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房総の残日 ―里見、最後の砦―  作者: 冷やし中華はじめました


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七日間の攻防

1.業火と破壊消防:損切りの決断

 北条軍の怒りは、炎となって降り注いだ。  四日目の朝。  前夜の「怪奇現象」が子供騙しのハッタリだと気づいた北条勢は、小細工を捨てた。  物理的な熱量による制圧。  全軍で城を取り囲み、数千の火矢を一斉に放ってきたのだ。


 ヒュン、ヒュン、ヒュン!  風を切る音と共に、赤い雨が降り注ぐ。  乾燥した日が続いていたこともあり、茅葺きの櫓や、乾燥した木柵は瞬く間に火に包まれた。


「熱い! 火だ、火が回ったぞ!」 「水だ! 水をかけろ!」


 城内は阿鼻叫喚の坩堝るつぼと化した。  兵たちはパニックに陥り、手桶を持って走り回る。だが、火の勢いはあまりに強く、手桶の水など焼け石に水だ。放射熱だけで肌が焼け爛れるほどの高温が、酸素を奪っていく。


「ダメだ、消せねえ! もうおしまいだ!」  絶望した兵が、桶を投げ出して座り込む。


 その時だった。  混乱を切り裂くような、しわがれた、しかし力強い声が響いた。


「慌てるな! 水をかけるな、壊せ!」


 沢村匠だった。  彼は顔を煤で真っ黒にし、どこから持ってきたのか、巨大な掛矢(かけや=杭打ち用の木槌)を引きずっていた。  その目は、炎よりも熱く燃えていた。


「消火活動は中止だ! この火勢じゃ水なんか効かない!」 「な、何を言う! じゃあ燃えるのを見ていろというのか!」 「違う! 燃えるものを無くすんだ!」


 匠は燃え盛る兵糧庫の隣にある、まだ火のついていない長屋の柱を、掛矢でフルスイングした。  ドゴォン!  乾いた音が響き、柱がひしゃげる。


「**『破壊消防』**だ! 延焼を止めるんだ! 燃えている建物は諦めて損切りしろ! その隣の建物をぶち壊して、火の通り道(燃料)を物理的に断つんだ!」


 現代の都市火災や山林火災でも使われる手法。  江戸時代の火消しも、水をかけるのではなく、鳶口とびぐちで家を壊して延焼を防いだ。水利の乏しい山城で、チマチマと消火活動をしていては全滅する。  必要なのは「鎮火」ではなく「延焼阻止」だ。


「ここを壊せば、本郭ほんぐるわだけは守れる! 柱を切れ! 屋根を落とせ!」


 匠の鬼気迫る指示に、兵たちが正気を取り戻した。  「守るために壊す」。その逆転の発想が、パニック状態の脳を切り替えた。


「壊せぇッ!」 「屋根に登れ! 縄をかけて引き倒せ!」


 兵たちは半狂乱になりながら斧やのこぎり、まさかりを振るった。  バリバリ、ドカーン!  轟音と共に建物が倒壊する。瓦礫を必死に撤去し、更地(防火帯)を作る。  火の手は、突如現れた空白地帯の前で、燃え移る先を失い、空しく夜空を焦がすだけとなった。


 数時間後。  火は鎮火した。城の三分の一、兵糧庫の一部と兵舎が焼失した。  だが、中枢機能である本郭と、主要な防御拠点は無傷で残った。


「……助かったのか」


 正木時之が煤だらけの顔で呆然と呟く。  彼の目には、倒壊した建物の残骸の前に立ち尽くす、匠の姿が映っていた。


「ギリギリです」  匠は激しく咳き込みながら言った。喉が焼けるように痛い。酸素不足で頭がガンガンする。 「ですが、これで奴らは学びました。上からの攻撃は、簡単には通じないと」


 匠は地面に唾を吐き捨てた。黒い痰が出た。


「次は、地上からは来ません。……奴らは、もっとえげつない手を使ってくる」


2.地底からの侵略者:聴音探査

 五日目。  匠の予感は的中した。  北条軍の攻撃はピタリと止んだ。  城の周囲を二重三重に取り囲んだまま、矢の一本も放ってこない。不気味な静寂。鳥の声さえ消えた山に、重苦しいプレッシャーだけが満ちている。


 兵たちは「北条が諦めたのか?」と囁き合ったが、匠だけは血相を変えて城内を走り回っていた。  地面に這いつくばり、古井戸に頭を突っ込み、あるいは自作した聴診器(竹筒の先に薄い皮を張ったもの)を岩盤に当てて。


