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孤悲ごころ拾遺  作者: 宮ノ上りよ
第三章 渦中に立つ ~天文十八(一五四九)年・春~夏
9/18

その四 齟齬

                    §



 ――己が無力の程が……情けない。



 涼泉院殿の五七ごしち日(三十五日)。

表方では早朝から、法事の準備に追われていた。


 二七日(十四日)から六七日(四十二日)までは、その都度大広間に祭壇を設けて奥向の御仏間から涼泉院殿の御位牌を御動座し、御身内と御重臣方のみにより簡素な御法要を執り行う。

朝の御仏間御拝礼で若君が奥向に入られた折、御拝礼後に御位牌を捧げて戻られるので、それまでに近習衆総出で祭壇の支度を整えねばならない。


 あちこちで作業に追われている朋輩達を、細かい指図を与えながら見て回り、大広間に差し掛かった時。

「若殿の御法要の御仏具、そのようなぞんざいな扱いを致して良いと思うておるのか!」

「申し訳ござりませぬ!」

祭壇の前で二、三人、何やら揉めているのが、見て取れた。

急いでそちらへ向かう。

「若殿が既に亡き御方とて、もはや軽う見ても構わぬと侮っておるのではあるまいな」

「いえそのような事は決して!」


 ……また、か。


 「左馬之助さまのすけ様、我が配下の者が何ぞ粗相を致しましたか」

「……太三郎殿」

「私の指図が行き届かず、まことに申し訳ない事にござりまする」


 朋輩のひとりを叱りつけていた、涼泉院殿の御近習頭・今岡左馬之助様に向かって、深々と頭を下げると

「いや、太三郎殿に謝って頂く程の事では。……どうやら私もあまりの忙しさについ頭に血が上りやすいようでいかぬ」

気まずげに手を振って、左馬之助様が仰せられた。

私は再度、黙って一礼すると、その場にいる朋輩達に

「若君は既に奥向に入られたゆえ、あまり時がない。急ぎ祭壇のしつらえを整えよ!」

作業の続きを促して、その場を離れた。


 この所、いつもこのような事ばかり、あちこちで起こっている。


 御後嗣の件で、涼泉院殿の御近習衆と、我ら若君の近習衆の間の齟齬が、日増しに深刻になりつつある。

涼泉院殿の御近習衆は、涼泉院殿の七七(四十九)日の御法要の後、務めを解かれる事になっている。だがもし御方様が和子様をお産みあそばされた場合は、御成長の後に再び参集して主の忘れ形見にお仕えせんと、皆が結束して誓い合ったのだと聞いた。

それゆえ、未だ御子が和子様か姫様かも判らぬうちから、若君近習衆が若君を御後嗣に、と主張している事が許し難いのだとも。

御館内では流石に表立って激しくいがみ合う事はないものの、外でたまたま両者がかち合うと些細な事から酷い争いになる事が近頃よくあるのだと……朋輩達からだけではなく、父上からも聞かされていた。

このままでは今に、血の気の多い者同士で刃傷沙汰にもなりかねぬ、とも。


 父上からは、よくよく配下の皆に目配りして自重を促すようにと厳命されている。

左馬之助様の御父君・次席家老の今岡治部進じぶのしん様も、父上と話し合われた上で左馬之助様に同様の御指示を与えられたとの事で……これまで配下の者同士のいさかいがある度に、私は左馬之助様と話し合って穏便に解決を図って来た。

