戻ってきた日常
シフたちが戻ってきたのは、夜も更けた時間帯だった。
普通は門を通してもらえないが、ゼロの顔が役に立つ。衛兵に挨拶をしつつ、事情を説明して通してもらった。
「では、本部へは私が報告しておきます。各人、明日の朝に顔を出してくださいね」
「解りました。では、また明日。お疲れ様でした」
「おう、また明日。お疲れ」
「お疲れ様です!」
ゼロの言葉に甘えて、口々に挨拶を残して家路につく。シフもティナと連れだって、家へと戻った。
ケラシーヤやトリがもう眠っているかもしれないと思い、シフは静かに鍵を開けて中に入る。
中は暗く、思っていた通り、すでに眠っているようだ。
「今日はもう着替えて寝よう。明日の朝、ケイに説明するから」
「うん、解った。お疲れ様」
お休み、と部屋に戻ろうとしたティナの腕を掴み、軽く抱き寄せる。小さく首を傾げているうちに、頬に手を添えて、軽く口付けを交わした。
「急に何……?」
「もうちょっと。出かけてる間、ずっと我慢してたんだからさ」
硬い鎧を着ているので抱き心地が柔らかいわけではないが、腕や脇腹のあたりなど、鎧が覆っていないあたりは柔らかく気持ちが良い。
二度、三度と口付けを重ねると、ティナが抗議の声を上げた。
「んっ、ちょっと」
「ああ、ごめん。可愛かったから、つい」
「ついじゃない。もう」
怒ったふりをしているが、顔が真っ赤で照れているのが解る。シフは笑いをかみ殺して怒らせないように意識する。
そのまま、二人で二階に上がると、ぼそりと声がかけられた。
「おかえり」
「うわっ」
廊下で扉にもたれかかりながら、ケラシーヤが二人に声をかけた。
「えっと、ただいま。びっくりした。起きてたんだ?」
「た、ただいま戻りました」
どもりながら返事をするシフに、鷹揚に頷くケラシーヤ。
「ええ、二人が戻ってきた時にね。一応、この家にも結界は張ってるから」
「ああそっか。ごめん」
「いいのよー。夜遅くでも、ちゃんと帰ってきてくれたら、それで文句はないわ」
ケラシーヤはうんうんと頷きながら、妙に間延びした話し方をする。シフが困っていると、ティナがシフの脇腹を肘で突いた。
「じゃあ、私は部屋に戻りますね。お休みなさい」
「え、ああ。お休み」
ケラシーヤも挨拶を返し、ティナが部屋に戻った。シフとケラシーヤ、二人で廊下に向かい合う。
「何か怒ってる?」
「いえ別に。夜も更けてるし。起こそうとしないのも、しょうがないもの。ちょっとだけ、寂しいけど」
「あー、ごめん。ええっと。それでケイ、体調はどう?」
「少し前はきつかったけど、今は安定してるわ。少しだけ、お腹も膨らんできたし。ほら」
ケラシーヤは手をゆっくりとお腹に当てて、微笑みながら撫でる。シフも近寄り、同じように撫でると、確かにお腹が膨らんでいるのが解る。
「へえ。今で大体、四ヶ月くらい? 結構解るもんだね」
「んー。そうね。ところでシフくん。私にはないの?」
ケラシーヤは手を伸ばし、ゆっくりとシフの唇を指でなぞる。シフはその手に誘われるように、ゆっくりとケラシーヤと口付けを交わした。
翌日、早い時間から討伐に向かった四人とケラシーヤ、ミーアの六人が六歌仙本部にあるケラシーヤの執務室に揃った。
挨拶をかわして席に着くと、早速話し合いが始まった。
ゼロが中心となり、討伐の結果をケラシーヤに報告して、シフたち三人が補足する。報告が終わった後、いくつか事実確認を取り合った。
シフが一騎打ちをしたあたりでは、ケラシーヤの顔から笑みが消えたりもしたが、おおむね問題はない。
「言っていた通り、事後処理はよろしく。ティナちゃん、ゼロに手伝ってもらっていいから、報告書を作ってね」
「解りました」
ケラシーヤはティナの返事に満足して頷くと、あらためて宣言をする。
「十日後に団長の退団と騎士団編成、王女の即位式が行われます。即位式は簡易に行い、王都であらためて貴族連中で行うらしいわ。その時にゼロを団長に任命するわ」
「ケイが引退するのもその時?」
