乙女ゲー主人公は今日も大変!~いや、どう考えても悪役令嬢転生よりハードモード~
「へへえっ! 下賤な男爵娘が、失礼をいたしやした!」
おろしたての制服が汚れるのも構わず、私は地面に顔面を叩きつけた。
いわゆるジャパニーズ・トラディショナル謝罪スタイル――土下座。
ある種の美しさすら感じさせる所作で跪き、汚れた地面に額を擦りつける。
できうる限り体を縮こまらせて哀れみを誘う私を見下ろしているのは、金髪碧眼の美丈夫。アルデナ王国第一王子、ジュリアン・ヴァルフォート殿下。
100万本を売り上げた大人気乙女ゲーム『ラブ・オブ・ディスティニア』の、メイン攻略対象その人である。
そして、その王子の目の前で頭を地面に擦りつけている私はリセ・マリエ。
『ラブ・オブ・ディスティニア』の主人公たる男爵令嬢―――正確には、その人物に転生してしまった元一般日本人だ。
主人公が攻略キャラに土下座。しかも、恥じらいの演出とかでもなくガチの叩頭。
おかしな光景に思えるだろうが、こちらは大真面目だ。なにしろ生きるか死ぬかの瀬戸際である。
―――だってこの世界、身分差ガチだから。
王国歴334年、春。
うららかな春の風と共に、不自然なほどに舞い散る花びらの中、私―――リセ・マリエ男爵令嬢は、王立アウローラ学園の門をくぐった。
「ゲームのビジュアルとしてはいいけど、うっとおしいわねこの花びら……誰が掃除するのかしら?」
視界を塞ぎそうなレベルの花吹雪である。側溝とか多分すごい詰まる。
元現代日本の人間としては、乙女ゲー世界のいろいろを見る度に余計なことが気になってしまう。例えば、今自分が着ている制服にしてもそうだ。
セーラー襟に肩章、そして外付けコルセット。海軍制服と陸軍と社交界の合成獣。下半身はといえば短めのプリーツスカートに編み上げブーツ。もはや何時代の何なのかすらわからない。
たしかに絵としてはかわいい。画面の中ではバチッと決まる。でも現実に着ると、違和感がすごい。
端的に言って、ダサい。ただようコスプレ感。ド〇キにぶら下がってそうなあの感じ。素材がチープだからと言う人もいるけど、最大の戦犯は色味ではないだろうか。
「いくらなんでも、制服にピンクはないでしょうよ……」
この制服、淡いピンクと白の二色が基調である。制服みたいに「誰に着せてもそこそこ見栄えする」必要があるデザインは、やや暗めで重心の低い色が安牌だ。薄く明るい色というのは、それだけで着る者を選ぶ。
ああ、いまならわかる。新選組の浅葱色が当の隊士からも不評だった理由。ああいうのは舞台や画面の中でこそ映えるのだ。
現実で着れば、ただただイタい。
「それにしても、やっとオープニングかぁ……。ゲーム世界転生って、実際にやってみると本編開始までが長すぎるわね……」
15年前、限界ブラック98連勤のド修羅場の末、朦朧とした意識のまま暴走トラックに遭遇した私は、あ、死んだわと思った次の瞬間、この世界で産声を上げた。
まるでお手本のような異世界転生をかました私だったが、大人気乙女ゲーム『ラブ・オブ・ディスティニア』の、よりにもよって主人公キャラに転生してしまったのだと気づいた時には頭を抱えた。
「こういうのって普通、悪役令嬢ポジに転生するもんじゃないの!?」
まさかの普通に主人公キャラに転生。悪役令嬢ポジに生まれていたら自分の身に降りかかるであろう死の運命……ゲームシナリオに定められた破滅の未来の到来に慄く所だろうけど、『ラブ・オブ・ディスティニア』は主人公リセ・マリエの身分差恋愛+成り上がり物語だ。基本的には破滅フラグも処刑台エンドも存在しない。
じゃあいいじゃん、とか思うだろうか?
───甘い。あまりにも浅はかな考えである、それは。
なぜなら、リセ・マリエはたかが男爵令嬢なのである。
「───っ!?」
廊下の先、白い石造りの通路に引かれた一本の金線。その向こうから数人の少女が歩いて来るのを見た瞬間、私は顔を伏せ、通路の脇に退いて腰を折った。
両手はおなかの前で組み、腰の角度はきっちり30度。深すぎず浅すぎず、頭を下げた姿勢のまま微動だにしない。
その状態のまま金線の上を行く少女たち、高位貴族のご令嬢が通り過ぎるのを待つのである。
男爵位貴族の、さらに令嬢───貴族社会の隅に引っかかったような立場の自分が、高位貴族と対面した際の、これが正式な作法であった。
ここ王立アウローラ学園は、王国の貴族階級の子弟のための教育機関である。
しかし貴族の子といってもピンキリだ。借金まみれの貧乏騎士の倅から、一国に相当する地域を支配する辺境伯まで、その身代はさまざまである。
それを無理やりひとつの学園に押し込もうというのだから、どう考えても問題百出するのは目に見えている。ひとえに乙女ゲーの事情によるものだろうが、作ったやつアホだろうとしか言えない。
なにしろこの世界、身分差とそれに伴う差別意識はガッチガチのガチなのだ。上位の貴族と口頭で話すどころか、直接目線を合わせただけでも、身分差によってはその場で手打ちになりかねない。
出自によるトラブルを避ける為、学園側も様々に気をつかってはいた。通路に引かれた線もそのひとつで、身分差を可視化してトラブルを避けるための工夫である。
金線の上を渡ってきたということは、相手は最低でも侯爵令嬢クラス。木っ端男爵の娘から見れば、まさしく雲上人の娘が数人、目の前を通り過ぎる。
そのうちの一人、中央を歩いていた少女の足が止まった。
「……貴女は?」
声が頭の上から降ってくる。鈴を鳴らすような優美な声色。
「レーヴァン公爵家がご愛嬢、アリアーヌ・ド・レーヴァン姫が御名を問うておられる。視線を上げるな。名を述べよ」
やや右前方、別の少女が改めて問うてくる。こちらはやや低いがよく通る声。堅い口調も合わさって、まるで男のようでもある。
高位貴族の娘に突然声を掛けられ、名を問われる。一言で言って恐怖である。だがそのときの自分は、それとは違う驚愕に震えていた。
(……来た!悪役令嬢アリアーヌ!!)