左馬之助様と私は筒井筒(幼馴染)の間柄ゆえ、このような状況にあっても腹を割って話し合えるのが幸いであった。

だが、今日の様子を見ていると、左馬之助様も相当、鬱屈が貯まっておられるように見受けられる。

流石に私に対しては、どうにか平静を保たれたようだが……。


 御法要が滞りなく済んだ後。

後片付けも全て済んだところで、若君の御居間に続く廊下を辿る、と。

……前方が、何やら騒がしい。


 「何故にああまで言われねばならぬのじゃ!」

「如何に兄君だとて言って良い事と悪い事があろうに!」


 障子が一枚開いている、若君の御居間の真ん中で。

朋輩達が四人、立ったまま声高に話している様子が、見えた。

いや、厳密には三人か。

ひとりだけ……今岡勝二郎しょうじろうが、黙って俯いている。


 「そなた達、声が大きい。廊下まで響いておるぞ」

室内に入りしなに窘めると、四人とも驚いた顔で頭を下げた。

「何ぞあったのか?」


 私の問いに、中のひとりが顔を上げて。

「太三郎様!先程の大広間での一件、我らには得心がゆきませぬ……っ!」

声を低く抑えながらも、憤懣やるかたないといった調子で語り出した。


 大広間での祭壇の準備の折の粗相は、たまたま擦れ違った者同士で足を取られかけて、危うく持っていた仏具を取り落としそうになった、という程度の事だったらしい。

ところがそれを見咎めた左馬之助様が、厳しい御叱責を下された。

涼泉院殿の御法要のお支度を、若君近習衆がさも軽んじているかのように思われたのだろうか。

それでも左馬之助様も、些細な事でつい苛立ってしまったと、御自身解っておられたのだろう。

理由を聞かず頭を下げた私に、謝ってもらう程の事ではないと率直に認められていた。

だが。


 私があの場から去った後、左馬之助様の弟である勝二郎が

『あまり些末な事で御無体を仰せられますな』

と、朋輩を庇って兄君を諌めようとした、らしい。

すると、左馬之助様は勝二郎をきつく睨み付けて

『兄に向かって随分と大層な口を聞くようになったの、勝二郎。早くも御世嗣御近習気取りか。僭越な事よの』

そう言い捨てて、去って行かれたのだとか。


 「私を庇うてくれたばかりに、勝二郎殿にはまことに相済まぬ事に……」

粗相をした朋輩が頭を垂れるのに

「何を申す、勝二郎殿は至極当然の事を申し上げたまでじゃ!それを左馬之助様が……」

「そもそも最初の御叱責が言いがかり以外の何物でもなかろうに!」

横に居るふたりがちいさく叫んだ。

そして……勝二郎は、唇を噛みしめて黙ったままでいる。


 「勝二郎殿の手前、何だが……僭越なのは左馬之助様の方ではないのか」

ぼそりと、ひとりが言った。

「未だ和子様とも姫様とも判らぬ御子を奉じられて、あちらこそ若君を軽んじておられるのではないか」

「そのような邪推をするでない!」

あまりの物言いに、ぴしりと言葉を浴びせると

「されど太三郎様!」

「御法要の度に誰かしら、あちらの御近習衆に些細な事ばかりで咎められておるのですぞ!」

「我らもはや、我慢がなりませぬ!」

皆が口々に言い立てる。


 ここにいる者達だけではない、おそらく他の朋輩達も、皆。

もはや、勘忍なり難い所まで来ているのであろう。

だが何としても、ここは抑えねばならぬ。


 「我らが若君に忠心からお仕え申し上げるのと同様、涼泉院殿の御近習衆も皆、涼泉院殿を心から敬い慕ってお仕え申し上げておられたのだ。それゆえ此度の涼泉院殿の御薨去が如何ばかり御無念な事か……そなたらとて解るであろう」

「それは重々存じておりまする、されど」

「左馬之助様始め皆様、未だお心が乱れておられる上に、御家中がただいまの有様ゆえ、我らが御後嗣の件で涼泉院殿御近習衆をとかく軽んじておるように思われるのやもしれぬ」

「我ら、そのようなつもりは」

「ないと申すか?」

左馬之助様を批判した朋輩が反論しかけるのを、睨み付けて。

「全くないと申せるのか、そなた。先程のような無礼な言葉を易々やすやすと発しておきながら」

「……」

「涼泉院殿おわさぬ今、おん忘れ形見の御子にこれまで同様の忠心を捧げてお仕え申し上げたいと、御近習衆が思われるのは当然の事。それは若君を軽んじるという事では断じてない」

