その名はオロチ(3)
*
「なるほどのう。儂らと出会う前、そんな事があったのかい」
響樹は一ヶ月前に起こった厄災を、沙耶とリリスに話し終わった。
消毒液の匂いがする。
隅々まで丁寧に掃除された白い室内。クリーニングされて染み一つないシーツ。
一定のリズムで聞こえてくる心電図の音は子守歌だ。
美亜が病院の一室で安らかな寝息をたてていた。
「ありがとうな、リリス。お前がスポンサーの病院に、転院させてくれて」
「かははっ。ここの関係者は皆、龍の一族の子孫じゃ。美亜の魂を取り戻すその日まで、肉体は任せるのじゃ」
「どうしてオロチはヨモツ側に……」
沙耶のその一声に、響樹はリリスを見る。彼女は何も言わず只頷く。
「沙耶さん、もしかして、前世の記憶って」
「はっきりとは覚えてません」
「なら俺からは言えないぜ」
敵になったとはいえ、兄の秘められしイヨリへの想い。ラガはわからなかったが、響樹には伝わっていた。
――昔も今も憎い。
そう言って炎のように熱い感情を真っ直ぐ響樹にぶつけた。ラガの前では常に冷静だったオロチがだ。
オロチはイヨリを愛してる。
その事を本人以外が言うのはヤボってもんだ。
「奴は仲間思いのやつじゃった。それ故、他の大陸から来た儂を間者として疑っていた。それも外敵から皆を守るため。儂が教えられるのは、そこまでじゃのう」
「ここは立ち入り禁止。家族以外お見舞いでもダメだ」
廊下が騒がしい。どうやら部外者が、入院病棟へ迷いこんだようだ。応対するスタッフの困った声が、こちらまで届いた。
「僕は家族さ」
この声に聞き覚えがある。忘れるものか。ついさっきまで、その人物の話しをしてたところだ。
何故この場所を知っている。いやそれよりも油断を恥じるべき。同朋がいるこの場所なら大丈夫と、気を許した自分を叱れ。
響樹とリリスが同時に動く。前世からの付き合いだ。打ち合わせなどしなくても、息の合うコンビネーションでこの不測の事態を対応する為に。
「はい。どうぞ」
しかしだ。それより先にそう言って、出入り口近くで立っている沙耶が扉を開けてしまった。
声の主が誰かと知らずに。
オロチは目をぱちくりさせた。心の内を見せない能面の表情に、動揺という名の亀裂が入るのを響樹は見逃さない。
自分は招かざれる客。まさか招きいれるとはオロチはそう思っていた。
「どうしたの響樹くん。怖いよ。お兄さん? いたんだね」
沙耶はオロチの顔を覚えてない。無理もない。前世でオロチがヨモツ側についた事に、イヨリは酷く心を痛めていたのだから。
「君は……そうかそうだったのか」
目の前で無邪気に笑う沙耶が恋焦がれたイヨリの転生体であり、そして前世は忘却の彼方にあると瞬時に理解する。
「沙耶に近づくな! 俺の女だぞ。何しに来たアニキ」
「フッ。まだ僕を兄と呼んでくれるのか。響樹」
「てめぇ!」
「えっえっ? 響樹くん、やきもち焼かないで。私は君一筋です」
「だそうだ。響樹よかったな。沙耶ちゃん、このひまわりを美亜に。妹と母か好きな花なんだ」
オロチの手には花束が握られていた。
「はい。私、響樹くんの彼女の暁沙耶です。はじめましてお兄さん」
ピシリ。能面の亀裂は更なるヒビを生む。
オロチはそれでも冷静でいようとしている。また響樹もここで事を荒立たるのは本意じゃない。
「とりあえず沙耶さん、俺の側に来い」
「もうっ響樹くんたら甘えん坊さん。皆見てるのに」
弾んだ声。きっと響樹がいなければ一生聞けない。それが更にオロチを精神的に追いつめていた。
「……沙耶、美亜に花を頼むのじゃ」
「は、はい。母様」
オロチがいつ凶行に走るかわからない。リリスもそう感じた。沙耶をこの場から退去させなければ。
シリアスな二人に沙耶は動揺するものの、ひまわりに合う花瓶を探すため離席する。
「裏切り者が。何しに来たのじゃ」
「勿論、妹の見舞いさ」
――プッツーン。
その一言は響樹をキレさせるに、充分過ぎる一撃であった。
「大変。いきなり枯れちゃった」
戻ってきた沙耶の手には、命を失ったひまわりがあった。だがそれどころじゃない。
今にも響樹がオロチに飛びかかろうとしているのだ。
「もうっ。ここは病院なんだよ。響樹くん! メッでしょ。母様も止めてください」
火花をバチバチ散らす二人の間に、沙耶は飛び込み響樹の頰を掌で挟んだ。
「あっちょんぷりけ(沙耶さん邪魔だ)」
「邪魔しません。兄弟喧嘩なんて普通だし。やるなら外でね」
「おうよ! リリス。敷地内にプールはあるか」
「ふははは。勿論じゃ。この日のために準備万端よ。ロボもののお約束よな」
「響樹くんも母様も、何言ってるの?」
プールのある一画に、結界地獄門が張られた。
張ったのは勿論沙耶だ。
「母様、何故ヨモツも入れるように指示したのですか?」
沙耶が疑問に思うのは当然だ。今回は只の喧嘩。我ら龍の一族だけが出入りできればいい。
「そう言えばお兄さんも使い手なんですね。なんか凄く懐かしい感じがして。前世でも顔見知りとか」
リリスが質問に答える前に、沙耶がオロチに話しかけた。
「……僕はオロチだよ。イヨリ」
――にいいいっ。口角を吊り上げオロチは笑う。
「召喚。カムヒヤー。鬼神アマテラス」
太陽をバックにして、オロチは右手を高く突き上げる。
「ちぃぃっ! 先手をとられたかッッ! 行くぞ沙耶ッ! リリスッ!」
「は、はい。主様」
沙耶とリリスは打ち合わせ通りに、響樹と共にプールへ飛び込む。
「召喚。鬼神咆哮ッッ! スサノオンッッ!」
グルグルグルグルと螺旋状に水が動きだし、沙耶の股間からスサノオンが具現化する。
「蒼の鬼神スサノオン見参ッッ!」
「フッ。この日輪の輝きを胸に刻め。白銀の鬼神アマテラス。ここに降臨」
「あぎぃぃぃぃぃる!」
戦いの幕は、今斬っておろされた。