目の前にいるであろう少女、公爵令嬢アリアーヌ・ド・レーヴァンこそ、第一王子ジュリアンの婚約者にしてリセ・マリエをいじめ倒す恋のライバル。『ラブ・オブ・ディスティニア』におけるいわゆる悪役令嬢だった。
「貴き御方のお耳をお汚いたしますこと、どうかお許しくださいますよう。生まれは東京、中野ブロードウェイ男爵家が娘、リセと申します。」
突然の原作キャラとの邂逅に驚きつつも、姿勢だけは崩さない。不動の姿勢のまま、大きすぎずしかし聞き取りやすいよう、はっきりとした発声ででたらめな───だが日本人であれば反応せずにはいられない内容を答える。
めちゃくちゃへりくだっているように見えるかもしれないが、この世界での身分差を考えれば、これが自然な受け答えである。
「……そう、急に呼び止めてしまって、ごめんなさいね。怖がらせてしまったかしら?」
アリアーヌ嬢の声は、想像していたよりも柔らかく、意外にも温かみに溢れていた。まるで春の日差しのような、聞く者の心をほどかせる独特の声音が言葉を紡ぐ。
「そんなに身を縮めなくていいの、ここは学び舎だもの。何かあれば、遠慮なく私を頼ってちょうだい」
優し気な声に、一層深々と頭を垂れた。
自分の姿に満足したのだろう。それ以上言葉をかけることはせず、少女たちが歩みを再開する気配。
(の、乗り切った。……それにしても、あれが悪役令嬢アリアーヌよね?)
結局最後まで直接顔を拝むことはなかった。横目で去り行く後ろ姿を確認する。
視界の隅に、揺れる金色の縦ロールが映った。間違いない『ラブ・オブ・ディスティニア』最大の敵役、悪役令嬢アリアーヌ・ド・レーヴァンだ。
「……日本の地名にも無反応、わかってたけどやっぱり転生者じゃないか。それにしてもゲームとは全然違うっていうか、むしろゲームの主人公ェ……」
悪役令嬢、その肩書に似つかわしくないどころか、高位貴族とは思えないほど穏やかな態度だった。あんな人がゲーム上では主人公をいじめ、その恋路を徹底的に邪魔をすることになるという。そんな理由があるとすれば、
「やっぱり、この世界で身分差恋愛ってのが、冗談抜きでヤバすぎるのよね……」
この世界に主人公として転生したと知った時、最初は浮かれもした。
ゲームの超絶イケメンたちと、めくるめく恋ののちハーレムルート!なんてことを考えもした。
しかし、この世界の貴族制について学ぶにつれ、そんな気持ちは消し飛んでしまった。
「不敬罪?あんたそんなの一発死刑に決まってるじゃない」
「条項?ないわよそんなもの。普通その場の気分でお手討ちだし……届け出?なんでそんなことしなきゃいけないの?」
「あなたも平民殺すときは気をつけなさいね。平民でも大きめの商会とかなら準騎士爵買うし、服装で分かるようになってるから、ちゃんと選んで処すのよ」
無理。
いや、こんな世界で身分差恋愛とか絶対無理でしょ。
とんでもない中世社会の闇というか、引くほどエグい人権意識の低さ。というか現実の歴史では平民って意外と保護されてたりして、有名な切り捨て御免だって速攻で奉行所に報告して正当性を証明できなきゃやったほうが切腹になるっていうくらいなのに。異世界人は江戸幕府を見習ってほしい。
こんな世界で身分差を越えて恋愛をするというのは、社会秩序そのものへの挑戦に等しい。明確な罪状が明文化されているわけではないが、それだけに権力者の気分次第でほいっと消されても文句の言えない所業である。
原作主人公はその一歩間違えば即死刑の綱渡りを、おそらく持ち前の豪運とコミュ力で奇跡的に成功させてエンディングまでたどり着くのだろう。
それをたまたま転生しただけの一般人の自分が真似ようとしたところで、速攻で処刑されて終了するのなんざ目に見えている。
そんなわけで、私は原作ゲームの設定やその他もろもろについては、もうすべて忘れることにした。王子相手に身分違いの大恋愛玉の輿、といったモルガンお雪な考え方はすっぱり捨て、ただのリセ・マリエとして、身の丈にあった人生を送ろうと決めたのだ。
「というか、悪役令嬢ものに出てくるライバルキャラって、いったいどういう神経してるのよ……」
悪役令嬢転生小説なんかだと、悪役令嬢ポジに転生した主人公のほかに、原作の主人公ポジに転生した別の転生者がいることが多い。
そういったキャラはたいていゲームの世界を軽く考え、王子たち攻略キャラたちを安易に篭絡しようとするも、悪役令嬢の魅力にすっかり参っている男たちは全然なびかず恥を晒す、というのがお決まりの展開である。
だが、正直これ結構すごいと思う。まず仮にも実在している人間をゲーム感覚で攻略しようとしてる時点でやばいし、しかもそれが成功すると楽観できるのがものすごい。どんだけ自分に自信があるんだろうか。
お話だからと言ってしまえばそれまでだが、自分には到底不可能な前向き思考である。どんな男も確実に篭絡する自信がある元歌舞伎町のナンバーワンキャバ嬢かロシアの工作員、もしくはエカチェリーナ一世の転生体とかですか?
