四人目の使い手(2)
あれから一週間が経過した。いまだケイの機嫌はなおらない。
――わたしを見ればきっと不機嫌になる。寂しいが、しばらく遠くから見守ろう。
そんな旭の想いに気づけないケイは、これ見よがしに近づく女性達と逢瀬を重ねてきた。それこそ所構わず。
旭はその光景を思い出し顔真っ赤にしながら、ケイ達の後を追う。
「う、うわぁ」
公園のベンチにケイが座った瞬間、我先にと抱きつく少女達。思わず変な声が出てしまう。
遠目から見てても、とても恥ずかしい。人前であんなことよくできるものだ。
あのグループの中にもし自分がいたらと、旭は妄想し否定する。
沢山の中の一人じゃ嫌だ。自分だけをケイに見てほしい。
恋は盲目とよく言ったものだ。
浮気現場をこの目で見ても、旭はケイを嫌いにならない。
鬼の勇者が助けてくれたから、今こうして自分の足で立っていられる。
生きてるからこそ、恋だって出来るのだから。
「うしっ。負けないぞ! まぁ、流石にあの中に入る気ないけどさ」
旭はグッと拳を握り締め、気合いを入れる。
今日は退き、明日朝一でケイの元へ行こう。そう決意し、公園を立ち去ろうとした時だった。
「あれぇぇ、もしかして噂の鬼の勇者くんですかぁぁ」
野太い男達の声がベンチの方から聞こえてくる。
良くも悪くも目立ち過ぎた。派手なメイクをし、制服のスカートを内側に巻き短くした少女達の集団に、芸能人でも無い普通の少年がチヤホヤされているのだから。
「んっ?」
笑顔で屈強な肉体を持つ男達がベンチへ近づくのを見て、旭の脳裏に一つの疑問が浮かび首を捻る。
何故この人達は、ケイが鬼の勇者様だと知っているのだ。
旭がネット上で呟いたのはあくまで文書だけで、ケイの画像を晒したわけじゃない。
「ひ、ひぃ。どうしてボクが鬼の勇者って知ってるんだ」
「あっ、それあたしあたし。じゃーん轟くんとのツーショット!」
取り巻きの少女が、ネットにモザイクかけずに晒していたのだ。
「お、おまおまえぇ」
「あれ、ダメだったの?」
「ひ、ひ人違いですぅぅ。ボクは鬼の勇者じゃありませんん」
「またまたー」
ケラケラと少女たちが笑う。ケイにとってそれは、トラウマを呼び起こす笑顔の牢獄なのであろう。
幼い頃から嘘つきで金持ちだからとプライド高く、その性格が災いして誰も寄りつかない。そんなケイと親しくする人などいない。
「ああぁぁぁ!」
――煩い煩い煩い。皆が馬鹿にして笑っている。誰もボクを理解しない。
ケイの渇いた叫びは、そう言って潤いを求めた。
「どけっ」
少女たちを突き飛ばし、ケイは脱兎の如くその場から逃げだした。
「うわマジか。あたしたち置いて逃げちゃったよ。しかも嘘までついてありえねー」
うんうんと皆うなずく。
「なんかゴメンね。怖がらせたみたいで。勇者と一緒に写りたくてさ」
「あははは。いいですよー。その気持ち凄いわかります。ところでお兄さんたち暇? 一緒にカラオケでも行きません」
色々と情報量が多すぎて立ちつくす旭に、ケイは気づかない。
彼はメラメラと憎しみが滲み出る目で、繁華街へ消えていく笑顔の男達と少女達を遠くから睨み、逆方向に走りだす。
フリーズする胸のエンジンに火をつけ、旭は慌てて追いかけた。
「馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって。ボクだってやれば出来るんだ」
ぶつけどころの無い怒りが、冷静さを失わせている。
少なくても横断歩道の信号が赤に変わった事に気づかないぐらいに。
高齢者マークが付けられた車が、飛び出したケイに反応出来ない。車体が獰猛な唸り声をあげた。
「ケイくん! 危ない!」
「ひいぃ!」
気づいた時にはもう遅い。ノーブレーキで突進してくる車は、速度をゆるめない。このままだとケイは潰れた蛙となる。
「のじゃッッ!」
旭は聞いた。女性の気合いを入れた叫び声を。綺麗なピッチングフォームで、公園から何かを飛ばした。
「ふははは! ナイスだぜリリスッ!」