それゆえそのような事、以後は決して口にするな、と。

皆を見渡してそう言った。


 まだ納得がゆかぬ、という顔ながら、皆が口を噤んだ。

――と。


 「全く……何故、若殿身罷られし今になってこのような」


 「……何と申した?」

ひとりが洩らした、ひとりごちるような呟き。

その言い方に不穏なものを感じて、鋭く問い返した。


 「御世継御誕生が見られぬゆえに、御側室の事まで取り沙汰されておった程なのに、今更」

「黙れ!無礼ぞ」

皆まで言わせずきつく咎める、と。


 「皆が申しておる事にございまする、太三郎様!何故に今更御懐妊なのかと」

「それ以上申すと許さぬ」

「されどっ!その事なくば御家中がこのような事には」

「黙らぬか」


 聞くに堪えぬような皆の言葉を、その都度一々、抑えた声で鋭く遮った。

だが、一旦溢れだした不満は堰を切ったように流れ出して、留まる所を知らなかった。


 若殿御存命中に和子様が御誕生あそばされたならまだ良かったものを、今となっては混乱の種にしかならぬ、とか。

若君が和子様を御後見されると仰せられても、こうまで拗れた御家中はもはやまとまりがつくまい、とか。


 涼泉院殿――若殿に対して、御方様やお腹の御子に対して、あまりにも無礼な言葉の羅列。

何とか食い止めようと努めたものの。

……次第に私は疲れを覚え始めた。


 聞いているだけで胸が痛い、聞きたくない、どうにかして皆を黙らせたい、なのに。

誰も私の制止の言葉に耳を貸そうともしない。



 「御方様がお倒れになられたあの折、いっそ御子が流れてしまわれればこのような事にはならなんだのだ」


 不意に。

それまで黙っていた勝二郎が、耳を疑うような事を口にした。


 「御子さえおらなんだら御家中が揉める事なく、若君が御家督の君となられる」

勝二郎の言葉に、皆が頷く。

「御方様とてまだお若いのだから、身軽く都の御実家へ戻られて新たな御縁を求める事も叶おうに」


 控えよ、余りにも無礼千万、と。

一喝しようとして……だが、言葉が喉の奥でつかえた。


 勝二郎は己が何を口にしているのか、解っているのか。

事もあろうに主筋の御子が流れる事を望むなぞ、家臣として、いや人としても、決して許されない暴言だ。

若君がこの場におられたら、間違いなく勝二郎はただでは済むまい。

それが解らぬ程の愚か者ではないはずだ。

だが……。


 勝二郎の父君・治部進様は次席家老の御立場から、嫡系による御家継承が物の道理であるとして若君の御意向を是とする旨を表明されておられる。

が、それとは別に、御自身の亡き御内室が若殿の御乳母おんめのとであられたがゆえに、若殿への御哀惜も一入ひとしおなのだと……以前、父上に伺った。

兄君の左馬之助様は、私が若君の乳母子めのとごゆえに若君に近侍したのと同様、母君の御縁で早くから若殿御近習を務められた方だ。

若殿の御元服前に身罷られた母君は、今際いまわの際に左馬之助様に、若殿への生涯かけての忠誠を繰り返し説かれたと聞いている。

……そのような家内にあって、若君近習である勝二郎がどれ程肩身の狭い、居たたまれぬ思いでいるかは、想像に難くない。

勝二郎とて、本来はこのような、人としての心根を疑われかねぬような言を易々と口にするような者ではないのだ。

日々が針のむしろの上に居るような暮らしの中で、心が荒んでおるがゆえに……思わず心無い言葉が口をついてしまったのだろうか。


 「……勝二郎、もう、よい」


 強く咎める代わりに。

これ以上彼に何も言わせまいとして、辛うじて絞り出した言葉が……力なく響いた。


 と、その時。

ふと上げた目線の先――一枚だけ開いていた障子越しに見える廊下を、女子が小走りに去っていくのが見えた。

