不調
※ Sideソレイユ
「母が大変失礼を申しました」
深く頭を下げて、視界から外す。
でないと、無礼を働かれた側なのに怒りをぶつけてしまいそうだったから。
事実、イスズさんに対しても多少の怒りを感じていた。
「やめてください、ソレイユさん。私は本当に大丈夫なので」
困り果てた声を聞きながら気持ちを落ち着かせて体を起こす。
「本当に、なんとも思ってないから気にしないでください。ね」
イスズさんの様子は言葉通りで、さっきのあるまじき伝言よりも、往来で頭を下げる自分に迷惑しているようだ。
言いたいことは山ほどあるのだけど、目立っていいことはなく、困らせるのも本分ではない。
が、引くつもりはなかったので、必要な主張はしておく。
「イスズさんに不足は絶対にありませんでした」
研究所とは違う雰囲気の出かけ着で揃えた姿は、派手さはなくても身綺麗に品よく調えていた。
ただカバンを返すだけなのに、高級ブティックのマダムに配慮してくれていたのだ。
「相応しくないなど、なんて失礼な……」
母は誰に対しても気さくで、侮った振る舞いをしない人間だと信じていたのに。
「あ、の、ソレイユさん?」
戸惑い見返すイスズさんとの温度差が、かえって第三者の自分の憤りを煽ってくれる。
「ホントに大丈夫ですから、次に行きましょう」
「はい……」
さすがに、それ以上は言わないでおいた。
その後は予定通りに出版社に立ち寄り、フェイルを呼び出してもらっている。
「……」
「……」
「なあ、イスズ。今度は何やらかしたわけ?」
「何もやってないって」
そんなフェイルとイスズさんの小声談義が漏れ聞こえてきて、黙って視線を外した。
こんなつもりじゃなかったのにと、自分でも思っている。
出会ってからずっと緊張状態にあったのを知っているだけに、解決した後の休日くらい、のんびりと気持ちを緩めてほしかったのに、初日を挨拶回りに費やすと義理堅く決めていて、らしいなと思いながらも、どこか残念に思う自分がいた。
けれど、イスズさんが望むままでいられるよう護るのが役目なので、私情など挟む余地はない。
モモカ姫の時も限界まで任務に忠実を貫いていたせいで壊れかけた。
だというのに、さっきから道行く人に避けられ、出版社の受付嬢には半泣きで怯えられ、フェイルにもこうして無駄に話題にされてしまっている。
このままじゃ、まずいとは考えながらも、どうしても憤りが収まらない。
「なあ、イズ坊。今度は何をやらかしたんだ?」
「……」
落ち着け、仕事中だとさっきから己に言い聞かせているにも関わらず、次なる訪問先のワラント・ベア大隊長にまで同じことを言われてしまっているのはまずい。
「だから、私は何もしてません。……ちょっとした行き違いがあっただけで」
イスズさんは手土産を渡しながら、そんな返事をしている。
後方に控える護衛としては、大先輩の前で情けなくて、聞こえない振りを通すしかない。
「だったら、早く仲直りしてやれ」
「仲直りって……」
「そんな雰囲気じゃ、デートが台無しだろ」
「ワラさん、私が男の人といる度にデートって言うの、やめてください。特に、ソレイユさんは職務に真面目な方なんです。ビービーやジェットとは違うんですからね」
「ほーう。そりゃ、ずいぶんと買われたもんだな。黒騎士殿?」
「いえ、そんなことは……」
イスズさんに悪気はないのだろうけど、私情を抑えられていない姿を見られた後では肩身が狭いだけだ。
「ところでイズ坊、クレオスのとこにも顔を出すのか?」
「はい、一応。っていうか、なんで知ってるんですか」
「研究所の出勤前に、ビームスが報告に来たからな」
「ほんと、仲よしですね」
「仲よしときたか。そりゃあ、いい」
ガハハと豪快に笑ったワラント大隊長は、イスズさんの肩をがしがし叩いた。
「もう、手加減できてないですって。そんなんじゃ、生まれてくるお孫さんを抱かせてもらえませんよ」
「何っ!? 娘も中々、抱かせてもらえなかったんだぞ」
「だからですよ。優しくできないと嫌われちゃいますよ」
「それは困るな」
むむぅと唸る大隊長は、練習だと言ってぎこちなくイスズさんをエスコートして見送ってくれた。
「イスズさんは、ずいぶん親しいのですね」
「え? ああ、ワラさんですか。奥さんと娘さん三人の女系家族なので、色々相談されるんです」
「ワラント大隊長から相談ですか?」
「って言っても、話の半分はのろけみたいなものですけどね」
「そうですか……」
話していて、なんだか不安になる。
今日の自分はおかしい。
なんとか任務をこなして一安心していたものの、まだトラウマは燻ったままだから情緒不安定なのではないかとよぎる。
次の任務に無意識で怖じ気づき、こうして平穏な任務に甘んじて焦りを感じないようにしているのではないか。
そう考えると、益々、冷静ではいられなくなるようだった。