「しかもこの世界、微妙に原作と違うというか、原作の描写があてにならないのよね……」
たった今気づいた事なのだが。
原作が主人公の一人称視点のゲームなせいか、必ずしも描写が正確でないというか、主人公に都合がいいように認知が歪んでいた可能性がある。
なんといえばアリアーヌ・ド・レーヴァン嬢のことだ。原作ではいかにも上流階級のご令嬢という感じで、鼻持ちならない高ビー(死語)な態度で主人公に絡んでくるのだが、実際に会ってみるとその身分からは考えられないほどに気さくな印象の少女だった。
「これ、主人公が一方的に悪印象持ってたから悪く見えてただけなんじゃ……」
嫌な予感がした私は、ゲームの記憶を思い返してみる。
『ラブ・オブ・ディスティニア』におけるリセ・マリエとアリアーヌ・ド・レーヴァンの出会いは、たしかこんな感じだった。
ア「あら、貴女は……」
リ「こんにちは!あなたも新入生?」
取り巻き「なっ!?ぶ、無礼者!!このお方をどなたと心得ますか!?」
取り巻き2(たぶんさっきの低い声のほう)「レーヴァン公爵家がご愛嬢、アリアーヌ・ド・レーヴァン姫であらせられるぞ!?下がれ下郎めが!この場で切って捨てられたいか!!」
リ「な、なによいきなり!ただ挨拶しただけなのに……」
……いや、「挨拶しただけなのに」じゃねーんだわ。
嫌な予感、どころの話ではない。初対面からおもくそやらかしていた。
というか「下がれ下郎」ってことは……アドベンチャーゲームのプレイ画面ではわからなかったのだが、もしかして脇に控えることすらしていない?思いっきり高位貴族の進路をふさぎながら話してらっしゃる?
「普通にその場でお手討ちでも文句言えないわよ、これ……」
さらに頭が痛くなることには、このシーンこれで終わりではない。
ア「───おやめなさい」
取り巻き2「アリアーヌ様、ですが……」
ア「かまわないわ……ええ、私も今年から学園の門を叩いた高足(若輩)ですわ。私はアリアーヌ・セレスティーヌ・ド・レーヴァン。生まれは北境総督レーヴァン大公領、父は王国大法官ガイウス・ド・レーヴァン、母は白鷺宮名誉女官長エルフラワ・ド・ヌール。ベルジュラック女伯領及びサン=ロシュ男爵領推定相続人の任を預かり、国家に奉職する者の端くれにございます。自らの寡聞を恥じるばかりなれど、未だ貴女のお名前を存じ上げません、重ね重ね恐縮ですが、御芳名をうかがってもよろしくて?」
リ「なっが!?よくわかんないけど、名前よね?」
リ「リセ・マリエよ!お父さんはマリエ男爵!」
ア「…………そう、男爵令嬢」
───なんでよくわかんないんだよ警告されてんのよ。「君だいぶ失礼な態度とってるから控えようね、私こういう身分のものだからね」を、事態を深刻にしないように婉曲に伝えてくれてるでしょーが理解しろよ!
ア「……マリエ嬢、この学園は王国中の貴種が集まる場……なればこそ、生徒全員に最低限相応の立ち居振る舞いというものが求められますの。あなた自身の慮外、不行儀は、教育の不備という形でマリエ男爵の責任問題にもなりかねない。自身の醜聞は生家の不利益、その自覚をもって、今後は身の程を弁えた態度をとることをお勧めいたしますわ」
───ほんとだよ。
マ「むっ、なんでお父さんが出てくるのよ!!家とか親とか、今関係ないでしょ!?」
───なんでだよ。あるに決まってんだろ。
ア「……もういいわ、どいてちょうだい。それではこれで失礼いたします。マリエ男爵令嬢、ごめんあそばせ」
(ドン、というSE)
マ「あ、こら!どこいくのよ!?まだ話の途中でしょ?待ちなさーい!」
マ「なによあの子!ぶつかっておいて謝りもしないし、ヤな感じ!!」
(暗転してシーン終了)
……あなたは本当にこの国の人間なんですか?
いやいったいどんな教育をという以前に、どんな育ち方をすればこの身分差社会でこんなモンスターが生まれるというのか。マジで何やってたの実家の人。実際その半生を体験したはずの私が知る限り、この世界ではごくごく普通の標準的下級貴族家だったと思うのだが。
「……それにしても、アリアーヌ優しすぎない?」
さっきのシーンだけでも2ケタに届きそうな数のお手打ちポイントがあったと思ったのだが、ことごとくスルーしてくれた上に、丁寧に主人公に態度を改めるよう忠告までくれていた。周囲の取り巻きの反応を考えれば、おそらくは激昂するそれらを抑えながらである。
「主人公にはまったく通じてなかったけど、これは……」
なんというデキた人間だろうか、この世界の高位貴族の権勢を考えれば、もはや聖女の類といっても差し支えない振る舞いである、悪役令嬢なのに。
「……ていうか攻略対象の第一王子って、アリアーヌの婚約者よね?あの聖人捨てて頭恋愛ゲームの男爵娘選ぶの?王子もなに考えてるの?」
「───オレが、なんだと?」
───っ!?
油断していた。
あまりにもアレな原作主人公の所業に思いをはせるあまり、無意識に思考が口からこぼれていた。
とんでもなく不敬な内容のつぶやきを聞かれてしまったらしい。
───それも、この国でもっトップクラスの貴種である《《ご本人》》に。
「もう一度聞いてやるが……オレになにか言いたいことでも?」
恐る恐る振り向いた先に立つ、長身の男。金髪碧眼、異様に整った面立ちは、しかし不機嫌そうに歪んでいる。元の顔が作りが良い分、異様な迫力を感じてしまう。
間違いない。
アルデナ王国第一王子、ジュリアン・ヴァルフォート。『ラブ・オブ・ディスティニア』のメイン攻略対象にして、プレイヤー人気投票第2位の男がそこにいた。
「まだだんまりか?俺が問うているというのに答えもせんとは不届き千万、ちとお灸をすえてやる必要があるな……。とりあえず頭を上げよ、話ができん」
「アハハ!何考えテんのダッテ!しょうがナいよね、実際王子様ちょっとアレだモん!!」
「まったく、嘆かわしいことだ。王国貴族の質の低下も、仰ぐべき王子の体たらくもな」
しかも、王子一人ではなかった。
王子の後ろから、ぞろぞろと少年が歩み出る。今発言した三人とさらに二人、総勢五名の男子。体格も雰囲気も様々だが、唯一共通しているのは全員がとびぬけた美形揃いであること。
(全員っ……!攻略対象キャラ…………!?)
とっさに伏せていた顔を、おずおずと上げて相手を視界にとらえる。正直上げたくないのだが、上げよと言われてしまえば俯いているわけにもいかない。
「……ほう?地味だがなかなか。お前、名はなんという?」
───まずい。
まずいまずいまずいまずい。
これ、フラグが立ちそうになってない?
