ナナコさんの休日からの……
* Sideイスズ
部屋の床で力つきたら、しばらく、そこから動けなかった。
綺麗に磨き上げられた床なので、安心して手をついていられるのがありがたい。
気の利くナナコさんがお茶の用意をしてくれる頃には、なんとか立て直して椅子に座れた。
「んで、どうしたのよ、イスズ」
「別に、どうもしないです」
というか、もう明日の案内以外のことは考えないことにしたばかりだ。
「あのね、見ない振りして、どうすんのよ。いまの内に整理しとかないと、明日、困るのはアンタでしょ」
うぅ。
正論すぎて、ぐうの音もでない。
「それで、崩れ落ちて起き上がるのに時間がかかるほどの何があったわけ?」
何……と言われると、具体的には何もとしか言いようがない。
ただ――
「なんか変じゃなかったですか? その……ソレイユさんが……」
口にしてから、さすがに変は失言かなと思う。
せめて、変わったくらいの表現にすればよかったかもとか反省してたら、テーブル越しのナナコさんがギュインと身を乗り出して両手を包み握ってきた。
「そうよね、さすがに気づくわよね!」
「ええっと?」
ナナコさん視点でも、そんなに変わって見えたってことだろうか。
「私、先週の休みに舞台観てきたって言ったでしょ」
んん?
なぜ、ここでナナコさんの休日??
「人気の演目だから楽しみにしてたのよ。実際、豪華なセットと派手な演出が話題だったから」
それは私でも知ってるタイトルの舞台だったし、その前にもナナコさんに散々自慢されたから記憶にある。
「話としてはベッタベタのドラゴン退治なんだけど、三幕構成の一幕が聖女の旅立ちで、二幕が王子の旅立ち。で、三幕めに合流してハッピーエンドに終わるのね」
「はあ……」
「で、聖女なんだけど、特別な力はあっても腕力とかないから騎士がついてきてくれるわけよ。で、一幕の終わりにその騎士様がピンチになっちゃうの」
そんなことを言いながら、椅子を向かいから隣に移動させてくる熱の入りようだ。
「騎士は今生の別れを覚悟して聖女に告白するんだけど、そいつが『私、ぜんぜん気づかなかった』とか、のたまうわけ。あ、ピンチは王子が来て助かるんだけど、問題は聖女よ、聖女」
それは、観ていない人間でもわかった。
ナナコさんがソイツ呼ばわりしているから。
「だって、誰の命令でもなく危険な旅について来てくれて、時には、真剣に怒ってくれたりするわけ。しかも、後から申し訳なさそうに、花を摘んで謝りにきてくれたりする優しさもあるのよ。そこまで気を使って大事にしてくれてる相手に告白されて、気づきませんでしたって何よって話よ!」
その語り口調は、まるで自分か親友のことかと錯覚させる熱心さだ。
熱すぎて、聞いてるだけでも火傷しそうな気分になる。
「それって、騎士様役の俳優さんがナナコさんの好みのタイプだったとかじゃないんですか」
「はあ? 人の話、聞いてた? むしろ、王子役の役者目当てで行きましたけど!」
ちょっとだけ熱気を下げてみたかった浅はかな発言は、逆に加熱させてしまったくさい。
「あのね、あの女は、騎士が報酬もなく自分を守り支えるのは当たり前だって考えてたの。だから、馬鹿みたいに、びっくりですぅ、って顔して聞いてたのよ。せめて、気まずそうなリアクションならギり許せたけど、『そんなの困るわ』とか言わせた脚本家や支配人は、ちゃんと仕事しろや!」
彼氏さんには絶対に見せられないような顔で吐き出したナナコさんは、次の瞬間には、さっぱりした顔をしていた。
「うん。私、やっぱり抗議の手紙を出すわ。でもって、騎士様が救われる続編を強く希望する」
こぶしを握って宣言する勇ましさに、こちらは頷き返す他にない。
ところで、ソレイユさんの話はどこに行ったのだろうと思っていたら、妙なお礼を言われて、ハテナ? と思う。
「ありがとう、イスズ。一緒に行った子が気にしてなかったから手紙は迷ってたんだけど、おかげで決心できたわ」
「え? いまの話のどこに、私が貢献してたんですか?」
「だって、鈍々の鈍なスルースキルを搭載してるイスズでも察するものがあったのよ。あんなに四六時中一緒だった女が気づかないって、不自然極まりないって断言できるじゃない」
「……はい?」
「だから、イスズは黒騎士様に思うところがあったから、動揺してるんでしょ。安心していいわ。その、あんたの動揺は間違ってないから」
「…………なっ、なあっ!?」
それこそ、叫ぶ以外にできることがあろうか。
いや、ない。
「私、そういうつもりで言ったんじゃないですからね。ただ、なんか、今日はジェットみたいに機嫌がわかりやすいなと思っただけで!」
これ以上の拡大解釈は困るので、なんとか身近で伝わりやすい説明をしてみたら、ナナコさをは目を丸くして椅子ごと遠ざかっていく。
「イスズ、あんたねぇ。なんでウブな素人のくせして、そう、修羅場になりそうなとこを引っ張り出してくるのよ」
「だから、そういう感じじゃなくて、ってことを言いたかったんですけど」
「はあ。わかった、わかった。とりあえず、明日を乗り切りたかったら、ジェットのことは置いときなさい」
「はい」
今回、正式な研究員じゃないジェットはお留守番なので、素直に脇に置いておける。
あ、でも、お土産を買う時くらいは思い出してもいいだろうか。
「ソレイユさんの変化についても、脇に置いときなさいって言いたいとこだけど、それができれば苦労しないわよね」
「……はい」
まあ、明日は任務なので、お互い、必要以上に気にかけることもないだろうけど。
「そうねぇ、いっそ、イズクラの一員だって思ったら?」
「ええ!? あのソレイユさんを、ですか?」
「別に、本当に入会させるわけじゃないんだし、今回の接待中の間だけよ。そしたら、ただの味方だって安心できるでしょ」
「ただの、味方……」
「そう。なんたって、ソレイユさんは騎士様なんだから」
それは、ものすごくスッと入ってくる言葉だ。
「ナナコさん、私、大丈夫な気がしてきました」
「そうよ、その意気よ」
「はい!」
さすがナナコさん。
おかげでなんとか眠れそうだ。




