1 非運命的な出会い
雨が降っている中、二人の女性が歩いていた。
少し先の景色すら見通せない白い霧が立ち込めている。けれど霧に負けない白い肌を持つ彼女達は、迷う素振りすら見せずに真っ直ぐ進んでいた。
二人は濡れてすらいない。
彼女達を雨から守るように透明な球体が囲っているからだ。魔法のように。
魔法。
神話の伝承では古の時代に神が授けた祝福であり、さらに上位種と呼ばれる者達は常人を逸する異能を貰ったという。
同時に優秀な血統を求めよという使命も受けた彼らは、神に言われた通り今よりも優秀な者を残す為に精進した。
その中でも凄まじい成長を遂げたのが吸血鬼。
誇り高いプライドを持つ彼ら彼女らは、偉大な神に応える為にあらゆる手段を使った。
血も涙もなく、目的の為なら命すら切り捨てる行為を平然とやる。そのおかげで魔法の技術は他種族の中でも抜きん出ていた。間違いなく上位種でも強い方に入るだろう。
「お母さん……家はどこ? お父さんは?」
「………………………………マライヤちゃん。今までの家の事は忘れなさい」
「………………」
森の中で呼吸と同じ感覚で魔法を使う彼女らも吸血鬼だ。
だが会話から非人道さを感じられない。背の高い人が隣にいる小さい子を見る目はまさしく、我が子を見ているようだ。
小さな子供は年相応の幼さを持っており周りをキョロキョロ見渡している。さながら妖精のよう。
対して大人の吸血鬼の顔は暗い。恐怖と罪悪感にグヂャグチャにされていて、白い肌でも目元には隈がハッキリと見えるほど。
対照的な二人が森の中を進む姿は墓参りにも見える。そんな暗い空気の中で辿り着いたのは、霧には全く似合わない大きな洋館だった。
正面にある三メートル程の扉が二人が到着した瞬間に、さも分かっていてかのように扉が開かれる。
扉の先にある見通せない暗黒から、こちらを覗いていたのは一人のご老人。
ランタンを片手に執事服を来た吸血鬼だ。
「お待ちしておりましたローレンス殿」
丁寧にお辞儀をするが背後の暗闇のせいで、人を引き摺り込む執行人にしか見えない。誰を欲しているのだろうかと女の子は怯える。
生贄でも欲しているのではないかと母の影に隠れるが。
「…………………………行きなさいマライヤ」
「……え」
その母にマライヤは前へ出された。
生贄に選ばれたのは彼女だった。優しくとも手の震えを感じながら押し出されるマライヤ。
信じられないと後ろを見て見上げるが映ったのは悲痛に耐える優しき母だけ。
「い、いやだ……!」
「………………………………………………………………」
涙を流して訴えるが母はやめない。
ゆっくりと前へ押して、あの暗黒の中へ連れて行こうとしている。
「お母ちゃん……!!」
「マライヤ様、こちらへ……」
そうしてマライヤと呼ばれた吸血鬼の少女は、執事に引き連れられ暗闇の中へ閉じ込まれた。
「母ちゃん……母ちゃん…………!!」
最後まで母へ助けを求め、後ろに向かって手を伸ばすマライヤ。力が足りず執事にただ引っ張られる彼女は哀れだが、古い扉が閉まり切るまで母がマライヤを見る事はなかった。
マライヤが最後に見えた景色。
それは白い霧に引き込まれながら己の罪の証を直視できなかった母だった。
暗くて長い廊下を通り過ぎれば、そこは二階へつながる階段があるホールだった。
壁や床はどこまでも光沢のある黒一色で、ここに住んでいる種族の陰湿さを表しているよう。ただカーペットは明るくて綺麗な赤だった。
周りが黒だらけなばかりにより強調される赤は、まるで血のようで……。
「よう、そいつが新しく来た部外者か?」
弧を描きながら二階へ続く階段に黒い貴族服を着た男が一人。ちょび髭が似合う彼は、高貴そうなワインを片手にマライヤを見下していた。
「えぇ、ブルンド様。こちらが例のお嬢様です」
「あーらあら。何か匂うと思えばなるほど、虫が入ってきていたのね……」
「フォース様、おはようございます。今日は遅めのお目覚めですね」
ブルンドと呼ばれる男に執事が紹介すると、今度は反対側の階段からまた一人声をかけられる。高貴で底が冷えている、どこか人が悪そうな女性が扇をパンっと開いて口元を隠していた。
「あの……えぇと……」
「お二人とも。この子はまだ子供です。そう鋭い目で見られては怖がってしまう」
執事が柔らかい言葉で注意するが、二人の眼光は弱まるどころか強まるだけ。
二人にとってマライヤは初めて会う吸血鬼なのに、目の奥には憎悪が宿っていた。