第一王子ジュリアンは「ラブ・オブ・ディスティニア」のメインルートキャラクター、つまりもっともチョロいキャラである。
その理由がこれだ。公式で地味とされているリセ・マリエ。彼は攻略対象キャラの中で唯一、その外見に直で好感を持つキャラなのだ。
もちろんそれはあくまで第一印象で、そこから幾多のイベントを通じて仲を深めていくことにはなるのだが。
しかし第一王子と男爵令嬢という身分差を埋めるのは相当な後押しがなければ実現不可能なことを考えると、リセの容姿は王子にとって『ちょっと好み』どころか、『どストライク』だった可能性はある。
何もしなくとも好感度が上がる。ゲーム的には楽でいいのだろうが、私にとっては死神の足音以外の何物でもない。先の認識の通り、男爵令嬢が一国の王子と下手に仲など深めようものなら、行き着く先は死しかないのだ。
「───ァー……」
一方で、先ほどの発言もヤバい。普通に不敬罪ととられかねないやらかしを、まさか私のほうからしてしまうとは、一生の不覚である。いやマジでこの場でその一生が終わりかねない。
進んでも死、戻っても死である。文字通り進退窮まった。
「───ェェー…………」
なんとか、なんとか先ほどの無礼な失言を詫び、というか誤魔化したうえで、自分の存在には興味を持たれぬまま、この場を離脱しなければ。
「───ゥー…………」
そう思うのだが、頭はから回りするばかりでまともな言葉が出てこない。喉から不明瞭な声を漏らしながら立ち尽くす私に、じれた王子が声を上げようとしたとき、別の声が割り込んだ。
「その辺にしておけ。上の文句を漏らし、日々の労苦を謳うのは、下層階級のものに与えられた最後の権利というやつだ」
進み出たのは銀縁眼鏡をかけたすらりと背の高い少年だった。かっちりと着こなした制服に涼やかな美貌。だが切れ長の目線は鋭く、冷たい印象を見るものに与える。
「王国中の酔っぱらいのたわごとを罰していては国など収まらんし、王族たるものがそんなものにいちいち目くじらを立てるようでは、それこそ鼎の軽重が問われるぞ」
そこまで大したことは言っていないのだから、たかが小娘にしつこく絡むんじゃない、とあきれたように王子を諫める。
セリアス・ド・ラ・ロシュフォール。現宰相ロシュフォール卿の次男にして、クール系鬼畜眼鏡家庭環境に問題あり系スパダリ。
『ラブ・オブ・ディスティニア』人気投票ナンバーワンキャラである。ちょっとヘタレだったり三枚目なシーンもあるジュリアン王子よりも、常にクールでカッコいいセリアスのほうがプレイヤー人気は高かった。
頭もよく、家柄と性格から王子にも対等に意見ができる有能キャラ。今も状況を見かねて出てきたのだろう。下級貴族の娘に絡んでるようにも見える王子に対し、淡々と苦言を呈してくれる。
「貴様の方もだ、娘。愚痴を奪う権利は王にもないとはいえ、そういうのはせめて本人の目につかないところでするものだ。笑顔で世辞を言い、席を外したらこき下ろす。貴族たるもの、その程度の作法は覚えておけ」
いや、全くごもっともである。一から十まで正しい指摘にグゥの音も出ない。
しかし私は、セリアスの顔をまともに見れないでいた。
(ダメよ……笑っちゃ……!この人は私を助けてくれてるのに、それを笑うなんて最低……!!)
笑いをこらえるのに必死で。
非の打ち所がないスーパーダーリン、セリアス・ロシュフォール。その明るい水色の髪を見ないようにするので精一杯だった。
いや、原作がファンタジー設定の2次元ゲームだからしょうがないのだ、登場キャラの髪色が自由なのは。
それでも、リアルに直に見るとなかなかクるものがあった。長身の美形の頭の上にちょこんと載ってるようにしか見えない、ライトブルーに輝くお髪。
ちなみに、モブというかその辺の人々は黒とか茶とか、常識的な髪色である。なんでやねん。
ほかの攻略対象キャラの髪色もいい加減自由ではあるのだが、それでも暗めの赤とか紫など、ギリギリ見れなくもない髪色の中で、セリアスの髪だけが明るい水色というキワモノだった。
制服の件でも語ったが、こういうのは明るすぎると違和感がすごいのである。ただでさえペラッペラのデザインの制服の上にライトブルーに輝く髪が乗っかっている光景は、低予算2次元実写化を通り越して、出来の悪いコスプレAVのパッケージを見てしまったようないたたまれなさを見る者に与える。
───いや無理だよ!頭に運動会の応援に使うポンポン乗せてるようにしかみえないし!!
カツラ感ただよう美形の姿に必死に笑いをこらえる私に、さらなる追い打ちをかけてくる存在があった。
「あハ!王子も女の子もセリアすにマジレスされてノレ!おも□!!」
───お前はしゃべるな!リュカ・クレール!!
神殿の寵児にして無邪気毒舌キャラ、リュカ・サン=クレール。
外国人とかではない。アンドロイドでもカタコトで喋るピエロとかでもない。
単純に、発音が棒読み過ぎて聞き取りづらいのだ。
結構な実力派がそろえられた『ラブ・オブ・ディスティニア』の声優陣にあって、なぜかリュカの声優だけは芸能人というか、現役のアイドルだった。
もちろん役者としての経験などは全くなく、声優も今作が初挑戦。
プロデューサーの趣味とか主題歌タイアップの条件とか発表当初からいろいろ言われ、心配されてはいたのだが、蓋を開けてみれば案の定、
もはやギャグの域にあるその棒読みっぷりと活舌の悪さから、「リュカ語」なるこのキャラ専用の空耳ネットミームが生まれるほどであった。
───いや、どうやってヒットさせたのこのゲーム。
(あちこち妙にリアル寄りに改変されてるというか、無理やり現実化してるくせに、なんでこいつの発声だけはしっかり原作準拠なのよ!?)
