第6話 あらゆる冒険の登場人物にあこがれて
どの時代を小学生として過ごすのが一番面白いだろう。
僕が小学生として過ごした1980年代を、現代の小学生が理解できるとは思えないけど、父もきっと理解できないだろう。
父は1943年生まれだ。僕にとっての80年代は、父にとっての50年代だ。
街頭の白黒テレビにみんなで群がって見ていた50年代と、一家に一台あるカラーテレビでみんなとファミコンをやる80年代、ニンテンドースイッチでオンラインゲームをヘッドセットで会話しながら遊ぶ現代、どれも違う。
いつの時代に戻りたいか、大人になったニサワと、スーパー銭湯の食事処で呑みながら話したことがある。
彼は深く考え込んだあと「小学生かな」と言った。「俺は高校生」と返すと、「う~ん」とニサワはまた考え込んだ。
では客観的に見て、どの時代を小学生として過ごすのが一番楽しいかと、お題を変えてみた。タイムマシンに乗り、50年代と80年代と現代を、小学三年生としてそれぞれ一年間ずつ過ごしたら、どの時代に一番票が集まるか。
二人であれこれ話してみたが、そもそも、どの時代を小学生として過ごした人がタイムマシンに乗るかで印象は変わるので、無駄な妄想話として終わった。
1980年代僕らの共通言語だった『週刊少年ジャンプ』は、毎週火曜日発売だった。
一部書店では1日早い月曜日に発売されていて、近所にあった中西屋という酒屋では、なぜか2日前の日曜日に発売されていた。
そのため、中西屋の近くにパトカーが停まっていると、「とうとう中西のオヤジ捕まったか」と噂される程だった。
毎週日曜の朝は中西屋に行列ができた。近くを通りかかる車はいつもその光景を不審そうに眺めた。朝から小学生が酒屋に並んでいるぞと。
とある日曜日、少し遅れてジャンプを買いに出かけると、中西屋の方から他地域の小学生グループが自転車でこちらに来るのが見えた。一人が目で合図をすると、彼らは一斉に自転車の籠に入れてあったジャンプの表紙を、こちらに見せつけるように整え直し、ニヤニヤしながら通り抜けた。俺たちはもう買ったぜ、遅いんだよバーカ、の意。
昭和の小学生は戦いの連続だった。
一年生のとき、隣のカイエダくんや、初めてドラクエを見せてもらった向かいのオトヤマくんなど近所のお兄さんたちと遊んでいるとき、駄菓子屋で他校の小学生と揉めて逃げてきたことがある。
コの字型の住宅街に逃げ込んだところで、僕らは前後で挟まれた。彼らは2手に分かれて追っかけて来ていたのだ。
挟み込まれたときの絶望感は強烈だった。できれば、こんな絶望感を味わない少年時代がいい。
そしてなぜか、サッカーで決着をつけることになった。バイオレンス的なのか平和的なのか分からない。ただ、試合をするために近くの公園に移動する間、僕は他校の子たちがとても恐ろしく見えた。小一にとって、他校の六年生は異様に怖い。
サッカーは僕らの圧勝だった。
カイエダくんが桁違いのプレーで大量得点を決め、相手チームを黙らせた。その後カイエダくんはサッカーの名門高校に推薦入学したほどで、実力は当時から本物だった。カイエダくんがオーバーヘッドでゴールに叩き込んだシーンは、僕の脳にも強烈に叩き込まれた。
他校の生徒とのいざこざはよくあったし、体育の時間でも水は飲めないし、教室にエアコンもないし、給食は全部食べないと昼休みにならないし、校門前には見慣れないおじさんがなにかを売りつけに来ていたし、中も外も戦いの連続だ。
『ドラゴン・クエスト』との出会いは、3つ上のオトヤマくんの家だ。
オトヤマくんが同級生と家でよくファミコンをしていたのは知っていた。最近はドラクエをやっているという。見に行きたい僕が物怖じしていると、ニサワが仲介してくれた。オトヤマくんの同級生にニサワの兄貴がいたのだ。