「仕方がない事でしょう。我らがアルスター家は吸血鬼の中でも随一の家系。それなのに部外者を招き入れるとは」
「そうさ。これは侮辱そのものだ。アルスター家の歴史に泥を塗っているに等しい!」
二人の容赦ない悪意がマライヤを襲う。この世界で優れた種族である吸血鬼と言えども、まだ子供のままである彼女には辛かった。
マライヤの目の端には僅かな涙が。
とある理由で家族と離れ離れになってしまったばかりの彼女には辛い。
執事も納めようとしているが、タチが悪い事に目の前の二人は優秀だった。この洋館で蔓延るカーストでは彼らの方が上。
実力はもちろん、言葉でどうにかできる相手ではない。
「おやおや。君達は当主が決めた物事に文句を言うのかい?」
二階の扉が古い音を立てて開いた。
真っ暗なエントランスに扉の奥からやってきた真っ白な光が差し込まれる。
黒に白を混ぜた張本人は、トン、トン、トンとヒールの音を鳴らしながら歩き始めた。
研究者の白衣を着た彼女がそこに現れただけで、この黒い部屋は支配下に置かれる。
「……ッチ。カーンお前。異端者が調子に乗りやがって」
「貴女など当主の言葉さえなければすぐさま殺してますわ」
「負け犬の遠吠えありがとう。……よっと」
カーンと呼ばれた女性は真っ直ぐ歩き、そのまま飛び降りた。重力に縛られた彼女は一階の床へ加速しながら落ちて……行かない。
風魔法を発動してヒールの足が床につく直前、少しだけ浮いてから優しく降りる。
身丈の長い白衣が遅れて床に落ちる様は、まるで白いマントを付けたヒーローが駆けつけたようで。
床に着地した彼女とマライヤの視線が合った。
血と見間違うような紅い髪の毛。艶やかな彼女の髪に合わせたように、瞳も血に似た色をしていた。ただ少し……黒く濁っているように見えるが。
「執事さん。お仕事ご苦労様だね。こういう面倒なタネはいつも消えないから困ったものだ」
「……カーン様もお疲れ様です。また研究の続きを?」
片丸のメガネをかけている彼女は、背後から迫る二つの殺気をものともせずにマイペースに話し始めた。
「あぁそうだね。ただ当主から呼ばれてしまったんだよ。それで外に。私としてはずっと研究室に引きこもっておきたかったんだが」
肩を竦めて、面倒だアピールをする彼女からは余裕しか感じられない。後ろで恨めしい顔をしながらカーンを見ている二人とは大違いだ。
そうしてカーンはしゃがんでマライヤと自然の高さを合わせた。その目は興味深い物を見るようで……不思議な事にマライヤが怯えることは無かった。
「当主からの命令だ。この子は私が預かる事にした。それでいいね? ブルンド君、フォース君?」
「…………当主の命令なら従うしかないだろ」
「………………ほんとうに、ほんとうにっ嫌な奴。えぇ問題ないわ」
言葉とは裏腹に全く認めていないような話し方だが、了承を得たという事でカーンはニッコリ笑った。
「執事さん。後は私が丁寧にその子を保護するよ」
「……分かりました。どうかよろしくお願いします。カーン様。ではマライヤ様、私はこれで……後、カーン様の側から離れないように」
「……えっと、は、はい」
憎悪に満ちた暗黒の空間でありながらも、突如現れた白色のヒーローはそのままお姫様を攫ってしまった。
「すまないねぇ。彼らは最近苛立っていたんだ。まぁ子供に八つ当たりするのは大人気ないけどねぇ」
また大人に手を掴まれて、けれど今までと違いマライヤは怯える事なくついて行っている。彼女達がいるのは黒くて長い廊下だ。
「ここにいる当主からは許可は貰っているから、君は私の部屋の所で住んでおくといい」
「……新しい家?」
「少し違うが、大体あっている」
リズムが崩れる事なく優しいヒールの音が鳴る。それだけでこの洋館に潜む無機質さが感じ取れやすくなるが、数分歩き続けば大きな扉が見えてくる。
これまた吸血鬼の趣味に合いそうな赤い色の扉が。
「……………………?」
マライヤが感じた違和感。
それは目の前の扉とそれ以外の壁が何か違う事に対するものだった。取手がないのも気になるが。
そうだ。
この扉は無機質なんだ。他の壁は上質な木材で作られているが目の前の扉は違う。
もっとこう近代的な、それでいて生命の入る余地がない材料で作られている。
「これは"鉄"だよ」
マライヤが抱いた疑問を解消してくれたのはカーンだった。
「まあ冒険者が着ている鎧も鉄だが、これは違う。もっと先進的な方法で作られている」