「その女の子震えてるさー。辛いようなら俺っちからこいつらにいってやるから、我慢せず言っていいさー」
───ごめん、あんたもしゃべんないでノエル・グレイヴス。
将軍の息子にして本人も剣の達人、頼れる兄貴分キャラ、ノエル・グレイヴス。
顔良し性格良し、自然な気配りもできるナイスガイ。文句のつけようのない人格者ではあるが…………なぜかエセ沖縄弁で喋る。
そう、沖縄弁ではなく、エセ沖縄弁である。
具体的には、語尾に「さー」をつけるのと、一人称が「俺っち」なだけであとは標準語。
聞いているとまあ、違和感がヤバい。文面だけでキャラがわかるように適当に口調を変えた感がすごい。
ちなみにこの世界、住人は基本的に現代日本語をしゃべってます。
さっきの王子の「お灸をすえる」発言も、まんまお灸って言ってます。灸治療あるんかいこの世界。
───便利だけど!言葉覚える必要なくて助かったけど!!
中途半端に再現された乙女ゲー世界、その全体的なチープさと違和感に混乱する私を、さらに無慈悲な追撃が襲った。
くん、と髪が引かれた。
「───お、っと、て、ひゃいっ!?」
どこかに引っ掛けでもしたか、と後ろを振り返った私は、そこに信じられないものを見る。
ぼさぼさの髪とそのあいだから覗く光、宝石のような輝きを持つ瞳が私のことをじっと見つめている。
小柄な少年が私の背後にぴったりと張り付き、不思議そうな顔で後ろ髪をひっつかみ、顔を近づけてふんかふんかと呼吸していた。
西方辺境伯エッケルト家嫡子にして野生児系不思議ちゃん、テオドール・エッケルト。
……が、わたしの髪のにおいを嗅いでいた。
───ひっ、
───ひぃいいいいいいいっ!?
あまりのおぞましさに全身が総毛立つ。衝撃と恐怖に思わず体が固まってしまい、声も出せずにただ慄く。
……自然豊かな辺境領で生まれ育ったテオドール・エッケルトは、かろうじて言葉が話せるレベルの野生児で、気になったものの匂いを嗅いでそのものを記憶する習性がある(公式設定)。
……うん、あらためて思い出すと意味不明っていうか、いくら田舎育ちだからって貴族家の令息がターザンばりに野生化はしないだろうとかツッコミどころはいろいろあるのだが、
そんな些細な設定上の瑕疵を消し飛ばすほどのインパクトが、最後の一文にはあった。
(ぎゃぁぁあああ!?無理無理無理無理キモイキモイキモイキモイ!!?)
たとえイケメンでも、貴族でも金持ちでもコレは無理。
───女子の頭や髪の匂いを嗅ぐのは、たしかに二次元のイケメンにはままみられる行動ではある。
一種のモテムーブのひとつであり、憧れる女子だっているかもしれない。
だが、それは漫画やアニメの中という、次元単位で隔てられた遠い世界であってこその話である。
現実で初対面の男が自分の髪の毛をクンカクンカ嗅ぎ始めたら、それはもう事案である。
どんなに見目麗しい貴族の王子様だろうが、もうその時点でただの痴漢でしかないのだ。
「邪魔をするなお前ら。この女と話しているのは俺だ」
乙女ゲーム攻略キャラ(現実準拠)の四連つるべ打ちを喰らい、もはや完全にフリーズした私に、オレ様系王子が改めて歩み来る。
固まる私の顎を持ち上げ、瞳をのぞき込むようにしながら口を開いた。
「もういちど聞いてやる。お前、名は何という?」
長いまつげ。ブルーの瞳。深く澄んだそれに見つめられ、わたしは息をのむ。
王子の問いに、わたしは、
わたしは───
「───うわあキモ、触んな気持ち悪い」
ぺしっ
ごっ!!
無遠慮に顎をつかむ王子の手をはたき落とし、まだ髪を嗅いでる変態の頭をどついた。
「───うぉっ!?」
「───ふが!?」
思わず、といった感じで手を叩かれた王子が仰け反り、こめかみに回転ヒジをもらった変質者がよこざまに吹っ飛んだ。意外といいのが入ってしまった。
───はぅぁっ!?
───わ、私、一体なにを!?
……いや、言い訳をさせてもらえるなら、マジで限界だったんですとしか言いようがない。
ただでさえ思考が止まってるところに二連続でセクハラ(顎クイッ、も現実で初対面にやるのはもちろんアウト)を喰らい、おもわず現代人の感性が反応、反射的に手が出てしまった。
まったく予想していなかった反応だったのだろう、王子は叩かれた手を抑えたまま目を丸くして固まっているし、ほかの攻略キャラたちもなんか露骨にヒいている。
……いや、他の男たちに限っては、吹っ飛ばされて白大理石の柱に頭から激突し、地面に倒れたままけいれんを繰り返すエッケルト家の嫡男の姿に引いていたのかもわからないが。
完全に余談だが私、転生前はフルコン系列の空手で2段を修めていた。回転系の技は特に得意で、中学の頃だが試合で胴廻し回転蹴りを決めたこともあり、ひそやかな自慢となっている。さすがに現在の肉体ではそのレベルの動きはできないだろうが、当時培った当て勘はいまだに健在だ。
「ふ、ふふ…………」
───それはさておき、やってしまった。
先ほどに引き続き、二度目の無礼。第一王位継承権者の御手を打ち払うという信じられない不届き行動。
「なるほど、キモいか……。ふふ、ふふふふふ…………」
かつて経験したこともない仕打ちだったのだろう、王子はもはや、怒りを通り越して笑いが出てしまっている。
───アカン、詰んだ。
もはや言い訳のしようもない。完全無欠の自業自得。
おもわず後ずさる私に、それ以上の速度で王子が迫る。
背が壁に触れる、横にズレて逃れようとする私だったが、進路に王子の手がダンと叩きつつけられ塞がれてしまう。
恐る恐る視線をもどすと、超至近距離の王子様の顔面と目が合った。
いわゆる、壁ドンという体勢である。
「…………ァァァ、アノ……」
婦女子の憧れのシチュエーションのひとつ、壁ドン。だがその状況でも、私の心にときめきなどは皆無だった。
───こっわ!壁ドンこっわ!!
