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絶叫剣 遠吠え

 どうして話さねばならないのだろう、と乾太郎いぬいたろうは近頃考える。

 寒風が強く吹きすさぶ中、稽古着に竹刀を背負って早足で道場の初稽古へ向かう途中も、太郎はやはりそれをまた考えていた。

 太郎がそんなことを考えはじめた時期は、太郎自身が伸び悩みはじめた時期と重なる。

 学問所と道場に通いはじめて、今年の正月で二年目になる。一年目は、よかった。学問も剣術も、師範たちの言うまま言うとおりにやっていれば、それ以上何かをせずとも勝手に身についていった。それは太郎にとってこころ易いことであったし、それなりにやる気を出せたものでもあったのだ。

 だが、昨年の末頃から、太郎の習熟はぴたりと止まった。学問所で先生が講義することへの理解が、そして道場で師範代が指摘してくれる修正が、容易くできなくなってきたのだ。

 これまでは一度聞けば、次へと進めた。だが今は、同じことを何度聞いても、なかなかそのようにできなくなってきている。

 それは次第に、太郎の大きな悩みへと変わりつつあった。

 父母は厳しくはないが、太郎に何かと聞きたがるところがある。その日学問所であったこと、道場であったことを細かに聞きたがる。成果があったときはよかったし、太郎も喜び、胸を張って自慢げに語ったものであった。

 今ではそれも、太郎の重荷となっている。父母とあまりことばを交わしたくないという気持ちは募り、太郎はだんだんと無口になっていった。そうして多くを話さなくなると、それはそれで楽なのだということも知った。

 こころの内に靄を抱えたままの年越しになった。今日からは、新たな入門者が増えてゆくだろう。このまま足踏みをして、あとから来たものに追い越されてゆくのではないか。そのような想像をしては胸を締め付けられていた。

 道場近くまで来たところで、見知った顔に出会った。道場の向かいにある屋敷に住んでいるいのという娘だ。まだ正月明けであるからか、朱の入った華やかな着物を纏っている。

「あら太郎ちゃん」

 二つ年長であり、学問所では先輩でもある猪は、太郎をそう呼ぶ。これも近頃、太郎は気に入らなくなっている。だから不機嫌そうな顔をして、ぺこりと頭を軽く下げる。

「またそんな人を睨むような眼をして。だめよ」

 これは近頃よく言われることだ。無口になってからというもの、どうやら太郎は不機嫌になると人を睨みつけるような眼で見ているらしい。らしい、というのは、己ではそうとわからぬからだ。

 だから、そんなことはない、と太郎は思う。そうしてやはり睨むようにして、猪を見上げている。猪の方が自分より背が高いことも、また気に入らない。

「なによ、言いたいことがあるなら、言いなさいな」

 猪が腰に手を当てて待つが、ことばが見つからず、もう一度軽く頭を下げて、脇を通り過ぎた。後ろでため息をつかれたのがわかった。

 近頃はずっとそうだ。言いたいことがあるような気はするのに、それをかたちにすることばが見つからない。それもまた太郎が無口になった要因の一つであった。

 道場には少々早めの刻限についた。挨拶以外のことばは誰とも交わさぬまま、稽古がはじまる。年始であるからまずはじめに道場主からの挨拶があり、そののちに形ばかりの基礎修練を行う。稽古後には小さな餅が振舞われた。

 道場で太郎が最も仲が良いのは鳥越響とりごえひびきという同年の、背が高くひょろ長い痩身の少年で、大抵二人でいつもいることが多い。響は、騒がしいものが多い年若い入門者の中では比較的落ち着いた雰囲気を纏っており、それが太郎には好ましく、一緒にいても落ち着けるのだった。

 だがこれで、いざ掛かり稽古となると、鋭く大きな気合をかけるのであるから、わからないものだと思う。剣の腕は今が伸び盛りのようで、ここのところ停滞している太郎とは差が開きつつあった。

「新年から不機嫌そうだね」

 薄く笑っているような表情で響が言う。これは笑っているわけではなく、こういう顔なのだということには近頃気付いた。時折そのことで「武士にあるまじき」などと先輩から叱責を受けていたりするのだが、当の響は素知らぬ顔だ。こう見えて肝が太いのであろうと思わされる。

 ああ、とか、うむ、とか答えつつ、太郎は帰り支度をはじめる。誰ともしゃべりたくないという気持ちは、日々いや増すばかりだ。自分でもどうすればいいのか、わからなかった。

 道場では、響は太郎以上に孤立している。道場に通う武士たちの中では最も軽輩の出であることもあるし、その顔のことも、年に相応しくない落ち着いた物腰のこともある。彼らにとって響は異物なのだ。