飛ばしたのは人間か。ありえない。公園からここまでかなりの距離だ。しかしこちらへ近づく黒い物体は紛れもなく人であり、黒髪の少年であった。
腰を抜かしたケイと車体の間に、筋肉質の黒髪少年は着地する。
体幹も鍛えているのだろう。バランスを崩さず降り立つ少年の背後に旭は鬼を見た。
「勇者……様?」
「ぬうんんんんッッ!」
少年の動きに連動した鬼の腕が車を持ち上げる。間一髪であった。ケイの命の糸は、細い針一本で繋がっている。
「お、お助けぇぇ」
仰天する運転手は、車を追いて逃げだした。
「よう。立てるか」
命を救ってくれた少年に、ケイは素直にコクコクと頷く。
「かはっはっはっ。流石じゃ響樹。それでこそ我が主よのう」
少年の名を呼び、豪快に笑い近づいてくる小柄な赤髪の美女リリスを見て、ケイはバツ悪そうに視線をそらす。
「やっと見つけたのじゃ。偽勇者殿」
リリスはスマホの画面と、ケイを交互に見比べている。
「その話しはあとだリリス。漏らしちまった」
「ぼ、ボクはもら……」
――じょぼじょぼじょぼ。
象の鼻で水浴び。これで炎天下の夏も快適だと、大量の小便を響樹は漏らしている。
「かはっはっはっ。そうきたか」
「ふははは。生身で立ち向かうの怖ぇ怖ぇ。コイツにもかかっちまったから、二人分着がえを頼むぜ」
旭は気づいた。響樹の優しい嘘に。
ケイが失禁した事をごまかす為、響樹は敢えて漏らしたのだ。
「任せよ。ところでフルチンになるのはやめとけ、響樹。これで隠すのじゃぞ」
まるで手のかかる息子を面倒見る母だ。リリスはそう言って何処に隠し持っていたのか、二枚のバスタオルを取り出し手渡した。
「娘、買い物付き合うのじゃ」
「は、はい」
リリスさん幾つだ。黒いロングドレスがとても似合う。異国の血が入ってるのかな。まるでおとぎ話のお姫様だ。若作りなだけで、口調からしてそれなりの年齢だったりしてと、旭はリリスに視線を送る。
「どしたのじゃ?」
「え、えーとリリスさんって幾つかなって」
「かはっはっはっ。では、その辺の話ししながら行くとするかのう」
買い出し終え戻ってきた旭とリリスが見たものは、響樹の足下で土下座するケイの姿であった。
「……美しい」
素人の旭が自然と呟いてしまう程に、とても綺麗な形状をしていた。両膝、大地に触れる掌、そして折れ曲がる背筋の角度。そこから黄金の風が立ち上る。
「これが噂の黄金比」
この姿勢が完成に至るまで、ケイはどれ程の年月を費やしたか。旭には想像すら出来ない。もはやこれは芸術品と呼んでもいいだろう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
響樹が鬼の勇者と理解したのだろう。
ごめんなさいラッシュを、ケイは響樹に叩き込む。
わたしもケイくんと一緒に頭を下げようと、動きだした時だ。
にいいっ。響樹は涼しい顔で、犬歯を見せ笑いだす。
「ふはははははは。わかる、俺にもわかるぞ。英雄に憧れる気持ちがな」
気のせいか。英雄と言った響樹に悲しみを感じた。しかし只の勘違いだろう。
「もっと俺を褒めるがいい。ふははははは!」
響樹は腰に手を当て、ご満悦で笑っているのだから。
「センパイ怒ってないの?」
芸術品となったケイの変わりに旭が聞くと、響樹はキョトンとした表情を浮かべた。
「センパイ? 俺が」
「うん。リリスおばあちゃんから聞いたよ。神高の三年生でしょ。わたしとケイくんは神高の一年。だからセンパイ」
「おうっ、そうだな。楽にしろケイ。全く怒ってないぞ」
「は、はい。御門さん」
「では旭。先ほど道中で話した事を、ケイにも伝えるのじゃ」
「あ、あのその前にいいですか」
ケイは響樹の顔色伺うように、おそるおそる手をあげる。
それは熱い風呂に片足を入れる行為と似ていた。水面を突破した時温度がわかるのだ。火傷するかしないか。
「いいぞ」
「あ、朝比奈さん、君がなんでここに?」
「えっ、それ酷くない? わたし彼女だし」
「だってあれほどボクは酷いこと言った。それに鬼の勇者だって……ボクじゃない」