そう言いながらカーンは扉の隣部分に顔だけ近づける。付けていた片目メガネを少しずらせば、何でもない壁から機械みたいな物が出てきて目のスキャンを始めた。
マライヤはそれが何なのか分からない。ただ凄そうとだけ思っていたが、扉はシュッと言う音を立てて横へ開いた。
扉部分が横へスライドしていく所に驚くマライヤだが、カーンにつられてすぐさま研究室に入った。
「マライヤ君、君がここに呼ばれた理由なんだがね。言ってしまえば神の宿題なんだよ」
「しゅくあい……?」
「おっと、この言葉は分からないか」
聞き慣れない言葉にオウム返しするマライヤだったが、しっかりと発音できていない。その可愛げさにカーンは少し笑顔になるが話は続ける。
「まあおつかいみたいなものさ」
「おつかい……うん、お使いなら分かる! えぇと『血統』の事だよね!」
マライヤの目がキラキラ。
「正解だ。まあ君はそのおつかいをかなえ……うーん、やってくれると思って呼ばれた訳だ」
「………………おつかいすれば、家に帰してもらえるの」
「……………………そうだね。おつかいをしてくれれば、家に帰れるよ」
少し間を置いてカーンは言った。
当然、その言葉だけで本当に返してくれるかは分からない。ただ子供であるマライヤにそんな事分かるはずもない。ただマライヤから見てカーンには悪い感情は見えなかった。
よってマライヤが、館に入って唯一助けてくれた彼女に恩返ししようとするのも必然と言えよう。
「お姉ちゃん。私、手伝う!」
「おっと、お姉ちゃんと来たか。私にはカーンと言う名前があるのだが、まぁそれは後で直せばいいだろう」
「お姉ちゃん……?」
「まだ私の研究内容がわかるとは思えないが、あの当主が推しているからね。試してみるか」
「ん?」
白衣の袖で口元を隠しながら話すカーン。
小さい声のせいでマライヤに聞こえる事は無かったが、少しすれば袖を離して本題に入った。
機械仕掛けの扉を超えて真っ黒な世界を歩みながら。
「きみに手伝ってほしい事は一つ。私の最高傑作を完成させてほしい」
真っ直ぐ進んでカーンは止まる。すると何かの仕草をした直後、暗き部屋は明かりに照らされた。
「……………………?」
見えてきたのは薄緑色の世界。
そして自然の世界の中で生きていたマライヤにとって、見たことのない世界が広がっていた。
紫色の何かが入った三角フラスコ。
多種多様の液体を入れてある試験管。
そしてノートパソコン。
言ってしまえば産業的。
ファンタジーの真反対に行く物だけでこの部屋は構成されている。マライヤからすればいきなり異世界に飛ばされたものだ。
広がる景色だけで彼女を驚かせるには十分だろう。
けれど。
マライヤはそんな研究器具より、産業的な世界より、目を奪われたものがあった。
人並みの大きさを誇る研究用の透明パイプ。
その中に入っていた女性。
その人がマライヤの視線を独占した。
まるで歴史的芸術家が残した作品のよう。
紅い宝石みたい。美しさにおいてこの世の頂点に存在している。いや宝石程度で美しさを表現するなんて生温い。むしろ言葉だけで表そうなんて非礼だ。
マライヤの頭の中はこんな感情が張り巡らされていたが、とにかく彼女は魅入られた。
赤子の姿をしているからではない。
確かにその形は至高の芸術品と言えるべきものだが、それ以上に唆られたのは彼女の身長より長い髪の毛。紅く染められた美しさを誇るそれは、まるで──
「──綺麗な、血」
「そう。これは私にも相当な自信があってねぇ……ただ、まだ完成はしていないのだよ」
紅き女性を見つめていたカーンがマライヤを見る。
その時の表情は助けられた時の余裕あるものではなく真剣そのもの。
「マライヤ君。一つ助けてほしいんだ」
「……どうすればいいんですか?」
「君の血を少しずつ分けて欲しい」
──君は吸血鬼でも珍しい。
『神子』と呼ばれる存在だからね。
かつて神は吸血鬼に異能と言える特別な物を授けた。
それは血の特別性。
神は優秀な者を残せるように、その血に一種の永続性を与えたのである。
競馬でで優秀な馬と優秀な馬を掛け合わせて、強い馬を作るように。
吸血鬼は優秀な血と優秀な血を混ぜて、強力な吸血鬼を作り上げることができる。そんな事が出来るように祝福を授けた。
よって吸血鬼は優生思想、血統主義とも言えるそれで、才能ある吸血鬼達を夫婦にしたりとくっつけさせた。
それが主流だったが。
白衣を着たある吸血鬼は違った。
特別な血を幾つも重ね合わせ、配合し、最強とも言える吸血鬼を作り出そうとしていた。