ヨモツ獣を倒せ(2)
黒い光の粒子が、スサノオン左掌中央に集まっていく。
あれは危険な物だ。この世に存在させてはならない。
ヨモツ獣は、そう思考したのだろう。
甲羅中央の顔面が上下に開く。
ぶくぶくぶくぶく。七色のシャボン玉を、口内から吐き出した。
どうみてもあれは攻撃だ。響樹が予想するに、破裂してダメージを与えるもの。
ならばと、左掌に集まる黒い粒子を振り回す。
「自分でくらいやがれッッ!」
粒子が巻き起こす嵐は、黒いバッタだ。草一本残らず喰らいつくす。
「な、なんだとッッ!」
そうなる筈だったのに、粒子はバッタじゃなく、壁打ちのピンポン球か。泡へ弾かれ手元に帰る。
ぶくぶくブクブク。
泡はヨモツ獣の全身を覆うと硬質化。肉体を護る鎧となった。
「ふはははっ。そうきたか。立派な姿になったな。ならば、こっちも見せてやろう。ぬぅぅんッ!」
機体左掌に意識を集中する。
黒い粒子が刀の形状に整う。
「――抜刀。クサナギブレード」
スサノオンは黒い刃の刀を握る。
これが沙耶の正体だ。
神話の時代、沙耶の前世、クシナダ・イヨリ姫から引き継いだ刀に変ずる異能の力が、今世でも具現化する。
スサノオンは重心を低くし、正面で刀を下げた。
最悪の状態だ。欠損した右腕と切り裂かれた腹部から、黒いオイルが漏れている。
このまま放置すればアマ・テラス・エネルギーが抜け、スサノオンの動きに支障をきたす。
「そうなる前に破壊してやる」
ヨモツ獣が次に狙うのは、おそらく無傷の下半身。
ブクブクブクブク。ヨモツ獣は泡で、左右四本のハサミを鋭く尖らせた。
「四刀流か。増やせばいいってわけじゃないぜ」
ギュン。砂浜を蹴りヨモツ獣が飛び出す。
「蟹なのに、正面からっっ!」
沈黙し兄の戦いをリリスと見守る美亜が突っ込む。
「それなッッ!」
美亜の突っ込みと同時に、響樹は左レバーをスライドする。
下向きになっていた刀が頭上高く跳ね上がり、ヨモツ獣の頭部へ叩きこむ。
――キィィン。
一対のハサミがクロスして刃を受け止め、もう一対のハサミが空を切る。
ギリギリだが、刃先は機体に触れてない。
「あ、危ねぇぇ」
クサナギをハサミで防御した為、その分踏み込みが浅かったのだ。
「だがこの距離なら外さないぜッッ!」
狙いは頭部。トリガーをひく。
「スサノオン・ビィィィィムッッ!」
輝くツインアイは、歪な顔面を貫いた。
「グギャァァァ!」
流石のヨモツ獣もこの攻撃に耐えきれず、苦悶の表情で呻く。
赤く熱された顔は、大粒な雨に濡れた泥団子だ。ドロドロと崩れ形を保っていられない。
「ふはははッ! どうだ熱いかぁ! 俺たちの苦しみはこんなもんじゃねぇぞッッ! 化け物がッッ!」
この距離なら外さない。それはヨモツ獣も同じだ。
「ブゥゥッ!」
爛れた口から、吐瀉物をスサノオンに浴びせた。
「うわっ汚ぇ、ゲロかけやがったな」
後方へ移動しようと、ペダルを踏み込む。
――ギュルギュルギュルギュル。
駆動部、アクチュエータから異音がし、焦げ臭い煙が充満した。
スサノオンの動きが鈍い。それはまるで水泳の時間、水中を歩いてる感じで。
この不具合は何だ。思いつくのは、あの吐瀉物。
そして吐瀉物と言ったが、その正体は泡。
蟹の鋭い刃先は、それが凝固して出来ている。
「ちっ、そういう使い方もあるのか」
鈍くなったのは、機体が固められたからだ。
「ぬんっ!」
響樹は自らの顔面を全力で殴った。これは戒めだ。後ろへ逃げようとした臆病者の自分に対する。
「何、怯えてやがる! 正面で構えたのは、近距離で戦う為だろ!」
先程のスサノオン・ビームで、アマ・テラス・エネルギーの残量はわずか。だが奥義を放つに問題無し。
「タイミング次第か」
チャージし奥義を放つ。その後機体を動かすには冷却時間が必要だ。
近距離で戦いつつ、そのタイミングを計り叩きこむ。
イメージは固まった。
「その時が来るまで、命預けたぜ! 沙耶ッッ!」