「……やはりか」


 地面の底から、微かに、だが確実に響く音があった。  コツ、コツ、コツ……  岩を砕き、土を掘る音。  それは、トンネル屋である匠にとって、最も馴染み深く、そして今は最も聞きたくない音だった。


「正木様、敵は地下にいます」 「地下だと?」 「『金掘りかなほりしゅう』……甲斐や伊豆の鉱山技師たちを使った、土竜もぐら攻めです」


 匠は地面の断面図を木の枝で描いて説明した。   「地下からトンネルを掘って城壁の真下まで進み、空洞を作って支柱を立てる。そこで支柱を焼き払えば、地面ごと城壁が崩落します。北条のお家芸とも言える攻城戦術だ」


 戦国の人々にとって、見えない地下からの攻撃は恐怖そのものだ。いつ足元が崩れるかわからない恐怖は、兵の精神を内側から食い破る。


「どうすればよい!? 地下では弓も槍も届かぬ! 祈祷でもするか!?」  時之が焦燥を露わにする。  だが、匠はニヤリと笑った。目は笑っていなかったが、その顔には職人の矜持プライドが張り付いていた。


「いいえ。これは戦争じゃありません。ただの『トンネル工事』です」


 匠は工具ポーチを叩いた。  彼は現代日本で、数々の難工事、地下掘削現場を監督してきた男だ。地下水、軟弱地盤、有毒ガス。それらと戦ってきた経験値が違う。


「地中探査機もボーリングマシンもありませんが、俺には『耳』があります。……これより、対抗坑道による『迎え掘り』を行います」


3.トンネル屋の戦い:化学兵器の使用

 匠は城内から聴覚の優れた兵を数名選抜し、地面に半分埋めた水瓶みずがめの中に頭を突っ込ませた。  水面の微細な波紋と、瓶の中で増幅される反響音。  音の伝播速度は、空気中よりも土中や岩盤の方が速い。


「音源確認。方向、北北東。……ツルハシのリズムからして、距離はおよそ二十間(約36メートル)。深さは三間(約5.4メートル)」


 匠の脳内で、3Dの地質図が構築されていく。  敵の狙いは、第三曲輪の石垣の直下だ。


「掘るぞ! こちらから斜坑を掘り下げて、敵のトンネルにぶつける!」


 匠は直ちに、城内から敵のトンネルに向かって斜めに掘り下げる「対抗坑道」の掘削を命じた。  選抜された力自慢の兵たちが、交代制で土を掘る。  狭い。暗い。酸素が薄い。  現代のシールドマシンなどない。手掘りの過酷な作業だ。


「いいか、出会い頭が勝負だ。槍はいらん。狭すぎて使えない」


 掘り進めること四時間。  土の壁の向こうから、人の話し声が聞こえるほどの距離に達した。敵の金掘り衆の声だ。「あと少しで城壁だ」「支柱を用意しろ」と話している。


「準備よし。……貫通させるぞ」


 匠は、先頭の兵に「あるもの」を持たせた。  短い刀と、松明たいまつ。そして、ふいご(送風機)と、大量の赤唐辛子の粉を混ぜた藁束だ。


「今だ、やれッ!」


 ドガァッ!  最後の土壁が突き崩された。  突然、壁に穴が開き、北条の金掘り衆が驚愕の表情を浮かべる。薄暗い坑道の向こうに、汗だくの男たちの顔が見えた。


「な、なんだ!?」 「迎え掘りか!?」


 金掘り衆がツルハシを構えるより早く、匠たちが用意した「特製の発煙筒」が投げ込まれた。  火のついた藁束に、唐辛子の粉が振りかけられている。  そして、ふいごを使って全力で風を送り込む。


 モウッ!  赤黒い煙が、猛烈な勢いで敵の坑道へと流れていく。


「げほっ、ごほっ!?」 「ぐあああっ! 目が、目がぁ!」 「息ができん! 毒煙だ!」


 カプサイシンを含んだ刺激臭の煙は、現代の催涙ガスに近い効果を持つ。閉鎖空間であるトンネル内では、呼吸器系に致命的なダメージを与える。  戦闘どころではない。金掘り衆は涙と鼻水を垂れ流し、パニックに陥って我先にと逃げ出した。入り口で詰まり、将棋倒しになる。