考えても見てほしい、自分より身長も体格も一回り以上大きい生物に、壁際に追い込まれた状態で肉薄されているのである。なによりもまず、生命の危機を感じずにはいられない。
男性にこの感覚を説明するなら、身長2メートル越えのレスラーみたいな大男に壁際で顔面を近づけられている状況といえば伝わるだろうか。
恐怖、ただただ恐怖である。相手がイケメンだろうが何だろうが、この体勢になった時点で関係ない。たいていの人間は、一瞬で財布を差し出して許しを請いたくなるに違いない。
しかも相手の真の恐ろしさは、肉体のそれよりもむしろその社会的な怪物性にあるのだ。
「さっきはキモい真似をしてすまなかったなあ。コレなら話もできよう、うん?」
第一王子の怒り顔が迫る。恐怖で視界が暗くなる。のどが渇いて息もできない。
───っ、イチかバチか!!
絶体絶命の状況に、私は歯を食いしばり腹をくくった。
もはや誤魔化しようもない詰み状況で、最後の手段へとうって出たのである。
「へへえっ! 下賤な男爵娘が、失礼をいたしやしたあ!」
───ごちん!
瞬時に身を低くして壁ドンの拘束から脱出、さらにその体勢のままカサカサと後退しながら横滑りし、なるべく汚い地面を選んで派手に叩頭したのだ。
「殿下のありがてえお手を払いのけるなど、あっしはなんて罰当たりな真似を! 田舎者ゆえ、礼儀も作法もからっきしの芋娘でごぜえます!卑賎のこの身が王子の耳目とお手を汚しましたこと、詫びる言葉もございやせん!もはやこの首差し出しても償いにもならねえ大罪でありましょう!!」
驚いて目を丸くする王子たちに対し、とにかく大声で畳み掛ける。頭を地面に擦りつけたまま全力で下っ腹に力を籠め、あたり一面に響き渡る声で叫ぶ。
「されどどうかお許しを! 国元には年老いた父と母が……いや、まだ元気でごぜえますが家族がいるんです!どうか命ばかりは!恥知らずにもお慈悲を賜りたく!どうか!どうかああああ!!」
───必殺、命乞い。
もはや恥も外聞もなかった。この場を切り抜ける、その一点のみに望みを託し、ひたすらに頭を下げ続ける。気分は時代劇の水飲み百姓、この米は、この米だけは勘弁してくだせぇ。言い訳はせず完全に自分の非を認めつつ、頭を下げてこれで終わりにしてください感を全力で押し付ける。考えてみると土下座って結構脅迫的な謝り方だな。
もちろんこの方法が功を奏すのは、相手がある程度穏やかな性格をしている場合に限る。家畜の真似をさせた挙句「豚は死ね!」とか言っちゃうタイプが相手だとこの手の慈悲乞いは逆効果にしかならない。
だがジュリアン王子は仮にも乙女ゲーの攻略キャラである。さすがに暗黒SRPGのボスよりは慈悲の心を持ってると思う。
なにより、王子との恋愛フラグもこれならば粉砕できる。江戸時代のノーミンムーブをかます女相手に、色気もへったくれもありはしない。自分が恋愛の対象などではないことを、無様に大地に這いつくばることで全身で示してのける。
そして、こうして大声で騒ぎ立てていれば───
「───おやめなさいな」
───誰かが助けに入ってくれることもあるのである。
「……アリアーヌか。貴様は関係ない、引っ込んでいろ」
露骨に渋い顔をした王子が吐き捨てる。第一王子の剣呑な視線に、しかし少女は少しも臆することなく応えた。
「わたくしといたしましても、殿下に特別の用はございません。そちらの娘のほうに話しかけております」
悪役令嬢アリアーヌ・ド・レーヴァン。
さらりと王子の言葉を無視し、こちらに歩いてくる。
足音が近づき、眼前で止まる。ごく自然に王子たち男性陣と私の間に滑り込んだ影が、次の瞬間、頭上で大喝を発した。
「淑女ともあろうものが公衆の面前で地に膝をつき、あまつさえ顔を汚すとは何事ですか!!!!」
───空気が、震えた。
先ほどまでの自分の叫び声などとは比べ物にならない、すさまじく通る大音声。栄養価の管理された食事と規則正しい生活。生まれから現在に至るまでの人生を、そうあるべき正しさの中で生き続けた人間の、自然に鍛えられた肺と横隔膜で圧縮された空気が、天性の美声を持つ喉を通ったときにのみ発揮される、通力と言っていいレベルの声の力。
木々がざわざわと動き、小鳥が飛び立つ。ほとんど物理的な衝撃波のごとき快音が身体を通り抜け、気づいたら私は立ち上がっていた。
目と目が合う。縦ロールの美しい金髪と、3年くらい自慰を我慢した工神が彫刻したような美しい顔立ち。だが今その形の良い唇は固く引き結ばれ、強い不快感を示している。
───はじめて知った。超級の美人が怒ると、背の高い男に迫られるより怖い。
「この学園は王国中の貴種が集まる場!なればこそ、生徒全員に相応の立ち居振る舞いというものが求められます!その一員とあろうものが平民のごとく地に這いつくばるとは、貴族としての誇りをお忘れですか!!」
「なにより将来あなたの夫となる男が、あなたの行いを知ればどう思います!?貴族たるものは領地の顔となる存在なれば、その評判は家臣と領民すべてのそれに同じ!いかなる理由であれ、矜持を捨てることなど許されないと心得よ!!」
「ならば未婚の淑女たるものが、軽率に男性に近づくなども言語道断!万一多淫などという評判が立てば、互いの縁組にも影響しようというもの。身の程をわきまえ、疾く消え失せませい!!」
とんでもなく、キレていた。
原作ゲームで主人公にどれだけ失礼な態度をとられても言葉を荒らげなかった少女が、回廊どころかそこから繋がる中庭中に響き渡るような怒声を発している。先ほどの命乞いで野次馬が集まり始めていたのだが、それらの人々も怒れる高位貴族令嬢のお姿にこわごわと成り行きをうかがうことしかできない様子だ。
そんなわけで遮るものもいない中、次々と私にヒットする厳しいお言葉の数々。すべてがぐうの音も出ない正論なうえに、その切れ味たるやロシュフォール氏のそれと比べてもなお鋭い。
───あれ、でもこれって……。
「───勝手に行かせようとするな。そいつにはまだ話がある」
アリアーヌ嬢の話を遮り、ジュリアン王子が口を挟んだ。その顔にあからさまに不快の色を浮かべながら、自身の婚約者たる公爵令嬢を睨みつける。
───くっ!?もう少しで離脱できたのに!!
