ウェルカム
* Sideイスズ
「おや、これは……」
もう一冊のファイルを開いて、驚いた反応をディノスさんがしてくれたので、これは当たりだったかなと様子を窺ってみる。
「イスズさん、これも君の研究かい?」
「いえ。それは、何かの参考になるかなぁと思って、勝手にです」
「ほうほう、もしかして、二作目と四作目を観てくれたのかな」
「はい。最初はたまたまで、前回のは話を聞いてから観に行きました。すみません。だから、全部観てるわけじゃなくて……」
「いやいや。むしろ、そのピンポイントで理解してくれたことが、さすがは研究者さんだね。若いのに勉強熱心だ。これからもっと詳しく語りたいところなのだけど、さすがにここで今後のネタバレをするわけにもいかないし、場所を変えてもよいかな」
ディノスさんのにこやかな誘いに、勢いよく「はい!」と答える前にハッと我に返った私は偉いと褒めてあげたい。
冷や汗まじりに隣を見上げて、さも当然のように、どうしましょうかと問いかける。
「……いいですよ」
呆れたような、苦笑いぎみのソレイユさんは、そう返すしかなかった気がする。
大変、大変申し訳ないけど、研究所でみんなとオカルト視点で考察しまくって盛り上がった題材なので、ぜひとも脚本家さんと答え合わせができるならしてみたいのが本音だ。
それに、ソレイユさんの父親だと思って接するのは異様に緊張してしまうから、あえて、マニアック気質で乗り切りたいところでもある。
だから、あれ? と我に返ったのは、どこからともなく用意されていた馬車で、今度こそソレイユさんを置き去りにしないよう解説を交えながらのハイター考察が到着により途切れた時になってのこと。
そういえば、どこに連れてこられたのだろうと遅い気づきを浮かべながらディノスさんの助けを借りて馬車を降りたら、目の前には瀟洒なお家があった。
やんごとなき一族みたいなお屋敷ほどじゃなくて、けれども、確実に持ってるだろうと推察できる、羨まれるお家。
そんな風情の門前に降ろされて、はて?? と思う。
「あの、ここは……」
そろりと確認してみれば、ディノスさんが手を広げて、舞台役者のように言う。
「イスズさん。ようこそ、我が家へ!」
あ、やっぱり。
言われた途端に納得はしたものの、心の準備までには到達しなかったわけで、なのに現実は容赦なく、ディノスさんが門扉を開ける間に家の玄関も開き、お世話になったマダムオーガストさんが顔を出して手を振ってくれてる。
もう、これ、逃げられないし、やっぱり、お菓子も買ってくるんだった……なんて、しょうもないことしか考えられない。
それからのことは、正直、あんまり覚えてられてない。
とりあえず、まだ顔合わせをしていなかったソレイユさんの二人のお姉様(こちらは劇団関係者)と挨拶をして、雑誌で見る理想の生活って感じの食卓でもてなされ、ぶっちゃけ、舞台活劇ハイターよりもキラキラな演出を観覧している気分しか印象にない。
場違いすぎて申し訳なさすら湧いてこなかったので、ものすごい経験をしていることだけ理解できたくらい。
お暇の挨拶をして馬車に乗り込むなり、わかりやすく「ふぅー」とだらけてしまい、送ってくれるために隣に座っているソレイユさんに「お疲れ様でした」と言わせてしまった。
「こちらこそ。と言うか、私、変な発言とかしてませんでしたか?」
「大丈夫でしたよ」
「ほんとのホントに? オタクなこと言い過ぎて、ソレイユさんに迷惑かけたりしてませんか?」
「本当に大丈夫です。むしろ、姉達の賑やかさと父が我儘を言ってしまい、こちらこそ迷惑だったのでは?」
「あ、それは全然。むしろ、素敵なお姉様方に気の利いたことを返せなかったことが申し訳ないくらいで。ディノスさんの提案については、みんなに聞いてみないとわからないですけど、たぶん喜んでウェルカムすると思います」
私の見立て通り、ディノスさんもイズクラメンバーの気質があるらしく、ネタ探しも兼ねて研究所を見学してみたいと言ってくれたのだ。
個人的には、打ち合わせや書類のやり取り以外で研究所に来てくれるお客様は初めての気がして、実はその場で頷いてしまおうかと迷ったくらい嬉しかった。
「なら、よかったです。……でも、その、まだ落ち着かないところがあるのなら、少し歩きませんか」
ちょっとした散歩に誘うソレイユさんに少々の躊躇いと緊張を感じるのは、いつかに私が似たような誘いをかけたら自身が断ったことにより気まずくなったことがあるからだろう。
つまりは、お互いに気にしていて、どちらも覚えているということ。
「そうですね。ソレイユさん、付き合ってくれますか?」
「ええ、喜んで」
以前のようにはならない関係に、頬が緩みすぎないよう気をつけておこう。
予定を変更して、研究所最寄りの停車場で降ろしてもらうと、さて、とお互いに見合って照れくさくなる。
「では、歩きましょうか」
優しげな表情と仕草でソレイユさんが先を歩きだし、そこをすかさず、コートの背中を捕まえて引き留めてしまった。
「どうしました?」
「えっと、その、ちょっと静かな道がいいなと思いまして……」
この時間でも余裕で明るい停車場は繁華街にあるわけで、ソレイユさんが足を向けているのは、まさにメイン通りだ。
「……そうですね。こちらの東側なら、そう絡まれることもないでしょうし、細道にしましょうか」
心配性で騎士道精神が身に沁みているソレイユさんなのでどうかと思ったけど、賑やかさが苦手な私の性格を考慮してか、許してくれた。
マフィアのたまり場と囁かれている西の裏道なら無理だっただろうけど、その場合は私だって避けて通る。
「少し遠回りになってしまいますけどね」
申し訳なくて言ってみれば、ソレイユさんは一拍置いた後にニッコリと笑う。
「私は、その方が嬉しいです」
「あ、う、えっと……それなら、よかったです」
言われた私がしどろもどろになるのは仕方ないし、当然、顔も合わせてられない。
だけど、せっかくの嬉し恥ずかしな空気は長く続かず、すぐに焦りと忙しない時間に取って代わられるとは思ってもみなかった。