「追うな! 埋め戻せ!」


 匠は深追いを禁じ、敵の坑道との接続部を崩して塞ぐと、そこへ城内の汚水を流し込んだ。  これで、このトンネルは水没し、二度と使えない。


「……恐ろしい男よ」


 地上に戻った匠を見て、正木時之が呟いた。  泥だらけで、咳き込みながらも、その目は冷静に次の工程を見据えている。  この男は、戦場の空だけでなく、地の中までも支配している。


4.血とコンクリート:総攻撃

 六日目。  小細工がすべて潰された北条軍は、ついに「力攻め」に出た。  もはや絡め手はない。二万の兵による、純粋な物量作戦。  蟻の這い出る隙間もないほどの密集陣形で、波状攻撃を仕掛けてくる。


「第一波、来ます!」 「矢を惜しむな! 撃ち尽くせ!」


 匠が作った「竹筋土塁」や「キルゾーン」は健在だった。  押し寄せる敵兵が、計算通りに誘導され、射抜かれていく。  だが、数が違いすぎた。  死体を踏み台にして、次の兵が登ってくる。竹筋土壁に爪を立て、仲間の死体を盾にして、ジリジリと迫ってくる。


 こちらの兵の披露も限界だった。  筋肉が痙攣し、弓を引く指が動かない。


「第三曲輪、東側が突破されます!」 「予備隊、急げ! 土嚢を積んで塞げ!」


 匠は前線を駆けずり回り、指示を飛ばした。  監督だからといって、後方でふんぞり返っている余裕はない。自らも土嚢を担ぎ、崩れかけた壁を補強する。


 その時だった。


「危ない!」


 小夜の金切り声。  彼女が横から飛び出し、匠を突き飛ばした。    ドォン!


 乾いた破裂音。火縄銃だ。  直後、匠がいた場所の土塁が弾け飛んだ。  だが、すべてを避けきれたわけではなかった。


「ぐっ……!」


 匠の左腕に、焼き火箸を押し付けられたような衝撃が走った。  鮮血が、防水ジャケットの袖を突き破って噴き出す。  流れ弾か、それとも狙撃か。鉛玉が左腕の肉をえぐっていた。


「匠様!」 「監督!」


 匠は泥の中に倒れ込んだ。  激痛で視界が明滅する。音が遠くなる。  小夜が駆け寄り、自分の着物の袖を裂いて、止血帯として匠の腕に巻き付ける。彼女の手が血で赤く染まる。


「申し訳ありません、私が……私がもっと早く気づけば……」  小夜が泣きながら叫ぶ。 「馬鹿野郎……お前が庇わなきゃ、ど真ん中に食らって即死だった……。ナイスフォローだ」


 匠は脂汗を流しながら、無理やり笑って見せた。  だが、出血は酷い。意識が遠のきそうになる。  指揮官である匠が倒れれば、この現場(城)の指揮系統は崩壊する。誰もがそう思った。北条の兵たちが、「敵将を討ち取ったぞ!」と喚声を上げて殺到してくる。


 終わりか。  ここまでやって、結局は数に押し潰されるのか。


 しかし。  奇跡は起きた。いや、それは奇跡ではなく、匠がこの六日間で積み上げてきた「教育」の成果だった。


「おい、第三班! 監督が倒れたぞ! 土嚢を持ってこい! 壁が崩れた!」  権爺が叫んだ。 「弓隊は右へ展開! 敵を誘導しろ! 監督の教えを思い出せ! 『動線』を意識しろ!」 「怪我人は後方へ! 煮沸した水で傷を洗え! 『安全第一』だ、死ぬな!」


 兵たちが、農民たちが、自ら叫び、動いていた。  匠がいちいち指示しなくても、彼らは「どうすれば効率的に守れるか」「どうすれば生存率が上がるか」を理解し、実践し始めていたのだ。    匠が植え付けた「現場イズム」。  それは、「上からの命令を待つ」だけの足軽を、「自律的に判断し、問題を解決する」**現場作業員プロフェッショナル**へと変えていたのだ。


「……へへ、いい現場になったじゃねえか」


 匠は薄れゆく意識の中で、頼もしい部下たちの姿を見ていた。  彼らはもう、ただの捨て駒の兵士ではない。自分の頭で考え、城を守る「現場のプロ」になっていた。  これなら、俺がいなくても回る。  最高の現場だ。


「小夜……」 「はい、ここにいます。死なないでください」 「死なないさ。……明日は、完工検査しゅんこうけんさだ。……最後まで、見届けないとな……」


 匠の意識が闇に沈んでいく。  日が沈む。  六日目が終わった。  城はまだ、落ちていない。


 そして、運命の七日目。  全ての終わりと始まりの日が、訪れようとしていた。

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