身分の低い田舎貴族の娘が、公爵令嬢に弾劾され、追い払われる。一見するとそんな構図だが、実態はむしろ逆。どちらかといえば先ほどの流れは救助のそれだったのだ。
繰り返すが、アリアーヌ様はあの主人公のド失礼ムーブでさえ流してくれるような聖人である。それがこのように声を荒らげるとなれば、そこに隠された意図は明白だ。
低位の貴族娘ごときが、高位貴族の勘気に触れればただでは済まない。それがわかっているからこそ、アリアーヌ様は王子に追い込まれていた私との間に自ら割り込み、私を非難するていで実際には逃がそうとしてくれているのである。
「……殿下、お戯れも大概になさいませ。御身は王国において最も高貴な血を持つ御方。かような下賤と交わることは、その伝統を汚すことと同義にございますれば」
あくまで私を背後にかばったまま、アリアーヌ様が王子をたしなめる。
───あああありがとうありがとうアリアーヌ様!頑張って!私を追い出してー!
───そしたら王子とか、二度と近づきませんからああ!!
前後の事情として、私もかなりやらかしちゃってるというのが申し訳ないというかいたたまれないのだが、実際マジで助かってる。どうかそのまま私をこの場から追い払ってしまってほしい。
アリアーヌ様の背後でなるべく王子たちの視界に入らないように縮こまりながら、私は彼女の背中を必死に応援した。
「───ふん、貴様らしい傲慢な物言いだ。だが、俺の考えは違う!!」
あくまで下賤な小娘と高貴な王子は接触させないぞ、という構えのアリアーヌ様に対し、王子が嚙みついた。王家の血を引くものに特有の美しい金髪をかき上げ、口を開く。
「そも王とは国家の頭脳、頂天の意思決定者!なればこそ王の前に五民は平等。俺が頭ならお前たちは手足。平民だ貴族だと、自らの手や足を比べてさげすむ馬鹿などあろうか?」
「その実情を知り、声を聴かねば政などままならぬ。なればこそ!卑賎の民から貴種に至るまで、この身は憚りなく交わり、言葉を交わさねばならんのだ!!」
「…………」
「……………………」
……いや、理念は立派だと思うよ?
でも民のことを知るためでも王子が直接話す必要は別にないでしょって言うか、王族身分の人間と直接言葉を交わすハメになる下々の人間のことも考えてあげてほしい。
偉い人のいう「無礼講」はたいてい無礼講ではないのだ。高位の人間に気さくに話しかけられるのは、実際にはただのクソ迷惑絡み行為なのである。
というか身分制度ってそりゃあ現代社会なら問答無用で悪だけど、かつては社会秩序のために必要とされていたからこそあったわけで、王制の国の次期トップがそれを真っ向正面から否定するのはどうなん?
───あ、ロシュフォールさんがすごい顔になってる。
「…………今のお言葉は聞かなかったことにいたしましょう」
アリアーヌ様が流した。さすがに彼女も王子の発言には驚いた様子だったが、周囲の耳目が集まっていることを確認するやまずいと思ったのだろう、あからさまに急いで場を流しにかかった。
「御身は王の子息、その筆頭。そのことをもう一度よく考えていただきますよう、家臣の一人として、あえて換言させていただきます。……この娘の無礼に関しましては、私がふさわしい処分を与えます。それでは失礼!!」
一息に言い切るや腰を折って一礼し、くるりと踵を返しざま、私の手を取ってすたすたと歩き去る。動きのひとつひとつが洗練されていて素早く、王子に口をはさむ暇を与えさせまいとする意図が感じられた。
「おい待て、まだ話は───」
引き留めようとしたジュリアン王子を、ロシュフォールさんが後ろから押さえつけた。ナイス宰相子息。
かくして、悪役令嬢アリアーヌ・ド・レーヴァン嬢に連行される形で、私は死地からの脱出に成功したのである。
「───アリアーヌめ、余計なことを……!しかしこの俺の手を払うとは、面白い女よ……」
「ンなことどーでもいーから早くテオを医務室に運ぶさー!?耳から血い出てるしマジヤバいさ!!」
……後方から聞こえてくる不穏な内容の言葉については、全力で聞かなかったことにしたい。
「……落ち着いたかしら?ナカノブロー・ド・ウェイ家のリセさん?」
「───?……あ、ええはい。ああいやそのあのですね───」
先ほどの通路から歩くことしばし、人気のない庭の一角に建てられた東屋に座り、ようやく人心地がついた私に向かってアリアーヌ様が尋ねる。
一瞬誰の名を呼んでいるのかわからず混乱し、気まずげにごまかそうとする私に対し、アリアーヌ様はクスリと笑って手を振った。
「いいのよ、身分違いに名を問われて、偽名でお茶を濁すのはよくあることだから。私も改めては聞かないわ」
つまりは顔くらいつながせてやろう、という目上の気遣いに対し、いや身分違いすぎてトラブルの元ですんで、と遠慮する際のお決まりの手法だということだ。こんな風にその後に顔を合わせてしまうと、結構気まずいことにはなるのだが。
「本当はそれぐらい気を使わないといけないのだけど……ごめんなさいね、怖かったでしょう?」
これは王子の行動についてだろう。少し困った顔で詫びの言葉を口にする彼女に、私はあわてて頭を下げた。
「いえ!!アレはむしろ私のほうが大変な無礼をやらかしておりまして、王子殿下並びに公爵令嬢におかれましてはまことに申し訳なく───」
恐縮しながら謝り倒そうとする私だったが、アリアーヌ様はそれもやんわりと制してくれた。
「そもそも、相手に礼を失するような行動をとらせる時点で貴者としては配慮に欠けるといえるわ。私たちは暴力的なまでの権を持っているのだから、その影響力については人一倍注意しなければならない」
「そういう意味では此度の一件は王子殿下の横暴……されど、どうかあの方を悪く思わないであげてちょうだい」
アリアーヌ様は、ほんの少し困ったように眉を下げた。
「殿下はまだお若く、ご自身のお立場が他者に与える重みを十分にはご理解なさっていないところがあるの。けれど、決して他者を虐げることを愉しむような方ではないわ」
「は、はあ……」
「むしろ情に厚く、困っている者を見れば放っておけない御方よ。ただ……その善意が、ご自身ほど自由には振る舞えない者にとって、時に断りようのない命令となってしまうことを、まだご存じないのね」
───なるほど。
善意百パーセント、権力は五百パーセント。
混ぜるな危険というやつである。
そしてアリアーヌ様は、しょっちゅう王子のやらかしの尻を拭いて回っているのだろう。
王子のあのあからさまな表情からして、その度に諫言(ド正論)も行っていると見た。
なんという内助の功。まさに時期女王の鏡である。彼女のどの辺が悪役令嬢なのか。
(なんでこんな良い子がいじめなんか……て、あ)
気づいてしまった。
そう、アリアーヌ・ド・レーヴァンは悪役令嬢。その立場を使って主人公をいじめたおす役どころだ。だが原作ゲームにおいて彼女がリセに牙を剝くのは、主人公がメイン攻略対象であるジュリアン・ヴァルフォート第一王子と心を通わせてからである。
そう、第一王子にしてアリアーヌの婚約者であるジュリアン王子とだ。
(王子と公爵令嬢のカップル相手に略奪愛って、どう考えても即殺案件じゃないのー!?)
