08 泉と封印石 2
参加許可は、案外あっさりと下りた。
この社会見学は親の同行無しなので、最初は渋られたのだけれど、まあ、私は五歳児にしては大人びているし、兄上も普段から私の面倒をよく見ているから大丈夫だろう、ということで話は落ち着いた。
「――さあ皆さん、ここが、聖女が祝福した泉です」
神父様の先導で泉までやってきた私たちは、説明を聞いた後、思い思いに泉に近づいた。
「アリア。あまり身を乗り出しては駄目だよ?」
「はい、兄上」
兄上に手を握られながら、泉の縁に沿って歩く。
「コインがいっぱい」
透き通った水の底に、金銀銅のコインがたくさん沈んでいた。小さな宝石もちらほらと見える。
……金額の大小は、願いの叶いやすさに影響しないんだけどね。でも、気持ちはわかる。
「そうだね。アリアは、何かお願いをするのかい?」
「んんー……でも、叶わないんでしょ?」
「ライラ母上の聞いた噂では、そうみたいだね。でも、それならそれで、叶えたいことの逆をお願いするとか、やりようはあるんじゃないか?」
「……んんんー……」
私は唸って首を傾げた。
確かに、そういう考え方もありだろうけど……。
「……でも、それで嫌なことが叶っちゃったら悔しいから、やめとく」
「そうか。そうだね」
「兄上は?」
微笑む兄上を見上げて、私は訊ねた。
兄上には、叶えたい願い事はないのかな。
「俺? 俺は……今が幸せだから、いいよ」
「……兄上、今、幸せ?」
思わず問い返した私に、兄上は微笑みながら何の気負いもなく、当たり前のように頷いた。
「ああ。幸せだよ」
……そっか。兄上は、今、本当に幸せなんだ……。
「……なら、私も幸せ」
頬が緩んだ私の頭を、兄上が優しく撫でてくれた。
で、その後、私と兄上は、泉の周りを歩いて時間を潰すことにした。
勿論、私がそうしたいと主張したのである。
だって、封印石を探さないとだから。
泉には宝石も投げ込まれているから、きっと、封印石がまぎれこんでいるに違いない。
池の底を見て歩き――そして、その黒い石を見つけた。
「……あ!」
「アリア? どうした?」
思わず声を上げてしまって、兄上に聞かれてしまった。
慌ててどう誤魔化そうかと考えて――傍にあった土産物店が目についた。
「あ、え、ええとね、兄上。父上と母上へのお土産は、どこで買えばいいの?」
「ああ、そうだね。せっかくだから、ここで買おうか……アリアは、何がいいと思う?」
「……聖女様の人形?」
私は、並んでいる土産物店のうち、一番混んでいるお店ののぼりを読み上げた。聖女様人形は当店限定! と、書いてある。
「成程、いいね。じゃあ、あそこのお店を見てみよう」
「はい、兄上」
兄上に手を引かれて、混み合う店内に突入した。
子供身長だと進むのがなかなか困難だったけど、なんとか品物を見比べて、納得の一品を選び出した。
そうして、兄上が会計に並んでいるところで。
「…………」
私は、そっと兄上の傍から離れた。
店内は大変な混雑なので、小さな子供がはぐれたとしてもおかしくない。
素早く人ごみを縫って店を出たところで、私を捜す兄上の声が聞こえたけど……。
「ごめんなさい、兄上」
私は小声で謝りつつ、先ほど目をつけた泉の縁にダッシュした。
封印石は、変わらずそこに沈んでいた。
「……よし」
泉の縁ぎりぎりまで身を乗り出し、底に沈んでいる封印石へ腕を伸ばす。
小さな子供の腕ながらも、封印石にはなんとか届いて、指の先が触れる。
――よし、掴んだ!
「っアリア!?」
「!?」
掴んだ、と思った瞬間、背後から焦った兄上の声が聞こえて、驚いた私はバランスを崩してしまった。
……泉の縁で、ぎりぎりまで身を乗り出してバランスを崩したとなれば……結果は目に見えてますね。
ええ、落ちましたとも。泉に。
ぼっちゃん、とね。頭から。
「アリア!!」
兄上の悲鳴じみた声が、水を通して届く。
……けどまあ、ここ、浅いし。
五歳児の身長でも、足、つくし。
私は、とにかく手に握り込んだ封印石を処理することにした。
処理は簡単。魔力を通せばそれで終わり。
私の手の中で瞬間的に輝いて、封印石は砕けて消えた。
よし、それじゃあ戻りますか――と思ったところで、突然、腕ががっしと掴まれ、強引に引っ張られた。
「っ!?」
予想外の事態に、私は思わず口をあけてしまった。
やば!
がぼ、と酸素が一気に出て行く。
開いた口の中に、水が流れ込んできて――
「っごほ、ごほ!!」
結果として、引き上げられたときの私は、思いっきり咽ていた。
「アリア……!」
咽る私の耳元で、泣きそうな兄上の声と――
「アリアちゃん!!」
私を力づけるような、低い大人の声が聞こえた。
「……げほ」
なんとか呼吸を整えて、滲む涙を瞬きで払う。
ぼやけた視界が次第にクリアになっていく。
「アリア!」
「大丈夫かね、アリアちゃん!?」
兄上と、神父様の姿を認めた。
「あに、うえ……神父、様……」
「アリア……よかった……!」
兄上が、私に飛びついてぎゅっと抱きしめてきた。
「兄上……」
抱きしめた、と言ったけれど……ううん。これは、しがみついている、のほうがあってるかもしれない。
「よかった、アリア……! ごめん、俺が目を離したばっかりに……!」
小刻みに震えている、兄上の声と身体。
……ものすごく、心配かけてしまったようだ。
封印石を処理するためとはいえ、兄上に心配をかけないやりようが、もっと他にあったはずだ。
「……ううん、私が……ごめんなさい、兄上……」
心底から反省して、私は、兄上の身体をそっと抱きしめ返した。