陰陽師に印を刻まれ、妻にされました
夕暮れの村は、不吉な沈黙に包まれていた。
古びた祠の前に立たされ、わたしは縄で軽く両の手を縛られている。
村人たちの視線は冷たく、まるで死にゆく者を見送るようだった。
「呪われた娘よ」
村長のしわがれた声が、湿った空気を震わせる。
「お前を陰陽師様に差し出す時が来た。この村に災いを呼び続けた罪を、その身で償え」
ざわめきが耳を刺す。
「やっと厄が払える」
「これで子どもたちが安心して眠れる」
「呪いの娘が消えるなら、祝うべきことだ」
わたしは俯いたまま、唇を噛みしめた。
村の前に一人捨てられてからずっと「呪い」と呼ばれ、忌み嫌われ、蔑まれてきた。
村の人たちは、私が来てから村に厄災が訪れたという。雨が降らず穀物が実らなかったことも、野盗に村の人が襲われたのも、家畜が妖に襲われたのも……
反論する勇気もなく、ただ受け入れてきた。……そして今夜も。
「……許して……」
小さな声でそう零したとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「許しなどいらないさ」
顔を上げると、そこにはかつての婚約者がいた。
かつて「守る」と誓ってくれたはずの人。
けれど今の彼は冷笑を浮かべ、村人たちに同調する声を張り上げる。
「俺はお前と婚約したことを一生の恥とする。……陰陽師様に使われて、せいぜい役に立つんだな」
「……そんな……」
胸の奥が、音を立てて崩れ落ちる。
その時――。
草履の音もなく、静かに一人の男が祠へと現れた。
白木のように透き通った肌。
艶やかな黒髪は肩で揺れ、端正な顔は月の光を宿している。
紫の瞳が闇夜に浮かび、どこか人ならぬ気配を漂わせていた。
陰陽師――藤真。
「……これが、差し出された娘か」
低く、しかし柔らかい声が響く。
村人たちは一斉に頭を下げた。
「はっ、藤真様。この娘を式神としてお使いくださいませ!」
「どうか、この村をお救いください!」
わたしはただ震え、俯いた。
――どうせ道具として使い潰されるのだ。
せめて人として死ねたら、それでよかったのに。
「……せめて……人として終わらせてください……」
縋るように口にした言葉は、祠の闇に吸い込まれる。
藤真の足音が近づく。
すぐ傍で立ち止まると、彼はわたしの顎をそっと持ち上げた。
ぞくり、と背筋が粟立つ。
「人として? いや……」
彼の口元に、淡い笑みが浮かぶ。
「君はこれから、人以上の存在になる」
そう囁いた瞬間、藤真の指先がわたしの首筋に触れた。
熱が走り、紫の光が広がる。
藤の蔓のような紋様が、肌の上に絡みつく。
「な、なんだ……!?」
「やはり呪いか!?」
村人たちがざわめく中、藤真は静かに微笑んだ。
「違う。これは呪いではない」
「――守護の印だ。そして彼女は、式神などではない」
その言葉に、空気が張りつめる。
藤真はわたしの首筋を撫で、耳元で囁いた。
「これでようやく君を守れる。……安心しろ。君はもう私の妻だ」
わたしの心臓が跳ねた。
縛られたはずなのに、なぜか少しだけ、胸が温かくなるのを感じてしまった。
藤真の屋敷は、村はずれの深い森にひっそりと建っていた。
白壁に黒木の梁、庭には藤棚があり、夜風に揺れる花が月明かりに淡く光っている。
村の粗末な家しか知らないわたしにとって、それは別世界のようだった。
「ここが……私の居場所、ですか……」
戸惑いの声を漏らすと、藤真は振り返り、微笑んだ。
「そうだ。ここは君の家だ。……私の妻の、ね」
まだ慣れない「妻」という響きに、胸が熱を帯びる。あのあと私は藤真様に横抱きにされ、思わず瞠目したらそこはもう彼のお屋敷の前だった。
そのあとに彼から言われた言葉は未だに信じられないものだった。