やらかし、どころの話ではない。
誰がどう見ても粛清まったなしである。
───つーかメインルートの攻略対象が婚約者のいるところからの略奪愛って、浮気じゃねーか。マジでどうやってこの内容で100万本も売ったんだこのゲーム。乙女ゲーって1万売れただけでも大ヒットの業界だぞ。
そもそもが高位貴族の婚姻とは、10割が政治だ。貴族社会のパワーバランスを調整し、政治における反対勢力を牽制し、家同士の紐帯を確認するために血を繋げる、そのための契約である。それをあっぱらぱーな恋愛脳下級貴族娘が引っ搔き回すと考えてみてほしい。
(生かしておく理由がなさすぎる……!)
そんなもん誰だって殺す。国政にかかわる立場なら私だって殺す。こんなにもぶっ殺したほうが関係者全員幸せになる相手もなかなかいない。
にもかかわらず、原作でリセ・マリエは暗殺されることなく、いじめられる程度で済んでいたのである。理由はといえば、
(アリアーヌ様、優しすぎない……?)
いじめを行っていた(ように見える)張本人が、必死に周囲の暴発を抑えていたとしか考えられない。
というかいじめというのもマリエの主観での話で、実際は先ほどと同じ、リセ・マリエのことを思っての心からの警告だったのではないか。
頼むから気づけ、と。
貴方を殺したくはないの、と。
主人公のほうには、全く届いていなかったわけだが。
(おお……もう……、って待って?確かゲームだとアリアーヌ様の最後って……)
ゲーム全編にわたって主人公をいじめ倒す(主観)アリアーヌ・ド・レーヴァン。
その末路は全ルート共通である。
(婚約解消からーの、没落からーの、テロリストとして処刑……!)
ご丁寧にも、すべてのルートで罪人として悲惨な末路をたどった旨の記述があった。罪状は国家反逆罪。勿論のこと、あえて汚れ役を引き受けてでも王子のために尽くす彼女がそんなことを企てるとは到底考えられない。
(だとすると……ハメられる?犯人の第一容疑者はジュリアン王子……?いや、単純にレーヴァン公爵の失脚狙いの可能性もあるか、え、大丈夫なのこの国?王家と大公家が離間、国家の重鎮が失脚して、そのあとあのちょっと考えの足りない王子がブレーキなしの状態で即位するってことでしょ?)
(───ていうかこのままだと死ぬの?こんないい人が?どう考えてもバカげた冤罪で?)
(……………………)
「……あの、どうかしたのかしら?気分が悪いの?大丈夫?」
突然黙り込んだ私を心配するアリアーヌ様。
彼女の前で、私はゆっくりと立ち上がった。
おもむろに片足を斜め後方に引き、背筋は伸ばしたまま、わずかに顎を引いて目礼。
屈膝礼。先ほどのおまぬけ全開土下座とは違う、王国貴族の作法において、心からの敬意と感謝を表す礼法で一礼する。
「───改めまして、御目に浴します。私、名をリセ・マリエ。マリエ男爵家の末席を汚す若輩にてございます。先ほどは偽りの名を申し上げましたこと、あらためてお詫びさせていただきたく存じます」
知る限り最上の礼法でもって、本名を名乗る。唐突な私の行動に、アリアーヌ様は目を丸くしているがまあそこはいい。
これは、私の決意を示す行為だからだ。
目の前の少女に、世界に、そして何よりも、私自身に対して。
「本日戴きましたご厚情、生涯忘れません。この身は木っ端のごとき地方貴族の婢女なれど、恩を忘れることだけはありませぬ」
───へんてこな乙女ゲー世界にも、故郷ならぬ地での第二の人生にも、今考えると対して興味はなかった。
だからこそただの下級貴族として、そこそこ平穏に過ごすことだけを目的として生きてきた。
そんな私でも、見過ごせないものはある。
(───正しくまじめに生きてきた人間が、報われずに不幸になるの大っ嫌い)
それはどこにでもある、ありふれた不幸。
なんならどこぞの限界OLの末路と同じ、顧みられることもない悲劇。
───だからこそ、心底胸糞悪い。二度と見てたまるものかそんな結末。
いまさら自分の恋愛など大概どうでもいいが、彼女が原作どおりの末路をたどることだけは絶対許さん。
(───もう決めた)
「もしこの先、貴女様の御身に災いが降りかかることがございましたなら」
あほらしいピンク色の制服、それさえも完璧に着こなして際立つ美しさ。
一切の乱れなく、シルクのように流れる美しい久金の髪。
美の化身のごとき少女の、美しさよりなお尊いその誠心に、私は誓いを立てる。
「───たとえこの身砕けようとも、わが全霊に賭けて、必ずやお助けさし上げますことを、此処にお誓いいたします」
かくて、私は我が身を捧げる誓いを口にする。
ゲーム的には、開始初日にしてあっさり攻略されてしまったとも言えるだろうか。
イケメン王子でも、宰相令息でもなく、
「───え、あぁ、そう──なの?」
───このちょっと引いてる、悪役令嬢に。




