兄、時々オカン
* Sideイスズ
「入れ」
「はい、失礼します」
案内してくれている騎士さんが、妙に緊張しながら隊長室の扉を開けてくれた。
中には数人の騎士様と役人風情の男達。
その中心にいるのが兄のクレオスだ。
昔からリーダーシップを取るのが天性として備わっているタイプだったけど、年上相手でも指揮する立場で堂々としている姿を目の当たりにすれば、ここ何度目かの会っていなかった年月を実感させられる。
「申し訳ないが、この続きは後ほど」
「あの、私は挨拶に顔を出しただけなので」
大人な顔ぶれに、若輩者は気後れと恥ずかしさで申し訳なさしかない。
「いいえ、ご心配なく。クレオス隊長の休憩中にお邪魔したのは私達の方ですから」
こちらの気持ちに反して先客達は気にする風もなく立ち去り、ついでに案内してくれた騎士さんまでいなくなって、残っているのは兄と私とソレイユさんだけになった。
「よく来たな、イスズ。迷わなかったか」
そんなことを言いながら、兄はお菓子を出そうとしてくれている。
時間が飛んでるせいか、今でも子ども扱いらしい。
「クレオス隊長。お忙しいなら、無理にお時間を作っていただかなくてもよかったのですが?」
「気遣いは無用だ。来客でもなければ、休み時間も潰れてかなわないからな」
こちらは狙って嫌みな言い方をしたのに、完全に上手を取られた答えが腹立たしい。
「どうした、イスズ。マフィン好きだろ」
「……」
これでもお礼をしに来たという目的は忘れてないので、機嫌のいい兄の口実に都合よく使われることにしておこう。
だから、出されたマフィンにチョコチップが入っているのが見えたのは、ほんのちょっとの後押しにしかなっていないとも。
うん。
「ソレイユ、イスズに付き合うのは大変だろう」
兄は客人として席を勧めたけど、こちらは仕事中だからと断っていた。
傍目にびくりと緊張して見えたので、兄はきちんと隊長なのだなと思う。
「で、それが手土産か」
「もらう側が催促して、どうすんの」
「いいだろう。イスズは隊長の俺に会いに来たわけでもないんだから」
「いいえ、私は事態を収集してくれた隊長さんと部下の方達にお礼に来ました。それに、個人的な礼は朝したでしょ」
「だったな。まあ、いいから見せてみろ」
ちっとも聞く気のない兄は、お土産を取り上げて遠慮なく中を覗いて喜んだ。
「そうそう、こういうのを待ってたんだよな」
しかも、早速、開けてつまみ食うし。
「行儀が悪い。一人用じゃないんだからね」
「少しくらいいいだろ。最近、大会議が控えてるせいで、いいとこの銘菓しか当たらないんだよ」
だから、好きなだけ食っていけと勧める有名店の芸術的なお菓子を前に、なんて贅沢なと顔がしわくなる。
でも、有名店のマフィンはしっとり甘く、簡単にほっぺたをとろかしてくれたのは間違いなく役得だ。
「そうか。そんなに美味しいか」
まだ何も言ってないのに、兄には勝手に解釈してくるし。
いや、まあ、間違ってはいないけど。
「ほら、こっちのクッキーはどうだ」
孫を迎えるおじいちゃんの如く、お菓子を勧められれば気分はとっても複雑だ。
それでも、あの大好きだった笑顔を見ると、どんな文句も無用の長物となり果てる。
「ありがと、いただきます」
「うん、うん。帰りにいくつか包んでやるからな」
「……」
ちょっと違った。
兄はおじいちゃんじゃなくて、オカンに進化してた。
「これらって、一応、クレオス隊長に下心あって持ってきたものなんじゃないの?」
「いいんだよ。本当に高額なのは、その場でつっ返してるから。だいたい、こんなもので俺を動かせると思うなって話だろ」
さすがは、ガキ大将だっただけのことはある俺様気質。
「だったら、部下に配ってあげればいいのに」
「喧嘩になっても困るからな。中には、別口で砦用にごそっと差し入れてくれる物好きもいるから、使いのお駄賃としてやるくらいで丁度いいんだよ」
「お駄賃って……」
これで、どうしてソレイユさんから尊敬される隊長になったのか謎で仕方ない。
「で、今日はどうだった?」
「どうだったって、お礼して回るって言ったよね」
「じゃあ、明日はどうするんだ」
「明日? そんなの決めて……」
ない、と答えようとして、うっかりフリーズしてしまう。
まったく自由だった休みの予定が、ついさっき、強引に決められてしまっていたことを思い出したから。
「ん、なんだ。やっぱり予定があるんじゃないか」
妙に前のめりで聞き出そうとしてくる兄に焦りに焦る。
なんで、こんなことに食いついてくるかな。
「誰と約束してるんだ」
「へ?」
「男なんだろう」
「違うからっ!!」
ああ、やっぱりかと自分にがっかりする。
あれだけ念じていたのに、赤面は逃れられなかったらしい。
「会うのはマダム、用件はバッグを返すだけ!」
「今朝、バッグ持ってただろ」
「うっ、そうだけど……マダムの事情で明日になったの」
「ふうん」
事実を教えたのに、兄は目を細めて疑いの眼差しを向けてきた。
「だったら、ついでに明日も来いよ」
「え!? やだよ。絶対来ない」
「絶対だあ?」
「そりゃ、そうだよ。忙しいんでしょ、お兄ちゃん。私だって、職場の人に空気の読めないお子様だって思われたくないし」
「ほぉー」
「ソレイユ、イスズの話は本当か?」
なんで、そっちに聞くのかと慌てて振り返る。
「はい。今日、店に寄ったのですが、マダムの都合で出直すことになりました」
「そうか。ちなみに、その他の予定は?」
ホッとしたのも束の間、余計な確認をされた。
やばい。
無駄に着飾るなんて、知られたくないし見られたくない!
「隊長、すみません」
「え?」
「ん?」
「まだ、明日については詳しく確認していませんので、答えられません」
「護衛任務なのにか?」
「ビームス所長にも、イスズさんの好きにさせてほしいと言われてますので」
「うーん、そうだな。イスズのリフレッシュ休暇だったな。砦じゃ気楽に遊びに来る場所でもないか」
ソレイユさんの思わぬ機転で、助かったと胸をなでおろす。
「でも、門限は守れよ。ソレイユ、6時には帰っているよう送ってやってくれ」
「はい、気をつけておきます」
「……」
一体、今、いくつだと思っているのだろう。
「ん、ん。お忙しい隊長さんのお邪魔をしても悪いので、私達はそろそろお暇させていただきます」
「何、もう少しいいだろう」
「駄目です。逃避したくなるほど大変なのかもしれないけど、結局、後でしわ寄せで悪化するだけでしょ。明日の朝も作ってあげるから、頑張りなよ」
「わかった、わかった。頑張りますよ。但し、見送りくらいは、させてもらうからな。どうせ、この後は外で約束がある。ああ、その前に持ち帰るお菓子をしっかり選んでいけよ」
「うん。どうも」
これ以上長居をすると碌なことがなさそうだから、サクサク決めてサクサク帰ろう。




