで畳むまでの間、時間が空いてしまったので厨房で作業をする事にした。
本来であれば厨房の作業は料理人の管轄だが、賄いを作るのは早く作業の終わった侍女の仕事である。
当たり前であるが、侍女たちは料理人が作る王侯貴族と同じ物を食べる訳ではない。
余った具材を使い自分たちで料理をするのである。
新人が料理をするのは異例といえた。そもそも新人が「仕事が早く終わってしまって、手が空いている」という事自体が初めてのケースなのだ。「誰も料理をしていないから適当に余り物と残り物を胃に収めて仕事に戻る」なんて事が当たり前にあったので料理の美味しい、不味いはそれほど問題にならなかった、不味くても「食事があるだけマシ」だったのだ。
グレースは使っていい食材とスパイスを確認した。異世界、特に内陸部である王国は冷蔵手段は発達していないが、食材の匂い消しと食材を傷ませないためのスパイスは思った以上に発達していた。スパイス、特に胡椒は中世には同じ重量の金と取引されていたと聞いたから、スパイスは高級品かと思ったが、交易は盛んでスパイスは安価に手に入っていたので使いたい放題であったのだ。各種スパイスと家畜の臓物とクズ野菜を見たグレースはナンとカレーを作った。カレーはもう少し煮込んだ方が良い味が出るが、グレースが作ったカレーは王侯貴族の食事よりも美味しかった。そもそも異世界にカレーという食べ物はなかったので、カレーの匂いと物珍しさも手伝い、厨房の周りに人だかりが出来た。
ホルモンカレーは学生時代、金がなかった時に良く作った。違いは市販のカレールーを使っていない事と、家事スキルが発動しているのでプロ以上の料理になっている事だろう。
侍女や厨房スタッフ、兵士たちは口々に「余り物でこれだけの料理が出来れば良いお嫁さんになる」とグレースを褒めた。
グレースが作ったカレーを食べた人の中に王女の教育係である執事がいる。
こうしてグレースは異例の早さで王女付きのメイドに推挙される事となった。