日々見覚えた後ろ姿に、よく似ている。


 ……まさか。

もしや今の話を――聞かれたか。



                    §§



 誰がどこで聞いておるか判らぬゆえ、これ以上この件に関しての話題は厳に慎むように、と。

皆を戒めて、貞盛はその場を離れた。


 奥向との境にある錠口に足を向けて。

すぐ横にある詰所に控えていた当番の者に、奥向との間に人の出入りがなかったかを貞盛が問うと

「表方に出られていた御方様御側付の八千穂殿が、今しがた奥向に戻られたばかりにて」

ここ一刻の間は、それ以外の出入りはなかったとの答えが返って来た。


 やはり見間違いではなかった。あれは、千保だった。

何時から居たのかは判らぬが、あの場のやり取りをある程度聞かれたに違いない。

貞盛は思わず、目を瞑った。



 四日後。

早い時間に館から自邸に帰った貞盛は、夕刻に八千穂が宿下がりで帰邸すると聞いて、来る時が来た、と思った。


 八千穂が何時から、どのあたりから、近習達の話を聞いていたのかは判らない。

けれど少なくとも、今岡勝二郎光直みつなおの発言と、それを遮る事もせず黙っていた貞盛の様子だけは、間違いなく目にしているであろう。

日頃から女主人である澪乃に心服し、それにも増して亡き敦良を幼い頃から実の兄以上に慕っていた八千穂の事だ。

そのふたりの子が流れた方が良かったなどという酷薄な暴言と、それを誰も窘めなかった事について、このまま看過するはずがない。

話の内容が内容なだけに、間違っても澪乃や、上役の由紀江には報告すまい。言えば女主人の心情をどれ程傷つけるかと……八千穂ならばそれを思い、口を噤むであろう。

だが、己が兄に対しては、決して黙っているような妹ではない。

顔を合わせる機会があれば、何故光直を厳しく咎め立てしなかったのかと詰め寄られ、なじられるに違いないと、貞盛は思っていた。

――が。


 帰邸した八千穂は、貞盛に通り一遍の挨拶をしたのみで、後は全く話しかけて来なかった。

皆で夕餉を囲んでいる折もいつになく言葉少なで

「あまり食が進みませぬゆえ」

早々に座を立ってしまった。

その後は、母の美玖と自室で何事か話していたようだが、そのまま顔を見る事なく。

翌朝、貞盛が出仕の支度をして朝餉の席に着いた折には、八千穂は早朝から仕事があるゆえと、既に邸を出た後だった。


 昨夜の八千穂は明らかに、意図して貞盛を避けていた。

夕餉までの間も……一、二度廊下ですれ違った際、黙ったまま目を合わせようともしなかった。

だから、朝餉も摂らず早々に出仕したのも、あるいは自分と顔を合わせたくなかったからであろうか、と。

胸の中にわだかまる疑念を持て余しながら、貞盛は黙々と箸を動かしていた。


 もはや、問い詰めたいとか、文句を言いたいとかいう気にすらならなかったのだろうか。

あのような由々しき発言を、近習頭として戒め止めることも出来なかった兄のあまりの不甲斐なさに、怒りを通り越して、顔も見たくないという心境に至ったのだろうか。

だが、貞盛は八千穂に敢えてあの折の事を釈明したいとは、思わなかった。

途中までは近習達の発言を何とか止めようとしたものの……光直の暴言に至るまでのあの場の流れを、結局断ち切る事が出来なかったのは事実だ。

だから、八千穂にどう思われても仕方がない、何を言った所で全ては言い訳でしかない、と。


 千保はこの先、自分を許す事はないかもしれない。だが、それも致し方のない事だ。

もはやどうなろうと一切、言い訳はすまい。


 深い諦めの中で、貞盛はそう、覚悟を決めていた――。


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