2話 その名はオロチ(1)
響樹がリリスと沙耶の二人と出会う一ヶ月前。神話の時代から長い眠りについていた一人の男が目を覚ましていた。
「地上に送ったヨモツ獣が敗れたか。悠久の時が流れても、まだ僕の邪魔をするのか。蒼の鬼神スサノオン」
そう言って男が、暗い深淵の中で呟く。
ここは黄泉の国だ。死の世界として生きるもの全てが恐れる、外界とは切り離された終着点。
「感じるアイツらの魂を……転生してきたというのか」
冷えていた心に炎が宿る。共鳴したのは未だに彼らと、縁があるということだ。
「ならば久々に顔でも見に行くか。弟たちの」
無意識に微笑み、地上を見上げた。
*
「るんたったるんたった」
ツインテールをぴょこぴょこ揺らし、ミニスカートがふわふわ踊る。まるでお花畑の蜜を求める蝶々のよう。
御門美亜は自作のリズムでご機嫌にスキップしながら、兄の部屋へ向かっていく。
「愛しの愛しのお兄ちゃぁぁん。今日こそは子作りしよーう」
無施錠の扉を開くと、全裸の響樹はイビキをかいて寝ていた。
「ぬおおっ!」
まさか響樹が全裸で寝てたとは知らず、掌で顔を覆うものの、指先の隙間から立派な象さんを凝視する。
「ぐははははぐはははは。俺の体は一つしかないぜ。可愛い子猫ちゃんたち」
寝言だ。美亜が入ってきても響樹は起きない。楽しい夢を見てるのだろう。
ツインテールがハートマークになり、兄の布団へ潜り込む。
「子猫だにゃんーえへへへ」
美亜は陽気に笑い、響樹の逞しい胸へ顔を埋めた。
その時、不思議な事が起こった。
響樹と美亜の魂はムー。神の国、高天原で過ごした日々を思いだす。
*
ラガと美亜の前世キリンは、父と母の墓前に手を合わせていた。
別宇宙からやってきたイザナミとの戦いは、最終局面へ突入した。戦地へ向かう前に、挨拶をしたかったのだ。
『どうしても行くの。ラガお兄ちゃん』
キリンの沈んだ声で、閉じていた瞳をあけた。
『あぁ。俺は勇者ラーヴァンの名を継ぐもの。姫巫女を護らないとよ』
『ラーヴァンとして姫巫女を護るのかい? ラガ』
一足遅れて二人の兄オロチが墓前に辿り着くと、両親の好きであったヒマワリを置く。
『……アニキ』
『オロチお兄。お兄ちゃんは……』
『キリン。俺がアニキに言うから』
『アニキ。俺はラガとして、アイツをイヨリを守りてぇんだ』
『……覚悟は出来てるのか。彼女は結界の姫巫女。我らの刀。それを守る盾となる覚悟が』
『アニキ。勇者の義務じゃない。愛する女を守るのに、理由がいるか。先代だった親父が命尽きるまで、先代の姫巫女、母ちゃんを守った。そこに理由なんてねぇ』
*
「!」
携帯のアラームで響樹は目を覚ます。
今のは夢か。言葉。いや言霊か。魂に直接強い力が刻まれた。
「前世の夢か。ふっ……はははは! 来たッ! ついに俺の時代が来たッ! 俺の名は御門響樹。どこにでもいる普通の高校生ッ! ふははははふはははは。それで転校生がパンくわえて、俺とぶつかるんだぁ!」
「実妹ルートもあるよね」
「勿論だ!最初から攻略可能だぜ! 美亜! ……みーあだと? 何故、お前が兄と添い寝している」
「ふっふっふ。それはあたしがお兄ちゃんと、ピーするためだ!」
「よ、ヨスガだと!? いや美亜まて、逆から読むとお前亜美だぞ。甘い展開を期待しちゃいけない」
「お兄ちゃんは何を言ってるんだ?」
「お兄ちゃん、さっき前世って言ってたよね」
「おうっ。お前もいたぞ。あっちでも俺とお前は兄妹だ! それともう一人、声優さん声の兄がいた」
「……寝る前にシュラト見た?」