「ええ、そうね。引退と言っても、退団するわけじゃないし。シフくんと一緒に遊ぶから。それと伝え忘れていたけど、カルネはそれまでに戻ってくるって手紙が届いてるわ」
「それは何よりです。彼女がいると書類仕事の回りやすさが全然違いますから」
そんなこんなで午前中いっぱい話し合いで終わり、午後から引き継ぎ業務に切り替わった。シフはやることがなくなり、部屋を出る。
「んー。トリの様子見にいくかな……」
夜は会わず、朝も慌ただしく出てきたため、少ししか話をしていない。職場の食堂と厨房を見に行くと、昼をずらして休憩中とのことだ。
シフは建物内を探して、ぼんやりと座っているトリを発見した。声をかけようとして、どことなく憂いを帯びた横顔に、一瞬躊躇する。
トリの顔を見つめていると、トリがシフに気づいて柔らかな笑みを浮かべた。
「……ん? 兄貴、話し合い終わったの?」
「あ、うん」
返事だけのシフに、トリは首を傾げる。
「兄貴、どうかしたか? どこか調子が悪い? だったら早くケイ姉ちゃんに見てもらえよ」
「……ケイ姉ちゃん?」
「ああ、うん。兄貴らが出かけてる時に、姉ちゃんがそう呼べって」
「そうか。怪我はないよ、大丈夫」
大人びたトリの顔にびっくりしたとは言えない。ごまかすように話題を変える。
「そういや、ケイとティナを連れて、一度俺の村に戻ろうと思ってるんだけど、トリは行けるか?」
「行く! 絶対に休みもらうから、連れてってくれよ」
トリは考える様子も見せず、即決した。トリの嬉しそうな顔を見て、シフも普段の調子を取り戻す。
「ああ、そういや今回は、お土産ないわ。悪いな」
「別にいいよ。というか兄貴が元気に帰ってくるのが、一番のお土産だな!」
「安い奴だな、おい。じゃあ前の首飾りもいらなかったか?」
「それとこれとは別だよ。兄貴が他の町に行った時に、俺を思い出してくれたなら、それはそれで嬉しいしさ」
へへへと笑いながら、少し恥ずかしそうに自らの髪を撫で付ける。
いちいち可愛いことを言うトリに気圧されながら、休憩が終わるまで話を続けた。
夜になり、大量の書類を持って疲れた顔のティナと、それを励ますケラシーヤとトリが帰ってきた。
シフは玄関まで出迎えて、ティナをねぎらう。
「お疲れ様。ティナ、大変だろうけど頑張れ。内容の校正は手伝うからさ」
「うう、ありがとう」
「ご飯作ってるから、さっさと食べよう」
昼から暇だったため、シフは材料を仕入れて腕によりをかけて晩ご飯を作った。旅の途中では食べられない煮込み料理や蒸し料理が中心だ。
「あら美味しそう。シフくんの料理、久々だわ」
食事をしながら、わいわいととりとめのない話で盛り上がる。
「そういえば伝えてなかったけど、お風呂場を改装したの。今までちょっと狭かったから、広くしただけなんだけどね。子どもを入れるなら、広い方が便利だし」
「それは見てなかったな。あとで見てくるよ」
「ん。そうしてちょうだい。見るだけじゃ解らないなら、実感するためにティナちゃんと一緒に入ってもいいのよ」
ケラシーヤのからかいに、シフは口に含んでいた飲み物を吹き出しかけた。それを見て、トリが机から少し身を引く。
「うわ危ねえ。兄貴、気を付けろよ」
「えぇ、今の俺が何か悪いの?」
トリが眉をひそめるが、シフには今の流れはケラシーヤが悪いと愚痴を漏らす。ティナは黙っているが、顔は耳まで真っ赤になっている。
その様子を眺めつつ、トリがにやりと笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺と一緒に入るか?」
「なんでそうなる。お前ね、女の子なんだから、もうちょっと慎みを持ちなさい」
「いつも子ども扱いしてるじゃねえか。子どもだったらなんてことねえだろ。それとも都合の良い時だけ子ども扱いか?」
「それとこれとは話が別だよ」
シフは冗談を言い合うのは嫌いではないが、トリの自らを軽く見るような発言は気に障る時が多い。
機嫌が悪くなったのを悟ったのか、トリも不機嫌そうに黙り込む。ケラシーヤが口を挟みかけたのとほとんど同時に、ティナが真っ赤な顔のまま立ち上がった。
