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09 妹の存在


 彼、フェリックスの一番古い記憶は、炎に包まれた世界だった。

 それは後に、事故の記憶だと教えられた。

 王都からの帰り道、魔物の襲撃にあった。本来ならば人里近くに来ることなどない高レベル帯の魔物が、馬車を襲ったのだ。

 

 その襲撃によって、乗り合わせた人間の多くが命を落とした。

 フェリックスの母、モリガンもその一人である。

 その、腕利きの冒険者が数人がかりでようやく倒せる魔物は――しかし、たった一人によって討伐された。

 たった一人の――それも幼子の、手によって。

 

 

 フェリックスは、己の手をじっと見つめた。

 魔力を抑制する結界が張られた石造りの小屋の中、フェリックスは一人、ただ時を浪費する。

 結界の中に居さえすれば、魔力が暴走することは滅多にない。

 高レベルモンスターを焼き尽くしたというフェリックスの魔術が、人を傷つけることもない。

 

 「…………」

 

 フェリックスは溜息をついた。

 モンスターを焼き尽くしたという炎。

 そのときのことを、フェリックスはおぼろげに覚えていた。

 炎の中によろめいて立つ、女性の姿も。

 

 「っ」

 

 フェリックスは、唇を噛み締めた。

 ――昨日は、母の命日だった。

 常に、結界に守られた小屋で一人ぼっちの時を過ごしているフェリックスではあるが、母の命日だけは、墓参りのために、思い切って外に出る。

 フェリックスが小屋に篭っているのは、暴走を抑えるというのも勿論だが――人前に出たくない、という気持ちも強く影響していた。

 伯爵の息子であるから、皆遠慮して話しかけてくることは無いが、フェリックスは、彼らの視線に怯えを見て取ったのだ。

 

 幼いフェリックスが、高位モンスターを倒した。それが普通ではないことは、彼も理解している。だが、仕方ないとは思いつつも、畏怖――いや、恐怖の視線を向けられるのは、やはり気持ちの良いものではなかった。

 彼らの恐怖、密やかに交わされる噂話に、フェリックスの心が乱れる。

 

 魔物の襲撃によって命を落としたという母。彼女の命を奪ったのは、モンスターの爪や牙ではなく――己の炎なのではないかと。

 母の死はモンスターによるものだと聞かされてはいるが、それは自分を憚ってのことではないかと。

 記憶にある、炎の中に立つ女性。それは、己の炎に焼かれる母の姿なのではないかと。

 

 ぽ、とフェリックスの眼前に炎が生まれた。

 人差し指の先に灯るほどの小さな炎。

 だがそれが、フェリックスを動揺させた。

 結界に包まれたこの部屋では、魔術は発動しないはずだ。なのに魔術の炎が灯ったということは、それは結界の抑止力を超えたということ。

 フェリックスの魔術の才能が、飛びぬけていることの証。

 天才の証左に、しかしフェリックスは喜びなど感じなかった。

 忌々しさしか覚えない。

 

 この忌々しい力が、母の命を奪った。

 この炎が、人々を恐れさせ、己を孤立させ、伯爵家を不幸にし、父に苦労を強いる、全ての元凶なのだと。

 

 「あー!」

 「!?」

 

 鬱々と沈み込むフェリックスの物思いを、その時、外からの声と音が破った。

 たんたん、とドアを叩く音。その合間に聞こえる……幼子の声。

 

 

 ――それが、フェリックスの全てを変える、始まりの音であった。

 

 

 何の前触れも予兆もなしに、何故だか赤ん坊に懐かれた。

 それでなくとも人と触れ合うのはしばらくぶりだったというのに、赤ん坊は遠慮なく、フェリックスに手を伸ばしてきた。

 戸惑いながらも恐る恐る要求に応えてみれば、赤ん坊はにっこりと笑った。

 その笑顔は、フェリックスにとって衝撃的だった。

 

