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第2話 求めちゃいけない甘い口づけは

「人のアキレス腱を初めて見た」


僕の手術が終わったあと、母はそう言った。


6歳のとき、僕は4つ上の兄が漕ぐ自転車の後ろに乗り、左足を後輪に絡ませて大怪我をした。


坂道を一気に下りたあと、後ろの僕の異変に気づいた兄が自転車を停めると、後輪ホイールに、僕の肉片と血が痛々しくこびりついていた。


泣きわめく僕と、狼狽する兄。


この世の終わりのような絶望感の中、自転車で通りかかった一人のオバさんが優しく僕らに話しかけてきた。


オバさんは、首尾よくついていた自分の自転車のチャイルドシートに僕を乗せ、「傷口が広がったら大変だから」と、自転車を押しながら30分近くかけて駅前の病院まで届けてくれた。兄は、自分が怪我をさせてしまったかのような責任を感じてか、しょんぼりしながらついてきた。


町の小さな整形外科で、僕はそのまま手術することになった。アキレス腱が目で見えるほどに僕の左足の肉は捲れ上がり、「もう数ミリ深かったら、アキレス腱が切れて歩けなくなっていたかもしれない」と聞かされた。


その後母は、助けてくれたオバさんにお礼をすべく随分探したようだが、結局どこの誰か分からなかった。名前も告げず去っていく、さすらいの救世主。


当時の子どもたちにとって、大人はみんな親だった。悪さをすれば誰からでも怒られたし、なにかあれば誰でも助けてくれた。


そうしてしばらく幼稚園を休むことになった僕は、家でテレビばかり見ていた。


どういうわけか僕は、特撮ヒーローものやアニメ、『お母さんといっしょ』的教育番組も、あまり好きになれなかった。


父が全く薦めて来なかったからかもしれない。兄もハマってる様子もなかったし、母も特段興味を示さなかった。つまり僕の家には、この手の番組を「はい、一緒に見ましょうね」と言う人が一人もいなかった。


父は、「子どもに合わせる」ということをしない人だった。子どもがいようが煙草を吸うし、テレビは常にNHK。


そのためか、父を真似て一人でNHKニュースを眺めてみたこともあったが、さっぱり分からず、結局、ドラマやバラエティ、音楽番組などに傾倒していった。この頃は松田聖子、中森明菜、チェッカーズなど、アイドルが活躍していたバンドブーム前夜。


父は、子どもに合わせない代わりに、干渉もしなかった。「そんなものを子どもが見るな」とは言わない。興味がないという方が正しいかもしれない。興味があるのは仕事と酒だけ。少なくとも僕にはそう見えていた。


左足を引き摺って歩き、お風呂に入るときはビニール袋を被せて入る、そんな不自由な生活の先に待っていたのは、登園できない精神状態になった僕だった。


なんとか一人で歩けるようにまで回復しかけていた僕の足は、校門の前で止まった。しばらく休んだことで、この先にある世界が自分の知らない世界に思えて、怖くなってしまった。引き返すという選択肢がないことも分かっているから、泣き叫ぶしかない。


「帰る…?」


母は優しく退路を用意してくれたが、明日またこの恐怖と向き合うのも嫌だ。


次第に、ここで泣いているところを誰かに見られるのではないかという新たな恐怖が生まれ、それに押し出されるように決死の思いで校門を潜った。


母が美人先生となにか言葉を交わしている中、僕はみんなに迎え入れられた。さっきまで号泣していた自分を完全に隠蔽し、まるで昨日もここにいたかのような表情で接した。


すると今度は、母に対して早く帰ってくれと思った。帰りしな、なんとなく外から様子を伺うな。クルッと回れ右してさっさと帰ってほしい。ついさっきまで泣いていた自分と、それを隠して平然を装う自分を、同じ人に見られたくない。


付き添いが父だったら、やせ我慢したかもしれない。子ども向け番組が嫌いな子どもも、所詮母の前では甘えん坊な6歳児だった。


キスされたササキくん、バク転する体育の先生、足の怪我、テレビ。僕が覚えている数少ない園児の頃の記憶。


あの4人がブルーハーツを結成し、『1985』という歌をリリースした頃の話だ。

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