「は、恥ずかしいけど、世間の恋人が一緒に入るのが普通だったら、構わないよ」
シフが絶句している間に、準備してくると言って部屋を出る。トリとケラシーヤも唖然としていたが、すぐにケラシーヤが笑い出す。
「ふふふ。さすがティナちゃんね。私もお風呂の準備、手伝ってくるわ」
「ケイ、俺がやるよ」
「あなたはその前に、仏頂面で黙り込んでる子をなんとかしなさい。そうねえ……」
ケラシーヤは立ち上がるとシフのそばまで行き、真面目な顔で助言をしてきた。
「キスでもすれば、一発よ」
「ちょ……」
シフが反論する前に、ひらひらと手を振って部屋を出る。ゆっくりとしているが流れるような動きで、シフは止める機会を得られず、トリと二人で部屋に残された。
「姉ちゃん、何を言ってたんだ?」
「いえ別に」
ケラシーヤの声が小さく、聞こえなかったらしい。これ幸いと話を変える。
「ところで、トリってまとまった休みは取れそう?」
「理由がなきゃ無理。話変えんなよ」
シフに逃げ道はないらしい。
「どんな理由なら取れるだろうな。言い方が悪かったのは謝るよ」
「遠くの身内に会いに行くとか、誰かが遠出の仕事を言いつけるとか。じゃあ一緒に入るか?」
「んー、前者はともかく遠出の仕事って休んでないじゃん。一緒には入らないよ」
「食堂の仕事は休めるって意味だよ。子どもだったら親が風呂に入れてもおかしくないじゃんか」
「そうなると、完全な休暇って無理か。子どもって言っても、来年成人じゃん。拗ねるなよ」
「辞める気持ちでなきゃ、そりゃ無理だな。拗ねてねえよ。なあ兄貴」
話を逸らすのが目的だったが、トリの休みが取れるかどうかも、大事な話だ。
トリが真面目な顔になったので、シフも姿勢を正す。
「兄貴ってさ、前と違って、女を二人作ったよな。三人目を作る気はあんの?」
「物みたいに言うな」
「そうだな、ごめん。で?」
素直に謝るトリに、シフは眉をひそめながら言葉を返す。
「基本的には考えてない。別に俺、女と見れば手を出すような真似はしてないぜ」
「それくらい解ってるよ。でも、そうか……」
考え込むトリを見ながら、シフも考えを巡らせる。
トリは文句の付けどころがないくらい可愛い容姿をしており、乱暴な口調だが素直で解りやすい性格もシフの好みではある。だが、実際の年齢はともかく、前世の倫理観が邪魔して、かける言葉に困るのだ。
「ケイ姉ちゃんとティナ姉ちゃんのどこが気に入ったの? 強くて、横に立って戦えるところ?」
「いや、二人とも、性格に惹かれて。あと、大きな声じゃ言えないけど、見た目が好みってのも、やっぱりね」
顔の作りも身体付きも、シフの好みに合致している。
「強さじゃないんだな。でもそうか、性格と見た目か」
自らの身体を見て、肩を落とす。慰めるべきなのか、放っておくべきなのか。シフが迷っていると、トリは小さく首を傾げる。
「あれ、でもケイ姉ちゃんとティナ姉ちゃん、全然性格違うよな」
「そりゃまあね」
「ケイ姉ちゃんは愉快だけど何を考えてるか解らない時が多いんだよな。妙に腹黒いっていうか。ティナ姉ちゃんは、元気が良くて真面目だよな。目指すならティナ姉ちゃんか」
不穏なことをつぶやくトリに、シフは注意を入れる。
「ケイはケイ、ティナはティナだよ。性格が一緒なんて嫌だよ。それにトリも変な考えはしないで、思うままに過ごせばいいよ。言葉遣いだけは、ちょっと言いたいこともあるけど」
トリは口の端を持ち上げ、不敵に笑う。
「あら、これでも外ではまともに話してますよ?」
「知ってるよ。何回職場を見に行ったと思ってんだ。っていうか、顔の作りと顔付きと話し方がちぐはぐで怖いよ」
「だって、ずっとかしこまってたら疲れるし。家で話しやすい言葉を使うくらい、いいじゃんか」
「まあ、それがトリだからな。不思議と似合ってるしな」
シフが褒めると、トリの顔に自然な笑みが浮かぶ。ようやく機嫌を直したかとシフが安堵していると、ケラシーヤが部屋に戻ってきた。
「はい、お待たせ。腹黒いお姉さんが戻ってきたわよ。元気で真面目なお姉さんが待ってるから、シフくんは、さっさと行ってくればいいんじゃない」
