表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

青の塔の灯り

港の一角に、夜でも暗くならない区画がある。

倉庫が幾つも寄り添い、その中央だけが青白く光っているせいで、周囲の闇が逆に濃く見える場所だ。

人はそこを「青の塔」と呼ぶ。塔と言っても高層ではなく、古い倉庫を縦に継ぎ足していった無骨な建物にすぎない。だが、港で闇の取引をする者たちは知っていた。あそこに“時間をずらすための心臓部”があることを。


アステルは建物を遠巻きに見つめた。

東の空はわずかに白み始めている。夜と朝のあいだ──時間が最もほころびやすい刻。ここを選んだのは向こうも同じだろう。時間を扱う者は、時間が弱くなる瞬間を狙う。


彼女は仮面をつけ、金髪を高く結った。肩から下げた小さな革袋の中には、砕けた赤いルビーの欠片と、自分が削った“1秒だけずれた石”がいくつか。これが今夜の武器だ。


「ここまで来るとは思わなかったよ、アステライト」


背後から声がした。

低く、油断のない声。あの電話の主──クロム商会の幹部だ。建物の影から二、三人が姿を現す。皆、銃ではなく細いナイフや短杖を持っている。銃声は時間を乱す。だから彼らは、音の小さな武器を好んだ。


「呼んだのはそっちでしょう」

「呼びはしたが、従うとは言ってないはずだ」

「従う気もないわ」


アステルは正面を睨んだまま、視線だけで周囲を測った。地面に散る水溜まりは、風の向きと違う揺れ方をしている。すでにここ一帯の時間がわずかに遅れている証拠だ。あの中に踏み込めば、自分の動きと相手の動きが“同時には見えない”瞬間が必ず出る。


「お前の技術は買ってる。だからこそ利用した。簡単な話だろう」

「名前まで使わなくてもよかったはず」

「“アステライトが関わった取引”というだけで値が上がる。お前がこの街で積み上げた信用だ。なら、我々が先に換金して何が悪い」


吐き気のする理屈だった。

人の喪失で、時間で、そして他人が積み上げた名で稼ぐ。

アステルは静かに息を吐き、右手で袋から小さな透明石を取り出した。光にかざすと、内側で秒針のような線がひとつ揺れた。


「それ、どこで──」

幹部が言いかけたときには遅かった。

アステルは石を地面にたたきつけた。


ぱん、と軽く乾いた音。

だが広がったのは煙ではなく、“遅れ”だった。

世界が半拍だけ遅れ、港の風があとから頬を撫でる。

男たちの視線がアステルを追おうとした瞬間には、彼女の位置はもうずれている。


「時間は、あなたたちの味方ばかりじゃないのよ」


アステルはすり抜けるように青の塔の入口へ向かった。扉は古いが、内側に新しい金属の補強がされている。鍵穴を覗けば、通常の鍵の後ろに、淡く光る青い盤──時間ずらしの起動装置が組み込まれていた。


(物理の鍵と、時間の鍵。二重ね)


彼女は自分のポケットから赤い欠片を取り出し、青い盤に軽く触れさせた。

赤と青が一瞬反発し、ギッ、と嫌な音がして光が消える。

師の石はやはり強かった。完全には砕いたつもりでも、エルドの“約束”は機能を残している。


扉が開く。

中はひやりとしていて、外の潮気が嘘のようだ。

金属棚が何段も並び、そこに“日付”が置いてある。

日付──つまり、取引の刻印石。

「○月○日 アステライト名義」「○月○日 港湾税免除分」

それらが箱に詰められ、棚に整然と収められていた。


(これで……誰がいつ何をしたか、いくらでも書き換えられる)


