06 乳幼児の主張
結局そのまま、私たち三人は小屋でしばらく過ごした。
兄さんとお母様との間には微妙な空気が流れていたけれど……一歳児の私は、気にせず兄さんに遊びを仕掛ける。
最初は戸惑っていた兄さんだったけど、慣れてくれた辺りで、お父様が帰ってきた。
で、お母様が説明すると――
「……暴走する危険がある以上、結界のない本邸に移すのはやめておいたほうがいい。ここで四人が暮らすのも無理だろうから、本邸にも結界を張ってもらおう」
「ですが、キース様、本邸にまで張ってもらうとなると……その」
「……そうだな。当然、値は張るが……致し方ない」
値段の話になって、お父様は、ちょっと渋い顔だ。
……どうやら今のご時勢、結界を張るのって、結構お金がかかるようです。貧乏な伯爵家にはかなり痛い出費のようです。
そう知ってしまうと、非常に申し訳ない気持ちになってきますが……これも兄さんの幸せのため! なんとかお願いします、お父様!
「神父様には、明日、お願いに行ってみよう。……支払いは……待ってもらうしかないだろうが」
「……はい。そうですね」
一応、話が纏まって、じゃあ今日はここで寝よう、ということになった。
お母様は夕食の支度に、お父様は寝具の調達に本邸に戻って、私のお守りは、兄さんに任される。
勿論、私に異論があろうはずがないので、上機嫌で兄さんに構った。
夕食は、穏やかな雰囲気で終始した。主に喋ってたのはお父様とお母様で、兄さんは話を振られたときにしか加わってなかったけど、兄さんとお母様の間の微妙な空気は和らいでいた。
夕食後、兄さんとお父様はチェスをして、お母様は私に絵本を読み聞かせて。
お母様の声を聞きながら、私はいつのまにか眠っていた。 目が覚めたのは、もう室内の明かりが落とされて、真っ暗になっていたときだ。
「……むー」
右と左に人の気配があった。
……あれか。川の字か。
まあ、小屋にはベッドが一つしかなかったし、そこに全員は眠れないものね。
私は、もぞもぞと寝返りを打った。
「……ぅん……?」
すると、隣の人も起きてしまったらしい。小さな声が聞こえた。
「……アリア……?」
「う」
しまった、兄さんだ! 折角兄さんが眠っていたのに、起こしちゃった……。
「……おいで」
けれど兄さんは、柔らかい声で、囁くように呼んでくれた。
だから私は、兄さんのほうに転がる。
「…………」
間近に迫った兄さんの顔。
暗かったけれど、目は慣れたのか、兄さんの表情くらいはわかった。
兄さんは、微笑んでいた。
「……今日は、来てくれてありがとう」
「う?」
「おやすみ、アリア」
私を緩く抱きしめると、兄さんは、そっと目を閉じた。
ほどなくして、微かな寝息が聞こえてきた。
…………良かった。
兄さんの穏やかな眠りにつられるように、私もまた眠りに落ちた。
翌日の昼、お父様が、神父様を連れて帰ってきた。
「……そうか。この子も、強い魔力を持つ子なのだね」
年配の神父様は、お母様に抱き上げられた私の頭を一撫でした。
「はい、神父様。――どうか、お願いします」
「ライラの娘は、私の孫にも等しい。任せなさい」
神父様は、随分とお母様と親しいらしい。
穏やかな口調と親しみの篭った声で請け負ってもらえて、お母様は微笑んだ。
「有難う御座います、神父様」
「――では、部屋の案内はライラに任せよう。フェリックス、お茶を淹れるのを手伝ってくれるか」
「……ですが、父上」
兄さんが、少し困ったような顔で私を見上げた。
離れたら、また私が泣くんじゃないかって心配なんですね。
引き離されたくなかったからって、やりすぎたかな。兄さんのトラウマになっちゃった? それは申し訳ない。
「……アリアも少しくらい、我慢できるだろう?」
「……大丈夫? アリア?」
