表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

朝の残響

港を包んでいた青の塔の光が、

夜明けとともにゆっくりと薄れていった。

崩れた壁の向こうから、潮風が吹き込む。

鉄と塩と血の匂い。

アステルはその中に立っていた。

足元の瓦礫には、かつて時間を支えていた水晶の欠片が散らばっている。

それらはまだ微かに光を放ち、

まるで「終わり」ではなく「続き」を示すように瞬いていた。


(これで、港の時間は正しい流れに戻った)


けれど、その正しさがどれほどの意味を持つのか、

アステルにはわからなかった。

“正しい”とは誰の時間なのか。

この世界が元に戻っても、

師エルドは、もういない。

失われた命も、焼かれた記録も、戻りはしない。


だが、鐘は確かに鳴っていた。

カン、カン、カン。

今度は一拍も戻らない。

それだけで、少しだけ胸の奥が温かくなる。


彼女は仮面を外し、髪をほどいた。

金の髪が朝の光を受けて揺れる。

崩れた床の上に膝をつき、

指先で砕けたルビーを拾い上げた。

それはもはや赤というより、

ほのかな金に近い。

師が最後に残した“約束の色”が、

ようやく別の意味に変わりつつあった。


「師匠……あなたの言う通りね。

 光は止めるものじゃない。

 流して、やっと本物になる」


その声に、背後から微かな物音が返った。

アステルは顔を上げる。

崩れた階段の上に、

セインが立っていた。

顔には煤がつき、右腕をかばっている。

だが、もう敵意はなかった。


「……まだ、動けるのね」

「お前ほどじゃないさ」

彼は苦笑した。

「俺は結局、師の時間を戻そうとしていた。

 でもお前が壊してくれたおかげで……ようやく止まれた気がする」

「止まるのは怖いわよ。

 止まったら、何も言い訳できなくなるから」

「それでも、止まらなきゃいけないときもある」


二人の間に、潮風が吹き抜けた。

朝の光が瓦礫を照らし、

塔の影を海へと溶かしていく。


「これから、どうする?」

セインが問う。

アステルは少しだけ笑った。

「花を売るわ。もう一度」

「……花屋に戻るのか」

「そう。時間を削るより、花を束ねるほうがいい。

 あの人たちの時間は戻せないけど、

 生きてる人たちの“今日”は、まだ作れるから」


セインは視線を落とし、

小さく頷いた。

「お前らしいな」

「あなたは?」

「……どこか遠くへ行く。

 俺にはまだ、贖いきれない時が残ってる」


彼はポケットから何かを取り出した。

それは、小さなガラス瓶。

中には、淡く光る砂のような粉が入っている。

「青の塔が崩れたとき、

 時間石が粉になって散った。

 これはその残りだ。

 “まだ消えない記憶”のかけらだそうだ」


アステルはそれを受け取った。

手のひらの上で、粉がゆっくりと揺れる。

「ありがとう」

「師匠も、お前も、俺も、

 同じ時間を生きていたんだな。

 それだけで充分だ」


セインは背を向け、

朝焼けに染まる港を歩き出した。

その姿が遠ざかるたびに、

アステルの胸に奇妙な静けさが広がった。



昼になる頃、

港の人々がいつものように通りを歩き始めた。

崩れた塔の跡地にはロープが張られ、

「解体予定地」とだけ書かれた札が立てられている。

人々はもう知らない。

あの塔が、時間の心臓だったことを。

ただの古い倉庫が燃え落ちた──それだけの話になっていた。


アステルは港から離れ、

坂道を上っていく。

丘の上には、

小さな花屋「Aster Flowers」がある。


ドアを開けると、

鈴が鳴った。

まるで昨日の朝と同じように。

けれど違う。

空気の香りが新しい。

花たちは、

まるで“世界がやり直された”ことを知っているように咲いていた。


彼女は作業台に立ち、

花を束ね始めた。

白いアルストロメリア、

淡いラベンダー、

そして──小さな赤いバラを一輪。


指先が花弁に触れる。

柔らかく、温かい。

そこに“時間の脈”が確かに流れていた。


ふと、店の隅に目をやると、

あの少年が立っていた。

青い瞳、白い髪。

影のように静かな微笑み。


「終わりましたね、アステル」

「終わり、なのかしら」

「終わりの形は、人の数だけあります。

 あなたの終わりは、まだ始まりに近い」


アステルは笑った。

「あなたも、もうすぐ消えるの?」

「ええ。あなたが時間を整えたから、

 ぼくの役目も終わります」


少年は手を伸ばし、

花束の赤いバラに触れた。

その瞬間、光が柔らかく揺れ、

彼の姿が薄れていく。


「さよなら。

 次に会う時は、

 ぼくが“生まれる側”でありますように」


「ええ、きっとそうなるわ」


少年の姿が完全に消えると、

風がドアを揺らした。

港の鐘が鳴く。

カン、カン、カン。

一度も戻らない音。


アステルは花束を仕上げ、

棚に並べた。

その隣には、

粉状になった“時間の砂”が入った瓶を置く。


光が瓶の中で反射し、

部屋いっぱいに金の粒が散った。


「──師匠。これが、わたしの“緋の約束”です」


その言葉とともに、

花屋の扉がゆっくりと開き、

朝の光が差し込んだ。


港の街は、

ようやく本当の朝を迎えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