( まさか、私が藤真様の”妻”だなんて…… )
用意された部屋は広く、清らかな香が漂っていた。
食膳まで整えられていて、わたしは恐る恐る箸を取る。
口に入れた瞬間、思わず目を見開いた。
「……おいしい……」
藤真は隣で穏やかに微笑む。
「よかった。君が食べてくれるだけで、私も満たされる」
誰からも疎まれ、食事すら与えられなかった日々を思い出し、胸の奥がじんわりと温まる。
彼の隣にいると、まるでこの世に怖いものなどないように穏やかにゆるりと一日が終わっていく。
こんな日々が続くのだろうか、、
翌朝。
庭に出ようと襖を開けた瞬間、首筋の印が淡く熱を帯びた。
「……っ」
思わず足を止めると、背後から藤真の声がした。
「外は危険だよ」
静かに歩み寄り、首筋の光を指先でなぞる。
「妖も、人も、君を狙うかもしれない。……だから、この屋敷から出なくていい。私がすべて守る」
優しい声なのに、逃げ場を塞ぐ鎖のようにい絡みついた。
それでもわたしは、小さく頷いてしまう。
「……はい」
その夜、藤真はひとつの簪を差し出した。
白木に紫の玉飾りが垂れ、藤の花を象った繊細な細工。
「これは“藤花の簪”。本来は妻にしか与えない」
「わたしに……?」
驚くわたしに、藤真は柔らかく笑う。
「ああ。君はもう私の妻だからな。これを挿せば、誰も君に触れられない」
髪に簪を挿された瞬間、首筋の印が淡く輝き、藤の花弁が咲いたように光が広がる。
「きれい……」
思わず呟いた声は震えていた。
美しさと同時に、逃れられない感覚に心がざわつく。
藤真はその頬をそっと撫で、囁いた。
「これは飾りではない。君を守る鎖でもある。……だから、外そうと思わないで」
恐ろしい言葉なのに、不思議と胸が安らいでしまう。
(縛られているのに……どうして、こんなに安心するの……?)
その夜――。
夢の中で、わたしは村人たちに囲まれていた。
「呪いの娘」「災いを呼ぶ女」
石を投げられ、罵声を浴び、息ができないほどの恐怖に締めつけられる。
「やめて……いや……!」
声を張り上げた瞬間、目が覚めた。
荒い呼吸とともに、頬を伝う涙。
闇に沈む寝所の中で、誰かの気配を感じる。
「……藤真、さま……?」
灯りも点けずに、藤真が傍らに座っていた。
わたしの髪を撫でる指先は、驚くほど優しい。
「大丈夫。もう恐れることはない」
低く穏やかな声が、胸に染みわたる。
「印が教えてくれた。君が泣いているって」
首筋がじんわりと熱を帯びているのに気づく。
――あの藤の印が、彼に夢の中の悲鳴を伝えたのだ。
わたしは戸惑いながらも、その温もりに縋るように涙を零した。
「……どうして……そこまで……」
藤真はわたしの頬を撫で、微笑む。
「理由はひとつ。私は君を守りたい。……永遠に」
その言葉と同時に、首筋の印が淡く光を放つ。
藤の蔓が肌に浮かび上がり、まるで囚われの証のように輝いた。
藤真はその光に唇を寄せ、囁く。
「この印がある限り、私は必ず君の傍にいる。……君がどれほど逃げようとしても」
ぞくりと背筋を震わせる。
怖い。――けれど、不思議と胸が温かくなる。
(縛られているのに……どうして、こんなに安心してしまうの……?)
涙に濡れた頬を彼の胸に埋め、わたしは目を閉じた。
藤真の指先が髪を梳き、夜は静かに更けていった。
突如として村を襲ったのは、瘴気に濁った妖の群れだった。
黒い影が家々を這い、家畜は怯え、子どもたちの泣き声が夜気を震わせる。
混乱の中、村人たちは一斉に藤真のもとへ駆け寄った。
「藤真様! どうか妖を祓ってくだされ!」
「その娘を使え! あの呪われた女こそ、妖を惹きつける元凶なのだ!」
首筋の印が熱を帯び、わたしの心臓は早鐘を打つ。
(また……利用されるの……?)