 その中にあって、同じくやや同輩から距離を置き、置かれている太郎が細いつながりとなっているのだが。それが切れれば、響は本当の孤独になってしまう。

 わかっている。わかっているのだが、今の太郎には、そのようなことを慮る余裕もない。

 だから半ば邪険にするようにして去り、歩きはじめてからすぐに後悔するのだ。

「あら太郎ちゃん」

 少し歩いたところでまたもや猪に出会った。太郎は顔をしかめる。

「今日は響ちゃんと一緒じゃないの。どうしたの」

 なんでもない、と言いかけてやはり口をつぐみ、立ち去ろうとする。その腕を猪が取り、引き留めた。

「太郎ちゃん、いつまでそうして拗ねてるつもり」

 かっと顔が熱くなる。拗ねてなどいない。そういうつもりで猪に向き直り、睨みつける。

 頭をはたかれた。

「だからやめなさいって言ってるでしょ。怒って睨むくらいなら、何か言いなさいな」

 腰に手を当てたお姉さんぶった格好で、猪もまっすぐ太郎を睨み返してくる。

「あのね。太郎ちゃん。今、言っても無駄だとか、そう思ってるんでしょ」

 猪がため息を落とす。

「無駄じゃないよ。ああ、うん。確かにその場その場では無駄になるかもしれないけど。でもそれは何というか……うん、無駄じゃないの」

 ことばを探すふうにしながら、猪が話す。

「あのね。そうやって黙ってると、今太郎ちゃんが何を思ってるか、何を考えてるか、わたしはわからないの。まったく。それを勝手にわかれっていうのは、無理なの。だから、言わないと。そうじゃないとはじまんないのよ。その先は」

 あー、なんて言ったらいいかわかんない、と吠えつつ下駄で土を蹴り回す。おなごらしくない振る舞いだと言ってやろうかとしたが、やはり無駄だと思ったのでやめる。

「今こうやってさ。わたしも上手くしゃべれないけど……。でもこうやって。伝えようとするってことが、大事なの。上手くいかないかもしれないけど。そのときは無駄になるかもしれないけど。だけど、うん。それをやめちゃ、だめ」

 両肩を掴まれる。太郎の目を猪が覗き込んでくる。

「やめちゃだめだよ、太郎ちゃん」

 甲高く長い遠吠えが、峰の続く北の方角から聞こえる。山犬が、鳴いているのだ。

 猪が山を仰ぎ見る。

「犬だって、ああやって鳴く。今の太郎ちゃんは、犬以下だよ」

 手を振り払った。太郎はそのまま逃げだした。



 次の道場の日、太郎は響と話さなかった。

 どうすればよいのか、太郎もわからなかったのだ。響も雰囲気を察したのか、太郎に近寄ってこない。ひとりで黙々と稽古に励んだ。

 端々に響が目に留まる。響がいつもひとりでいるのに気付いた。太郎のように、己で他者を遠ざけているのではない。響を取り巻く、響本人ではどうにもならぬことごとが、響をそうさせているのだ。

 それに思い当って、太郎はようやくにして、己を恥じた。

 一身に竹刀を振る。頬の熱さが、稽古の熱から来るものか、己のうちより出でたものか、太郎にはわからなかった。

 足を止める。板敷きの道場を早春の寒風が吹き抜け、太郎の身と床を冷やしてゆく。冷えた床はそのまま足元より太郎の熱を吸い出し、肉体を落ち着かせてゆく。

 己の身にある余計なものも一緒に吸い出されてゆくようだと、太郎は感じた。

 一息を入れて、掛かり稽古がはじまった。

 試合のかたちで、一対一で応対する掛かり稽古は、太郎たち若輩のものにとっては楽しみでもあり、また苦しみでもある。己の上達具合を、他者との相対というかたちで見せつけ、見せつけられる場でもあった。

 いまだ手習いはじめといってよい太郎らにとっては、掛かり稽古で披露するために、その他のすべての稽古がある、といってもよい。剣の道がどうだとか、そのようなことはまだまだ関わり合いのない年頃であった。

 何の因果か。その日の太郎の対手は、鳥越響であった。

 互いに無言で向き合い、正眼に構える。変則的なものは何もなく、使える技など、あってなきがごとしだ。だからこそ、個々の力が如実に表れるということでもある。

 太郎が己の気持ちを収める前に、稽古ははじまった。

 高く鋭い怪鳥のような気合とともに、響きが掛かってくる。太郎は驚いた。常であれば、これほど性急に攻めてくる響ではない。

 必死で受け、切り返す。少しずつ下がりながら、打ち掛かってくる響の猛攻に耐えた。

 互いの頭巾の向こう。響と目が合った。いつも見ているような薄い笑顔ではない響の顔が、そこにあった。

 ああ、こいつは怒っているのだな。太郎は思った。

 自分だけではない。響も。あの、猪でさえそうだ。

 自分の思うことを、言いたいことを、十全に伝えられるわけではない。

 響とて、それほどしゃべる質ではない。自分と同じく、言いたくても上手く言えないこととて、あるだろう。

 謝りたい。何にかはわからぬが、そう思った。

 響の竹刀を、押し返した。

 互いの身体が離れる。ひとつ、大きく息を吸い込んだ。

 今のところの腕前は、響の方が圧倒的に上だ。それに応えるには、どうすればよいのか。今は己のすべてを持って伝える。それしかあるまいと思った。

 叫んだ。響と同じように甲高く。だが長く遠く、どこまでも届くように。

 おまえも仲間なのだと。呼び寄せるように。

 引き寄せられるように、太郎の間合いに響が入ってきた。

 その頭巾を軽やかに。だが確かに打ち抜いた。

 稽古が終わった。眼前に、響が立っている。

 様々な気持ちを込めて、深々と頭を下げた。響も同じくして礼を返す。それだけで互いに通ずるものはある。けれども。

 通じたと思っただけなのかもしれない。伝わったと、己が信じたいだけなのかもしれない。

 誰も忖度などしてくれぬ。そうだ。言わねば伝わらぬのだ。

 響が寄ってくる。太郎は息を吸う。それから己を発するために、口を開く。

 北の方角からまた、高く長い遠吠えが聞こえる。



(完)


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