その最奥。

塔の中心には、大きな円卓と、青白い光を放つ水晶柱があった。

柱の中で、砂時計の砂のような光が上下に流れている。

時間を“通す”ための主機器。

ここから港中に“揃った時刻”を配っているのだ。


「触るな」


背中に声。

先ほどの幹部が追いついてきていた。

時間の遅れは長くはもたない。

後ろにはさらに二人。

一人は手に石の短杖を持ち、もう一人は古い懐中時計を持っている。

懐中時計──おそらくこれが、個人用の時間ずらし。


「お前には、使わせるだけにしておけばよかったが……やはり、消すしかないらしい」

「あなたたちが先に、わたしの顔を勝手に使ったんでしょう」

「名前とはそうやって回るものだ。技術も、信用も、時間もな。

 だから我々は“本物を固定する前に”横からいただく。それだけのことだ」


アステルは首を傾けた。

「ねえ。あなたたち、本当にわたしの研磨の“本当の意味”を知らないのね」

「どういう意味だ」

「わたしが一番削り落としているのは“余計な時間”よ」


そう言って、彼女は自分の袋からもうひとつ、赤のかけらを取り出した。

今度のはさっきよりも鋭く、光も強い。

彼女はそれを自分の胸元に押し当てる。

赤い光が、血のように服の下へ滲んだ。


「……っ!」

幹部が顔をしかめる。

「お前、自分の時間まで燃やす気か!」

「元から長く生きるつもりはないの。

 花は、咲き切るまでが仕事だから」


アステルの周囲の空気が、ふっと軽くなった。

彼女と世界との“接続”が一瞬だけ薄くなったのだ。

これで、塔が持っている標準時との紐が緩む。

緩んだ瞬間に──


アステルは円卓の上の、青い心臓部に手を伸ばした。

水晶柱に赤が触れる。

赤と青がぶつかり、柱が悲鳴のような金属音を立てた。

流れていた光が逆流する。

外の港の鐘が一度、無音になった。


「やめろ!」

幹部たちが一斉に動く。

だが、その動きは微妙にずれていた。

一人は0.5秒前、一人は0.3秒後、一人はほぼ同時。

時間を扱っているせいで、彼ら自身の時刻が微妙に噛み合っていない。

アステルはそこへ、わざと“1秒ずらした石”を投げ込んだ。


透明な石が床で砕ける。

波紋のような遅延が広がり、

三人の動きが完全にバラバラになる。

一人がまだ振りかぶっているのに、別の一人はもう着地している。

それは滑稽なほどだった。


「ね。ズレてると、綺麗じゃないでしょ」


アステルは柱を両腕で抱え込むようにして、

赤い光をさらに流し込んだ。

柱の中で走っていた青の縦線がほどけ、

一本、一本、光がほどかれていく。


そのときだった。

塔の最上部から、別の声が落ちてきた。

低く、しかし妙に懐かしい声。


「アステル。まだそんな削り方をしているのか」


アステルの動きが止まる。

喉が音を忘れたように乾いた。

見上げると、上階の手すりにもたれている人物がいた。


短く刈った髪。

以前より痩せ、頬に影が差している。

だが、あの瞳は知っている。

研磨台の光をまっすぐ見つめていた、あの頃の仲間の目。


「……セイン」


弟弟子。

エルドの工房で、最初に彼女と同じ速度で光を見られるようになった男。

あの炎の夜に消えたと思っていた。

だが消えていなかった。

彼はここへ流れ着いたのだ。

時間を商売にしてしまった者たちの側へ。


「師の石に触るな。あれは俺が探していたものだ」

「あなたが……?」

「師を取り戻すには、あれが要る。

 時間を固定して、あの夜を“やり直す”ためにな」


アステルははっきりと首を振った。

「だから世界が歪んでるのよ。

 あなたがやり直そうとするから、港の鐘が戻るの」

「やり直せるなら、やり直すだろう? お前だって。

 師匠を救えるなら」


心臓が刺されたように痛んだ。

それは、彼女自身が何度も心の中で繰り返した願いだったからだ。

あのとき、もう一歩早く動けていたら。

あのとき、別の石を選んでいたら。

あのとき、花屋になんてならなかったら。

──でも。


「セイン。師匠はそんな“止まった光”を望んでなかった」

「お前が決めるな!」

彼の声が揺れた。

青の塔の中で、時間の糸がまたきしむ。

セインは腰のホルスターから小さな円盤を取り出し、

アステルに向けて投げた。

円盤が空中で割れ、無数の光の粒になって降りそそぐ。

触れたものの時刻を一瞬だけ飛ばす罠だ。


だがアステルはそれを見て、

ほとんど悲しそうに笑った。


「まだそんな粗い面で、時間を削ってるのね」


彼女は自分の周囲に、赤い光を薄く広げた。

師の欠片でつくる、ごく小さな“現在”の層。

降ってきた粒は、彼女の半歩手前で止まり、

時間差で床に落ちた。

カン、カン、と小さく鳴る。

港の鐘と、同じ順番で。


「セイン。

 時間は、残すほうが難しいのよ。

 やり直すほうが簡単だから、みんなそっちに行く。

 でも、本当に綺麗なのは“最後まで流れた光”」


「黙れ……黙れよ、アステル!」


彼の叫びと同時に、塔全体が大きく揺れた。

アステルが抱えていた水晶柱にヒビが入る。

青い光が漏れ、外の港にも同じようなヒビが走る。

街の時間が、一斉に“本来の位置”に戻ろうとしている。


アステルは振り返らなかった。

ただ、水晶柱に腕を回し、最後の赤を流し込む。


「師匠。約束、ここで果たします」


ひび割れが一気に走り、

塔の中央が白く爆ぜた。

青と赤が混ざり、

やがてどちらでもない、淡い金の光に変わる。


外で港の鐘が鳴った。

カン、カン、カン。

今度は、完全に揃っていた。


アステルはその音を聞きながら、

崩れかけた床の上でゆっくりと立ち上がった。

視界の隅で、セインが手すりにつかまり、こちらを睨んでいる。

彼の時間も、もう勝手には動かない。

過去へも、あの夜へも、簡単には戻れない。


「これで、あなたもようやく今を生きるのね」

「……お前は、これで満足か」

「満足なんてないわ。

 でも、花は切られたあとでも綺麗よ。

 わたしたちはそういうところを見届ける職業でしょ?」


崩れていく青の塔の中で、

アステルの金髪が朝の光を受けて揺れた。


港の時計は、もう逆には鳴らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