 何しろ炎を暴走させて以来、フェリックスに向けられる表情は、恐れ、怯え、警戒の類が圧倒的。

 一番身近な父親は、傾きまくった経済状態を立て直すために奔走し、フェリックスと団欒する暇もない。父の後妻に入り、使用人のいなくなった家を切り盛りするライラは、先妻の子であるフェリックスに対しては遠慮するばかり。

 

 そんな中、屈託なく笑いかけ、スキンシップを求めてくる無邪気な赤ん坊――妹の存在は、フェリックスが凍りつかせていた感情を激しく揺さぶった。

 恐れることなく自分を求めてくれるその存在に、フェリックスは癒された。

 

 その存在を、愛おしいと思った。

 

 だから――妹が泣き喚いたとき、氷の力が暴走するのを見て、フェリックスは恐怖した。

 この子の力は、人を傷つけるかもしれない。

 自分と同じような視線に晒されるかもしれない。

 そうなったら、きっと、この無邪気な笑顔は失われてしまう。

 この子に、自分と同じ境遇に陥って欲しくない――いや、陥らせない。

 その覚悟が、彼を変える力となった。

 

 

 妹のアリアは、とても優秀だった。

 言葉を覚えるのは早いし、人の感情をよく察する、賢い子供だった。

 魔術の扱いに関しても優秀で、泣いて感情が昂るとき以外に暴走を起こすこともなかった。アリアの暴走に備えて、フェリックスは全力で、自身の力の制御を特訓したが、それが必要になったことは、片手で足りた。

 

 アリアは、フェリックスの傍でいつも上機嫌に笑っていた。

 どんなに泣いていても、フェリックスが慰めれば、笑う。

 父や母にも出来ないことを、フェリックスは出来た。

 

 すぐに、彼の全ての中心は妹になった。

 

 アリアの好物は喜んで譲るし、アリアの願いはなんでも叶えた。

 一応、相応しくない願いは叱責と共に却下する心積もりであったが、アリアの願いは常にささやかだったので、却下するまでもなかったのだ。

 ――仮に、却下するべき願いがされていても、断固断ることが出来たかは……甚だ疑問ではあったが。

 

 さて、そんなフェリックスであったから、アリアが教会の社会見学に同行したいといったときも、当然その願いを受け入れた。

 五歳児にしては大変大人びて賢い子供であったから、なんの心配もしていなかった。

 そこに、油断があったのだろう。

 混雑する土産物店でアリアとはぐれ、慌てて探しに出たら――アリアは、泉に落ちてしまった。

 その瞬間を目にしたフェリックスは、心臓が止まるかと言うほどの衝撃を受けた。

 

 アリアが溺れる。

 アリアが苦しむ、怪我をする――いなくなる。

 

 「っ――!」

 

 フェリックスの身体から、炎が吹き上がった。

 

 「――アリアちゃん!」

 「!?」

 

 神父の声が、フェリックスを正気付かせた。

 自身の炎に気付いたフェリックスは、すぐさま力の制御にかかり、炎は、何かを焼き尽くす前に、押さえ込まれて消えた。

 フェリックスの横を走り抜けた神父が、泉からアリアを引き上げていた。

 

 「アリア……よかった……!」

 

 フェリックスは、引き上げられたアリアを抱きしめ――いや、アリアに縋りついた。

 

 「兄上……」

 「よかった、アリア……! ごめん、俺が目を離したばっかりに……!」

 

 アリアがいなくなる。

 そう考えただけで、フェリックスは目の前が真っ暗になった。

 絶望し――そして、次に湧き出た感情は、怒りだった。

 それは、自分からアリアを取り上げようとするものへの怒りだった。

 人でも魔物でも、自然でも……そして恐らくは、例えそれが、アリア自身であっても。

 

 許せない、と思った。

 

 奪おうとするもの、全てを破壊してやると思った。

 逃げようとするなら――この手で。

 

 「っ」

 

 それは、自分でも驚くくらいの激情。

 己の感情に恐怖したフェリックスは……唯一自分を繋ぎとめてくれる存在に縋り、逃がすまいとするように、きつくきつく、抱きしめた――

 


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