オトヤマくんは物静かなお兄さんで、僕にとってその部屋はちょっと大人の匂いのする、おしゃれな空間だった。ドラクエキャラクターの陶器人形が飾られていて、僕もすぐ真似して家の勉強机に飾った。
ニサワの兄貴を含めた4、5人のお兄さんたちがテレビ画面を占領する中、僕は隅から覗くようにドラクエを見た。明らかに他のゲームとは雰囲気が違った。
いつかあれをやりたい、俺も冒険に出たいと蓄積された当時の子どもたちの欲求は、1988年全国で爆発した。
『ドラゴン・クエストⅢ』の発売日は“社会現象”と新聞の見出しに書かれるほどのお祭り騒ぎで、日曜の中西屋の何十倍もの行列を全国で生んだ。
僕とニサワは、上級生の不良グループに脱衣麻雀をやらされていたデパートに朝から並び、ドラクエⅢをゲットした。
事件はそのあと起きた。
ウキウキしながらデパートを出ると、見慣れぬ怖そうなお兄さんたちが、数人でこちらに近づいてきたのだ。
「おい。ちょっとこっち来いよ」
中学生らしかった。すくみ上がる僕とニサワはどうしたらいいか分からず、誰かに助けを求めようにも彼らは僕らをうまく取り囲み、人気のないデパート裏に連れて行こうとした。
強い意志に基づく彼らの小慣れた動きに抵抗する気力をなくしかけていたそのとき、聞き慣れた声が僕の耳に入った。
「おー。サギタニかー?」
ナイトウ先輩の声だった。
振り返ると、すぐに状況を察知したナイトウ先輩のグループが、こちらに近づいてきた。
「今日はゲーセンじゃなくてドラクエかー。で、お前らなに?」
「あ、いや…」
「俺らの後輩になんか用?」
ナイトウ先輩がそう凄むと、彼らは一目散に逃げていった。不良は、悪事の雰囲気を察するのが早い。
「早く帰れよー」
ナイトウ先輩は僕らにそう告げると、仲間らとデパートの中に消えていった。麻雀やってて良かったと思った。
“ドラクエ狩り”は全国で多発した。中学生が小学生を狩る物騒な時代だ。それを守ってくれた中学生は小学生に脱衣麻雀をやらせていたから、正義と悪の境界線はよくわからない。やはり1980年代は教育上よろしくないことが多い、適当な時代だ。
胸をなでおろしニサワと別れると、僕は家に帰ってソフトを袋から取り出した。新品の固くて綺麗な箱が、輝いて見えた。
ファミコンに差し、電源を入れると流れ出すあのメロディー。
始まる。
冒険が始まる。
現実の世界から一瞬で未知の世界へ連れ出してくれる、魔法のようなオープニングテーマ。
主人公の名前に「さぎ」と入れる。この一挙手一投足全てが、夢にまで見た所作。さっきの恐怖も忘れ、僕は冒険に出かけた。
「どこまでいった?」
「カンダタにやられた」
「大石中にはもうクリアした奴がいるらしい」
学校では連日、そんな話しが飛び交った。
みんなが同じタイミングで、同じゲームで楽しんだ。例えつまらないゲームでも、「クソゲー」と言い合ってみんなで笑った。
操作方法が全く分からない謎のゲーム『バンゲリングベイ』は、クソゲーの代表格として有名だった。中学生になっていた兄やカイエダくんにもやってもらったが、「全く意味分からん」と彼らも匙を投げたほどだ。
次第にみんなが『バンゲリングベイ』をやりたがった。みんなで共有して共感する、「共遊」すれば、全てが楽しく変換できた。コンテンツが少ない分、SNSがなくても僕らは勝手に繋がっていた。
この頃公開されたジブリ映画『天空の城ラピュタ』も『となりのトトロ』も、大人になった今ではDVDで持っていて、いつでも見ることができる。それでも、テレビでやっていると見てしまうのは、どこかで、あのときのようにみんなと同じタイミングで同じものを、共遊したいという思いが残っているからかもしれない。
だからこそ、『東京五輪2020』開会式で流れたドラクエのオープニング曲に涙した。かつてカンダタにやられた、全国の顔も名前も知らない同年代とともに。
やっぱり1980年代が、小学生として過ごすには一番かもしれない。