「うん。そうみたいだね」
「ならどうして?」
「嘘はよくないよね。でもそれで嫌いになるなら、そんなの本気じゃないよ。これも縁だよケイくん。お互いを今から知っていこう。仲直りしよ。んっ」
旭は手を差し伸べると、ケイは震える手で握りしめた。
「温かいね、ケイくんの手」
「うん。朝比奈さんの手はひんやりして気持ちいい」
「うむ。二人とも歩み寄れてよかったのう。儂も嬉しいのじゃ」
「おしっ。リリス続けてくれ。着がえながら聞くからよ」
旭は話した。自分に龍の一族の血が流れている事を。そしてその魂は、邪悪なる蛇神の生贄に選ばれたのだと。
「これから先も、わたしをヨモツ獣が狙うって。あははっ。笑っちゃうよね」
「笑い事じゃない。朝比奈さんはボクが……」
語尾が小さくなり聞き取れない。だがここにいる皆には伝わった。
――守ると。
「ふははは。いい心がけだな。ケイ」
「えっ。ボクは何も言って……」
「鍛えてやるよ。身も心も強くなって、旭を守る盾となれ」
「はい! 御門さん!」
*
響樹との鍛錬を重ね、ケイは確実に力をつけて来たのが自分でもわかった。
乾いたスポンジが水を吸う。今のケイは正にそれで、響樹の教えた技術を次々と覚えていく。
ボクは強い。
ケイがうぬぼれるまで、そう時間はかからなかった。
「あれ、偽者くんじゃないですか」
きっかけは街中ですれ違い様の些細な、その一言。ケイはその拳で人を殴った。
「何故屋上に呼び出したかわかるな、ケイよ」
「昨日の件ですよね。でも悪いのは、アイツです。街中で周囲に聞こえるように大声で偽者と挑発してボクをバカにした。ボコボコにしてやりましたよ!」
ふははは凄いなと、響樹は褒めてくれるだろうとケイは期待した。しかし、かえってきた言葉は全く違った。
「バカやろうッ! お前、自分が何したかわかってるのかッ!」
「えっ? なんでボクが怒られる? バカは煽ってきたアイツらだ」
「俺がお前に教えたのは弱者を守る力だ。暴力ではないッ!」
「どっちも同じだよ!」
「違うッ!」
「ううっっ」
反論したい。しかし刺激して、響樹に殴られるのは怖い。
そうだ。いい事思いついた。
「御門さん、その拳は弱者を守るため。即ち弱者に反撃しないって事ですよねぇ」
ケイは響樹にとって弱者に過ぎない。攻撃出来ず、かかしとなった師をサンドバッグにするのも一興か。
ケイは拳を振り上げた。
「ウラァッッッ!!」
響樹の拳がケイの顔面にめり込む。メリメリと耳の奥から鳴り響く音は、絶頂のASMRか。ケイは大きく弾け飛ぶ。
「あっあぁぁ、痛い痛いよぉ」
「立てぇいケイ!」
「う、嘘つき。弱者のボクに拳をふるったなぁ」
「なにぃ。違うぞ、お前は」
「うるさいうるさいうるさい! もう二度と他人なんか信じるかぁぁ!」
「ケイ、お前は強くなった。もう弱者じゃないんだ」
響樹のその言葉を、癇癪起こすケイの耳には届かない。
泣きながら、学校の屋上から逃げ出した。
「痛い痛いよぉ。鼻血も止まらない。クソクソクソがぁぁ」
校庭の水道で顔を洗うケイに近づく者はいない。偽者とバレた今、殴られた傷も構ってほしくて自傷したのだろうと相手にしない。
「あ、旭」
旭に助けを求めて携帯を取り出した時だった。
「どうしたの酷い傷ね」
「リリスさ……ん、どうしてここに」
駄目だ。口を開いてはいけない。こいつは響樹の仲間。ケイの敵なのだから。
「リリス? 人違いですよ」
「えっ? 別人?」
言われて見れば、髪色。背の高さ。年齢が違う。
リリスは赤く十代前半。目の前にいる美少女は黒く十代後半。酷似してるのは、胸のサイズだけだ。
「えっちっ。見たのバレバレだよ」
「あ、ご、ごめんなさい。そんなつもりは全く」
「くすっ。保健室行こうか。手当てしないとね。えっーと」
「一年の轟ケイです。その胸のリボン三年生ですよね」
「はい。私は暁沙耶です。よろしくね、ケイくん」
にいいいっ。沙耶は口角をつりあげた。それはまるで腹を空かせた蛇が獲物を見つけ笑ってる様であった。