にこにこと笑いながら、シフを追い払うように手を振る。はいはいと席を立ち、シフは苦言を口にする。
「そういうところが、トリに言われる原因だと思うぜ」
「うっさい。覚えておきなさいよ、もう」
軽口を叩き合いながら部屋を出る。シフは風呂場まで足を運び、外で待っていたティナに声をかける。
「さっきはありがと。おかげで、トリと喧嘩せずに済んだよ」
「トリちゃんと喧嘩? 何が?」
解っていない様子のティナに説明をする。
「じゃあシフ、本気じゃなかったんだ」
「いや、そもそも俺が言ったんじゃねえよ」
「あれ、そうだっけ。でもその、私は構わない、よ?」
手を前で組み、もじもじとしているティナを見て、シフは困った顔で告げる。
「風呂なんか一緒に入ったら、多分我慢も手加減もできねえぞ」
部屋で見た時よりさらに顔を赤らめながらも、ティナは頷いた。
翌日、シフはケラシーヤが用意してくれた朝食を食べながら、席に着いたトリに声をかける。
「里帰り?」
「おう。ケイが動けるうちに、一度俺の村に戻っておこうかと思ってな」
トリが出した疑問に答えて、シフは事情を説明する。
シフは、ケラシーヤとティナを連れて故郷に戻り、親に報告しようと思っている。臨月に入る前に戻ってこられるので、問題はないだろう。
「ゼロとミーアに預けられると言っても、やっぱり心配だからな。一緒に行けそうなら良かったんだが」
「行く」
トリは間髪をいれず答える。
「でも、仕事があるだろ。辞めるわけにもいかねえし、急に休んだら迷惑だろうし」
「聞いてみる。駄目だったら、その時に考えるよ」
「そっか。何日か後には出かけるぜ」
「ん、了解」
「それとケイ、悪いけど報告書は、後から俺が届けるから」
「解ってるわよ。今日中なら構わないわ」
話をしながら朝食を終えて、ケラシーヤとトリが出かけた。
シフはしばらくゆっくりと飲み物を飲んでいたが、二階で物音がしたため、腰を上げた。
「ティナ、起きた?」
「うん、おはよ」
ティナが壁に手をつきながら廊下を歩いている。シフは慌てて手を貸して、洗面所まで連れて行く。
「ありがと。顔と身体を洗ったら、ご飯食べるね」
「おう。用意しておくよ」
手伝いは不要と言われて、シフは食事の準備をする。と言っても、ケラシーヤが用意しているため、ほとんどやることはない。
「お待たせ」
ティナが部屋に入ってきたのを見て、暖かい飲み物と野菜を中心とした朝食を並べる。
「ありがと。えっと、この後報告書作ってから、すぐに本部に行くわね」
「いや、報告書はティナが作らなきゃいけないけど、本部へは俺が持っていくよ」
「それはシフに悪いよ」
「いや、俺が無理させたし。歩くのは当然だけど、立ってるのもきついだろ?」
う、と言葉に詰まったのを見て、決まりと言い切る。それでも申し訳なさそうにしていたが、シフは話を切り上げた。
夕方になり、ティナが必死に書いた報告書を持って六歌仙に顔を出す。ケラシーヤの部屋で報告書を提出してから、もう少し遅くなるというケラシーヤを待つため、依頼書を眺めていた。
「シフさん、お時間よろしいですか?」
声をかけられて振り向くと、ミーアが受付でにこやかに微笑んでいる。
「ミーアさん、今日は受付なんですか?」
「ええ。ティナは一緒じゃないの?」
「あー。今日は留守番です」
ん? と首を傾げつつ、ミーアは用件を話し出す。
「随分前みたいなんだけれど、ゴーフェル卿って方が前に依頼を受けてもらって、今回もシフさんにお願いしたいとのお話です。どうしましょうか、こちらで断わっておきましょうか?」
「ああ、あの人。時間拘束が短いなら、受けてもいいかな。何か条件は言ってましたか?」
「あら、受けてくれるんですか。でも、条件はご自身で伝えるとおっしゃってましたわ。いつでも良いから、何人か連れて屋敷に来るように、って」
「時間を作って、行ってみます」
カメラの原型ができたのかもしれない。シフはケラシーヤたちを連れて行ってみようと決めて、再び依頼書を見始めた。