震えるわたしの前に立ち、藤真は穏やかな笑みを浮かべた。
「……呪い、か」
低く響く声は、村人たちを射すくめる。
「君たちは彼女を“災い”と呼んだ。だが、見よ――」
藤真の指先がわたしの首筋に触れる。
淡紫の光が広がり、藤の蔓が肌に浮かぶ。
藤花の簪が共鳴し、澄んだ鈴音のような響きを放った。
「これは呪いではない。守護の印だ。守護の力を持った彼女がいたからこそ、今までこれだけの厄で済んでいたのだ。」
藤真の声は静かで、しかし断ち切るような強さを持っていた。
「そして彼女は式神などではない。――私の妻だ」
ざわめきが走る。
「な、なんだと……!」
「妻だと……!?」
そのとき、見知った顔が前へ躍り出た。
かつての婚約者だ。顔を歪め、声を張り上げる。
「ふざけるな! あれは俺の婚約者だった! 返せ、返せぇ!」
藤真はゆるやかに目を細め、冷笑を浮かべる。
「婚約者? ……おかしなことを言う。お前は自ら彼女を“呪い”と罵り、差し出したではないか」
「その時点で、彼女はもうお前のものではなかった」
男の顔が歪み、言葉を失う。
妖の群れが迫る。
藤真はわたしの肩に手を置き、囁いた。
「恐れることはない。印と簪が力を解き放つ。……祓うのは君だ」
その言葉に導かれるように、わたしの手から藤の光が溢れた。
花弁が夜空に舞い、妖の瘴気を浄化していく。
光に触れた影は悲鳴を上げ、次々と消え去った。
村人たちは呆然と立ち尽くし、口々に呟く。
「呪いでは……なかった……」
「守護の力……」
藤真は振り返り、冷ややかに告げた。
「今さら気づいても遅い。お前たちが彼女を傷つけた罪は、決して消えない」
婚約者がなおも叫ぶ。
「俺の……俺のものだ! 返せ!」
その瞬間、わたしの胸に込み上げるものがあった。
今まで何も言えず、ただ耐えてきた心が、藤真の言葉に支えられて強さを取り戻す。
わたしは震えながらも、はっきりと口にした。
「――二度と、私の名を呼ばないで」
婚約者は絶句し、崩れ落ちた。
村人たちは恐怖と後悔に沈み、誰一人声を上げられなかった。
祓いの光が収まり、静寂が訪れる。
藤真はそっとわたしの肩を抱き寄せ、村人たちを見下ろす。
「覚えておけ。彼女は呪いではない。……私の妻だ」
その優しい微笑みの奥に、狂おしいまでの執着が潜んでいた。
妖を祓った夜、村は沈黙に包まれていた。
藤真はわたしを抱き寄せ、静かに森を抜ける。
月明かりの下、首筋の印が淡く光を放つ。
呼応するように、髪の簪も鈴を鳴らした。
「……また、光ってる……」
呟いた声は、少し震えていた。
藤真は立ち止まり、背後からわたしを抱き締める。
白い指が首筋の紋をなぞり、耳元に甘く響く声が落ちた。
「それは藤の印。君を護る力であり、同時に――私の名を刻んだ鎖でもある」
「……鎖……」
胸がざわつく。逃れられないと理解してしまうから。
けれど、不思議と涙は出なかった。
代わりに胸を満たしたのは、安堵と温もりだった。
藤真は静かに囁く。
「君は呪いと呼ばれた名を捨て、新しい名を得るべきだ。……今日から君は――紫乃だ」
「……紫乃……」
口にした瞬間、胸の奥に新しい響きが広がる。
藤真は首筋の印に唇を寄せ、静かに告げる。
「紫は藤の花の色。乃は“ゆかり”、縁を結ぶ証。……君は永遠に私の紫乃だ」
頬を赤らめ、わたしは彼に身を預ける。
「……わたしは……縛られても……幸せです」
夜空に淡い藤色の光が咲き、闇を優しく照らす。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
最近色んなヤンデレ作品を読んでヤンデレ要素を入れてみたかったんですが中々難しく次回こそもう少しヤンデレ要素を入れたいと決意している今日この頃です(_ _* )