「はい! 響樹くんは、私が護ります!」
四本ハサミの隙間を抜け、刃先が左肩に触れた。
傷は浅い。だがダメージはそうじゃない。
「ヒギッ!」
蟹の呼吸が大きく乱れる。傷口を中心に、黒い煙があがった。
ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ。体を守る外皮型の甲羅が、水ぶくれを起こしていく。
クサナギは危険なものだという、蟹の直感は的を射ていたのだ。
慌てて煙吹き出す左肩を切断する。
左側のハサミごと地上に落下する左肩は、黒い炎に焼かれ煉獄へ帰った。
「これで片腕同士。ハンディ無しの戦いができるってやつだ」
本当にそうなのか。
スサノオンは左腕一本。蟹は右腕二本なのに。
「ふははは! ハンディにすらならねぇッ!」
後ろへ下がる蟹との距離を、一気に縮める。
「うらぁぁッ! 喰らえクサナギの一撃を!」
スカッ。刀は空振り、空を斬った。
「なにぃぃ!?」
目にも止まらぬとは、この事か。
真横へ素早く移動したのだ。
これが蟹の狙いだった。前後にも動ける事で選択肢を増やすという。
真横の速度は前後の比じゃない。残像が竜巻を発生させ、機体をグルグルと無数の蟹が囲む。
「分身の術かよ。にんにん」
竜巻の中心で、刀を構える。
渦の中から二本のハサミが飛び出し、少しずつ距離は狭まっていく。
あの刃先に遠心力が加わっている。
いくらクサナギでも弾かれるだろう。あれにダメージを与えられない。
「なるほど蟹なりに考えたか」
まるで鳥かごに捉えられ、自由を奪われた鳥だ。
「だがよ、勝つのは俺だ!」
クサナギを上空へ投げた。一瞬、蟹はそっちに意識を奪われる。
その間にスサノオンは姿を消した。
ギョロッギョロッ。蟹の目玉が捉えたのは、大地にあいた巨大な穴。
ここから脱出したのかと、蟹は思考する。
「正解」
ニイイイッ。竜巻の外側で、響樹は口角をつりあげた。
「鳥かごに捉えられていたのは、お前だ。ヨモツ獣」
飛び出した穴に、左掌を広げた。
「喰らえ。一撃必殺の奥義を」
響樹の肉体から、アニマと名づけられたオーラが吹き上がる。
「燃えろ。俺のアニマ。全ての邪悪を焼きつくせ」
スサノオンの背後でアニマが形創るは、八首の龍。
――ジャコン。
イケメンフェイスをガードするフェイスカバーが開かれる。
角まで裂けた大きな口から鋭い牙が剥き出しになり、口内からは長い舌が飛び出す。
「一撃必殺奥義・アマ・テラスッッッッ!」
左掌から発射するは、小型の太陽。
「あぎぃぃぃるッッ!」
スサノオンの咆哮と共に、奥義は放たれた。
穴に注がれた太陽の超高熱は、竜巻の中にいるヨモツ獣が死を認識させる暇も与えずに一瞬で虚無へと帰す。
「ふはははッッ! 大勝利ッ!」
突き上げた左手は、クサナギを掴んだ。
塵となり黄泉の国へ戻ろうとするヨモツ獣の種に、刃先を突き刺す。
「ハズレか。トドメをささないでやる。その代わりアイツに伝えろ。俺が必ず取り戻すとな」
戦いは終わった。片膝をつくスサノオンの額から、響樹と沙耶が浮かび上がり地上へ降り立つ。
「見事じゃ。流石儂の主と娘よ」
リリスは穏やかな声で二人に抱きつく。頭をわしゃわしゃと撫でまわす。
「もぅ母さま。子供扱いしないで。髪が乱れちゃう」
沙耶は恥ずかしそうに頰を染めて、隣の響樹に視線を送る。
響樹は撫でられるまま、視線を動かしていた。まるで大切な誰かを探しているように。
「あ、あれ妹ちゃんは? 母さま」
リリスは海を指さす。
海面に浮かぶはツインテールを揺らす美亜。
「すまない。美亜」
「待ってるよ。お兄ちゃん」
涙を浮かべ、美亜は消滅する。
「えっ? 一体何が……」
「美亜は幻。結界内以外では、存在できない幻想少女なのじゃ」
「必ずお前を取り戻す、美亜」
ボコボコボコ。深い深い太陽の光さえ届かない海の底で、赤い鬼神が使い手の目覚めを待っていた。