「いいや。ブレイドも見てない。どうした珍しく真面目な顔して。只の夢だ。楽しんだもん勝ちだぞ」
「その声のお兄さんって、オロチ?」
「なぬっ。何故お前がその名を」
「お兄ちゃんの前世はラガ。あたしはキリン」
「まさかお前。え、エスパー」
「スプーン曲げられないよ!」
「ならどうして俺と同じ夢を……」
「お兄ちゃん、自分で言ったよ。前世だって。あたしがお兄ちゃんと一緒に寝たことが、引き金になって記憶を思いだしたんだ」
「くぅぅロマン!」
「うん。ロマンだ。転生しても、また家族になれるなんて。奇跡だ。えへへへへ」
誰もが朗らかで微笑んでしまう。ぽかぽかしたお日様の表情で美亜は笑った。
「ぎゅうっして、お兄ちゃん。これが現実だと理解させて」
「おうっ! 望むところだッ!」
響樹は美亜を力強く引き寄せ、逞しい胸板で優しく抱いた。
「お兄を探そう。あたし達が転生したんだ。オロチお兄もきっと。この平和な世界で生きている」
「お兄ちゃん、美亜ちゃん早く起きなさーい。学校遅刻するわよ」
心配そうな母親の声が、居間から届く。
「はーい。ママ。お兄ちゃんやっと起きたよ」
二人は顔を合わせ、にいっと歯を見せて笑った。
学校へ向かう最中でも、二人は前世の話題に夢中だ。
「オロチお兄も、日本にいるのかな」
「だったらいいな。探しに行くのにも、外国だと広すぎてよ」
「それでもきっとオロチお兄なら、あたし達を見つけてくれるよね」
「おう。アニキなら必ず俺達を……?」
話に夢中で通学路から、それてしまったか。他の生徒達の姿が見えない。
妙だ。車道に車が走っておらず、人の気配もなかった。
まるでゴーストタウンだ。
「お兄ちゃん」
美亜もこの異常事態を敏感に感じ、響樹の手を強く握りしめた。
「――恐れるな」
空耳か。違う脳内で声が響く。
夢の続きを見ているのか。この声を二人は知っている。
――カツンカツンカツン。
地平線から太陽をバックに足音をたてて、声の主が歩いてくる。
男だ。懐かしい潮のかおりは、記憶を運ぶ。腰まで伸びる彼の長い白銀髪が、風で揺れた。
「この結界は、龍の一族に反応する」
そう言って、響樹達の前で立ち止まる。
「あ、アニキなのか」
「オロチお兄」
「この魂の共鳴。やはりお前達か。転生しても面影はあるな。ラガ、キリン」
「うぉぉぉぉぉ! アニキなのかぁぁ! 凄ぇぇぇ!」
「オロチお兄。あたしね、今世は御門美亜って名前だよ。お兄の今の名は?」
「フッ。僕は転生してないさ。長い間、海の底で眠りについていたんだ」
「そ、そんな。一人で寂しかったよね」
美亜は涙ぐみ、オロチの傷だらけの手を握りしめた。
「転生しても、やはり本質は変わらないのだな」
オロチは薄く笑みを浮かべ、美亜の髪を撫でる。
その兄の姿に響樹は、悲しみを見た。
「アニキ。こうして今世でも会えたんだ。これでサヨナラは無いよな。転生しても俺達は家族だ。そうだろ」
「……ラガ。イヨリとは会えたのか」
「いや。まだだ。前世の記憶を取り戻したのが、今朝だしよ」
「そうか。それは残念だ」
オロチの赤い瞳が怪しく光輝く。
潮の匂いが強くなり、銀髪を靡かせるオロチの右手には、八又に分かれた蛇腹刀が握られていた。
――斬。
ジャリジャリジャリと金属音を鳴らし、八又の刃の一つが美亜の肉体を貫く。
「あ、あにき?」
オロチの凶行に響樹の思考が一瞬フリーズする。
うめき声さえあげる間もなく、美亜は大地に倒れこむ。
「オロチィィィィィッッ!」
響樹は思い出した。潮の匂い。それは死の臭いだということを。