「あーう」
私は兄さんににっこりと笑った。
出来る限り兄さんと一緒に居たいけど、あんまりひっつきすぎるのも、鬱陶しがられちゃうだろうし。
「……じゃあ、また後でね」
「あー」
私は、心残りの様子を見せる兄さんが立ち去るのを見送った。
「……さて、それではどこから始めようか」
「……では、まずは子供部屋からお願いします」
私を抱きかかえたお母様が、神父様を案内する。
神父様は、まず兄さんと私の部屋に結界を張った。それからリビングにも張るため、移動する。神父様の足取りは、しっかりしていた。
結界は、一つ張るだけでも結構魔力を消費するのに、立て続けに二つも張れてしまうなんて、この神父様はかなりの実力者だ。
「神父様、無理はなさってませんか?」
「いや、大丈夫だよ。この子が無事に過ごすための術だ。出来る限りのことはさせて欲しい」
神父様は穏やかに笑って、また私の頭を撫でた。
「……でも……まさか、こんなに強い力を持っているなんて……」
「…………不安かね?」
「……ええ。……それにキース様にも申し訳なくて……。あの方の優しさに甘えてしまっているけれど、やっぱり、私たちはここにいないほうがいいんじゃないかって……」
「ライラ……」
葛藤するお母様の肩を、神父様が慰めるように撫でた。
「本当に、勝手なことだとはわかっています。でも……離婚という形にしていただいて、神父様の救済院に戻ったほうが、そうして、いつかアンリが帰ってくるのを待つほうが、私は……!」
……はい?
ちょ、お母様、今なんていいました? 離婚? 救済院に戻って、アンリの帰りを待つ?
離婚って、どうして!? アンリって、どちら様ですかー!?
「ライラ、だが、それは……」
「っ私は、アンリを信じています! あの人は無実です! きっと、いつか……!」
言い募るお母様は、涙声だ。
ええと、察するところ、アンリって人は無実の罪を着せられて投獄されている。
アンリさんは、お母様のとても大事な人っぽい。
……どういう意味で大事な人ですか?
親兄弟? 幼馴染? 恋人?
「ライラ……私だって、アンリ様の事は信じているよ。とても優しい方だ。しかし……」
縋りつくお母様を宥める神父様は、困惑している。
「でもアンリは約束してくれたました! アリアを……必ずこの子を抱きしめるって……! 私は、その時、この子をちゃんと、娘として抱かせてあげたい……!」
ちゃんと娘としてって……それはつまり、私はアンリさんとやらの娘ってことですか、お母様!
「そう、やっぱり私は、キース様の下を辞すべきなのです……!」
って、それは駄目! そんなことになったら、私は兄さんの妹として、口出す権利がなくなっちゃう!
「っやあああっ!」
ということで、私は泣いて自己主張した。
「! アリア!?」
「ど、どうしたんだい?」
「ああ、アリア、ごめんなさい、大声を出してしまったわ。驚いたのね?」
「ふああああっ!」
あやそうとするお母様には構わず、私は力いっぱい泣いた。
お母様が困り果てたところに、「――アリア!」と兄さんが駆け込んできた。
兄さんは、お母様から私を受け取ると、私の背中をぽんぽんと叩いた。
それを潮に、私は泣き叫ぶのをやめる。
「……ふあ」
「……泣き止んだわ……」
「……どうやらアリアちゃんは、フェリックス君のことが大好きのようだね」
そういって神父様は、お母様に目配せした。
引き離すのは可哀想だと訴えてくれたのだろう。
「…………」
釈然としなさそうなお母様だったけれど、兄さんがいるからか、不満を口にはしなかった。
「――どうやら落ち着いたようだね。神父様、お茶を如何ですか」
「ええ、では有難く頂きます」
遅れて顔を見せたお父様に誘われて、神父様は微笑みながら頷いた。